69:一分も持たないわよ!
「ライムちゃん! 来ます!!」
双頭犬の足元が弾ける。
そして、ミーアに向かって、その巨体が跳んだ。
ミーアは、ライムを突き押す。
そして、避け――間に合わない。
ミーアは、腕を十字に組んで防御姿勢を取るが、そんなもので防げるような威力ではなかった。
壁に吹き飛ばされる。
背中から叩きつけられ、衝撃が全身を貫いた。
しかし、それは予想よりも早く終わる。
衝撃に耐えきれなかった壁面が砕け、隣にあった部屋にミーアごと突っ込んだ。
意識を明滅させながら、地面を数度回転。
完全に失いそうになる意識を必死に繋ぎ止め、這いつくばるような姿勢で身体を支える。
身体を確認して、どこかやってるなぁ、と思いつつ矢をつがえてオルトロスに対した。
そこそこに広い、道具か何かの倉庫に使われていたらしい、その部屋でオルトロスはじっとミーアを見ている。
今すぐに仕掛けてくる様子はない。
舐められている――ミーアは感じた。
それは、動物が獲物を弄ぶのとは違う。
高度な知性が見せる侮り。
ミーアを同種の生物として値踏みしているのだ。
「大丈夫なの!? ミーア!」
「大丈夫です。動かないで」
「でも、こんな狭いところじゃ!!」
弓と魔法。
遠距離を得意とする武具と、時間差のある術。
例え、とてつもない目を持っていたとしても、最速で魔術を放てるとしても、ミーアにとってこの戦闘空間は恐ろしく不利だ。
ここまで無傷で来られたのは、ただただ戦闘力に差があったからである。
「大丈夫です。ライム、信じて」
今にも駆け出してきそうなライムを、ミーアは言葉で制する。
ライムは戦闘についてミーアに異を唱えることはできず、ぐぬぬと歯噛みしながら壁に隠れた。
一方のミーアは、頭蓋内にキンキンに冷えた清水でも流し込まれたかのような感覚に陥っていた。
目の前のおよそ理性などなさそうな化け物の瞳に浮かぶ知性と、そこから派生する侮りに、ミーアは憤りなど感じない。
痛みが感情の外へ追い出され、落ち着いていく。
強敵――ミーアは感覚で理解した。
強敵に相対するとき、ミーアは、ジャックならどうするか、ジャックの傍にいるためにはどうなれば良いのか、といった甘ったるい考えをしない。
ジャックが相対しない敵を、倒す――酷く純粋な戦闘用の思考に自身を飲み込ませる。
ゆえに、侮られるのはむしろ好機である。
「ヤバそうね」
「そこら辺の番犬よりはヤバいのは間違いなさそうです」
――バカにするなよ。
そう言うかのように、オルトロスは口を開けて、挑発するような素振りを見せた。
ミーアはその口に向かって矢を放つ。
オルトロスはそれを難なく噛み砕いた。
ミーアは、さらに魔術を放つ。
地面から土塊が盛り上がり腹部を狙うが、オルトロスはそれを待つことなく突っ込んできた。
先ほどの速度とは比にならない。
ライムが目で追いきれなかったその巨体を、ミーアは前転の要領で避ける。
肋骨か――先ほどの衝突でやってしまったのが、内蔵でなくてよかった。
と、痛みを思考から外し振り返る。
そこにはもうオルトロスがいた。
人間の腕ほどもある爪を備えた前足を振り上げている。
音だけでそれを感じ取っていたミーアは即座に魔法を放つ。
先ほど地面を盛り上げたものと一緒だ。
しかし、狙いが違う。
ミーアの足元が持ち上がり、さらに打ち上げた。
突如として反り立った土柱をオルトロスは叩き砕く。
ミーアは、宙で半回転すると天井に着地。
重力と衝撃が均衡を保つ僅かに3射。
2射目までは防がれたが、最後の一矢は右頭部の上顎に突き刺さった。
ギャン、犬らしい悲鳴。
ミーアは天井を蹴り重力に身を任せて、その矢を踏みつける。
ジャグゥと矢尻が下顎まで貫いた。
オルトロスは、鼻先に立つミーアに噛みつこうとして、矢が引っ掛かる。
