66:ルールですよ!
ジャックとオトは、薄暗い牢獄のような部屋の中で肩を寄せあっていた。
そして、ひそひそに近い声で話している。
「規則」
「配る」
「留守」
「刷る」
「また『る』ですか?」
オトは不満そうに口を尖らせた。
話しているのではなく、しりとりである。
「『る』攻めだ」
ジャックはニヤリと笑い言葉をつぐ。
「なんだ? 降参か? なら終わりにして暴れていいんだな?」
――暇だ。
たったこの一言を告げ、ジャックは部屋を無理矢理押し出ようとした。
慌てたのはオトである。
オトはその高価な服が汚れるのも厭わずその膝にすがりついた。
下手に賊を刺激して巻き込まれるのは自分である。
何かないものか。必死に考えた末のしりとり。
そして、その暇潰しとしてのしりとりは最終局面を迎える。
「んーと、んーと……」
勝ったな。ジャックは右口角を大きく引き上げ立ち上がる。
勝利の自信は、オトの顔に吹き出る玉のような汗で確信へと変わった。
諦めろ、ニヤリと笑い――無用心にも――そばに落ちていた棒切れを拾う。
さてと、とオトを引き剥がそうとしたジャックだったが、それより先にオトは立ち上がりジャックを指差した。
「あ!!」
「どうした? 諦めたか? なら行くぞ?」
「ルール!!」
「あん?」
「ルールですよ! ルール!!」
――ジャックって、やけにルール守るわよね。
ジャックは、ふとカミラの言葉を思い出した。
ルール、約束、法律、マナー、エトセトラえとせとら。
守るべきものは守る。
当たり前のことのはずなのだが、ヒトというものはどうにもその辺が曖昧だ。
誰が決めたのか知らない正義とやらを盾に、平気でルールを破るヒトと、
魔王様の言葉と、自身に備えられた本能に殉じて周囲のことなどないかのように暴れる魔物。
ヒトはすぐに純粋な正義という枠に他人と自分をはめようとするが、
それこそがヒトを不純なモノへと堕とす。
それだからヒトと魔物は相容れない。
ヒトも圧倒的上智たる魔王様を頂き、魔王様の配下として、魔王様に誓い、魔王様に従えばよいのだ。
たまに暴走してその誓いを忘れることはあるが。
そして、ジャックはその生き方が骨身に染み入っているからこそ、
いまだにその生き方が抜けていない。
ルールも法もマナーも、そして約束も守る。たまに破るけど。
「ふふん。『る』返しです」
オトは自分の命がかかったしりとりであることを忘れ、
しりとりで勝てそうな状態であることの方で嬉しそうに鼻をならした。
ジャックが恐ろしく無意味な魔王への誓いを新たにしているのを、
必死に悩んでいると思い込み、勝ちを確信したのであろう。
暴れたい。もう、こんなことは終わりにして大暴れしたい。
その欲望と今はいない魔王様への誓いを秤にかけ、
ジャックは頭をかかえながら、る、る、ると呟きだす。
◆◆◆
同洞窟内。
盗賊達が屯する小部屋。
その中で盗賊の主だった者達が頭を抱えていた。
「おい! お前、楽な仕事だって言ってたよな!!」
叫んだのは、鼻上から右目の下に大きな傷痕を付けた男だ。
そして、一人の男を指差す。
「言ったけどね? 弱いのはあんた達の責任だろ」
指を指された男は、筋肉をギリギリと押し込めたようなパツパツの赤褐色のスーツの肩をわざとらしく払い、
右眉の上をトントンと叩きながらそう応えた。
えらく簡単な作戦であった。
バカな山賊を誑し込み、大量に子供を拐わせる。
大量の子供を拐えば、それだけ金が手に入るぞ。
そんな馬鹿げた案を飲むほどバカな山賊達だったが、人数とそこそこの腕はあるはず、であった。
失敗など起きようのない話、であった。
実際、50人に近い荒事専門家が集まり、数十人の子供を連れ帰っている。
そこまではよかったのだ。
しかし、いつの間にか、恐ろしい勢いで失敗の方向へ進んでいる。
「ざけんなよ! あんな、化け物染みた奴がいるってわかってたら、もっと人数を、
いや、最初から、こんな話に乗ってねぇよ!」
男は、大きく息を吐き出して部屋の面々を見渡す。
「私だって同じだ。完全に予定外だよ、君たちがこんなに弱いなんて」
叫び声と、逃げ惑う足音。
この騒動の発端がたった一人の少女によるものだと知った時、この場の誰もが誤報だと思った。
しかし、何人ものむくつけき男達が悲鳴をあげて、銀髪のエルフという言葉を吐きながら逃げていく。
信じざるを得ない。
たった一人の少女に作戦は潰されつつある。
いや、盗賊達の作戦は完全に潰れていた。
しかし、赤褐色スーツの男は、自身の任務の遂行はまだ可能であった。
「仕方ない。第4王女だけでもなんとかしないとな」
男は呟くと立ち上がる。
背の丈は賊よりも頭一つ分ほど高い。
しかし、威圧感はそれよりもでかい。
賊は思わずたじろぐが、なんとか思い直し男に噛みつく。
「てめぇ! どこ行く気だ! 逃げるなら――」
「逃げるわけないでしょうが。任務中に。
お前達の方にも、そうだな、お手伝いを貸してやろう」
「お手伝い、だぁ?」
鼻傷の男が顔を険しくさせる。
赤褐色スーツ男は、そのスーツの内ポケットへ手を突っ込むと一枚の呪符を取り出した。
「おいおい、何する気だ?」
スーツ男はその問いを無視して、呪を唱える。
「飽くなき湾。指し示す見。赤く沿う黒の像。笑い続ける独楽。来い、双頭犬」
壁が裂ける。時空の歪み。
そして、そこから巨大な牛ほどもある犬が現れた。
その犬はデカいだけでなく、首が双つある。
「え……あ……」
鼻傷男はそれを見て後退る。
他の盗賊達も声にならない声をあげた。
伝播する恐怖。
スーツ男は、それを見て安心させるように微笑んだ。
「言っただろ? お前達の手伝いだ。かわいいだろ?」
ポンポンとその鼻頭を叩くと、気持ち良さそうに目を瞑った。
「ほら、やってみます?」
「え? あ、おう……」
鼻傷男は言われた通りにしようとして、直後動きを止める。
「最近、オヤツあげてなかったから、よろしく」
鼻傷男の頭部が、ちょうど鼻の傷から上で消えている。
オルトロスの一つの頭が、モチャモチャと咀嚼している。
さらに次の瞬間には上半身が消え、子供がふざけて壊した玩具の人形のように尻から崩れ落ちる。
「いいか? ここからあっちにいるやつは全てやる」
バウ。
犬らしく元気に吠えるとその部屋は血に染まった。