しかし、そんなことももどかしく、自分の顎を引きちぎりながら強引に大口を開いた。
迫る牙。
ミーアはそのどでかい犬歯を踏み台に上に逃れる。
と、オルトロスの喉奥が光った。
――罠。
ミーアは空中で強引に身体を捩る。
そして、氷の壁を展開。
それと同時にオルトロスの口から放たれる炎。
いや、それは細く絞られており、熱線という方が近い。
ただの炎であれば十分に防げたかもしれないが、その貫通力は凄まじいものがあった。
ジュッと言う音とともに数十センチある氷塊を一瞬で貫くと、ミーアの脇腹に食いついた。
「くぅ」ミーアは苦鳴を漏らしながら、貫かれた氷塊を足場に熱線から離れる。
その身体を熱線が追う。
その斜線上にあるものをなで斬りながら。
ミーアは飛び回り跳ね回る。
ライムも熱線で焼き切られた壁に潰されないように逃げ回る。
ジリジリと追い詰められるが、その熱線が突如として消えた。
延々と出すことなどできない。
ミーアはそう踏んでいた。
そして、その好機を逃さない。
速度を落とすことなく、進路を変えた。
「うぇ!?」
ミーアの視線の先では、二つ目の頭が大口を開けていた。
熱線、二本目。
しかし、それは明後日の方向へ放たれた。
なぜ――答えは別の所から。
「魔物ならまだしも、召喚獣相手の幻影なんて一分も持たないわよ!」
「ありがとう! 十ぅ分ですっ!」
矢をつがえる。
発射。
ズダダと矢が三本、熱線を吐く上顎に突き立つ。
しかし、先ほど同様、貫けない。
オルトロスの眼球がギョロリとミーアを捉える。
幻影の効果が切れた。
今狙われればミーアに避ける術はない。
しかし、ミーアは冷静だった。
さらに三本打ち込む。
動く犬コロの鼻っ柱に打ち込まれた三本の矢の上に、正確に。
矢は押し込まれ、口を閉じさせた。
オルトロスの口内で熱線が出口を求めて跳ね回り、オルトロスの頭がガクガクと震えた。
そして、熱線は諦める。
ボグジャ、と奇妙な音と共に頭部が破裂した。
オルトロスは身体を泳がせ、そして、たたらを踏み、僅かに後退る。
しかし、それは頭部を失ったという事態に対してのものではなく、頭部が吹き飛んだ物理的衝撃に対してだ。
体勢をすぐさま整えると、残った頭で食いつこうと、ミーアの方へ飛びかかる。
速い――ミーアは矢を構えようとしているが、それでは間に合わない。
魔術に代えるか、いや、それも遅い。
死――脳裏をよぎる――覚悟。
しかし、身体がそれを拒否。
選んだのは前進。
攻防距離が一瞬で消える。
直撃。
なんで!
ライムはミーアが挽き肉になるのを確信した。
しかし、そうはならなかった。
ミーアの身体が、オルトロスをすり抜けた。
【英雄術:初級】《空蟬》
ミーアは自分の身体が二つになるような奇妙な感覚があった。
片一方が完全に食われる瞬間に、もう一方はオルトロスの後ろに回り込む。
――何か新たにスキルを手に入れたのだろう。運がよかった。
ミーアは煙のように消えていく自分を見詰めながら、不思議と頭が冴えていく。
一方の双頭犬は、いるはず、食ったはず、の何かが
突如として、いなくなった、食えていない、という事実に変わったことに
狼狽えているようだ。
ミーアは宙を舞いながら隙だらけのケツに向かってシャッと矢を構える。
しかし、分かっている。
弓術は威力が足りない。
魔術は威力が足りない。
どうすれば。ミーアはギリギリと矢を引き絞る。
どうすれば。魔力を練り上げる。
視界が赤く染まる。
【英雄術:初級】《魔法弓:遠雷》
閃光。
オルトロスは光の奔流に飲み込まれ、範囲外にあった四つ脚を残して消し飛ぶ。
「え、何……いまの。ってか、鼻と目から血が出てるわよ!」
「威力が足りないなあ、って思ってたら魔法と矢を同時に放てちゃいました」
そういいながら、鼻と目を拭う。
「……もう、ここまできたらあんた化け物ね」
「ひどい!!」




