6:一人で倒しちゃったんですか?
俺は、木の陰にあった切り株を背に座り込んでいた。
春先とはいえ、まだまだ地面が冷たい。
が、俺の膝を枕にして銀髪の少女が寝ている。
いたしかたなく、うっ血しそうな尻をそれでも微動だにさせずに我慢させていた。
そして、化けイノシシとの対決から十五分ほど経ったであろうか。
やっとこさ少女のまぶたが動き始めた。
「いいかげん起きろ~い」
俺は少女に声をかけながら、やっと解放されることに心の内で僅かに安堵した。
そして、なぜあのバカがいないのか、こんな時のための家庭教師兼従者ではないのかと思ったが、自身で帰させたことを思い出して悶々とする。
「う、うぅぅん……」
「おい、起きろ。起きなさい。起きてくださいってんだろう」
数度肩を揺らしたところでやっと少女はまぶしそうに眼を開けた。
やはりその目は血を吸ったように赤い。
そして、自身の状況に気が付いたのか慌てて体を起こした。
「す、すいません。気を失ったみたいで、ってかなぜ膝枕を……」
「岩を枕に、もしくは流れを枕にするという手もあったんだがな。流石に良心が咎めた。寝心地抜群ではなかったろうな」
俺は、両腿を手でぱっぱとはらって見せた。そして、立ち上がる。
「あ、別に嫌だったとかそんなわけではないんですが。っていうか、そのありが……」
もじもじと身体を動かしていた少女の目が俺の胸のあたりで止まった。
その辺りはいまだに化けイノシシの血で真っ赤に染まっている部分である。
頭や顔についた血液などは適当に水で落としたが、胸やら腹やらと衣服にかかった血液を落とすのは無理だったのだ。
「これ以上、また気絶されたら俺はもう置いていくぞ」
「ごめんなさい。だ、大丈夫です」
少女は両目を右手で揉んでいる。
俺は、凝り固まった体をほぐすべく屈伸やら伸びをした。
筋力不足だろうか。うむ、筋力トレーニングを追加せねばなるまいな。
「あの、さっきの魔物は……」
「さっきの化けイノシシはそこの川で肉になってるから、欲しければ持っていくといい。とはいえ、もう少し時間がたってからの方がおすすめだがな。後全部持っていくなよ。俺の家でも食うから」
そちらの方に視線を送ったか、少女は目をぱちくりとさせたままで俺を見ている。
「ひ…… 一人で倒しちゃったんですか?」
「あ? この状況でわからんか」
「す、すごい! どうやって!? スキルいくつ持ってるんですか? 母様が武術系のスキル持ってても一人で魔物と対峙できるのは中級より上だって言ってましたよ! それも複数持ってないと!」
初級どころかスキルなど一切持ってない。
が、それを説明するのは骨が折れる。
そうか、一人で倒すと面倒くさいのか。
よしやめよう。
「お前が、転ぶ瞬間になんか、パァッて光が光ってすぱーんっていったんだ。お前が倒した。お前が魔物を倒した」
「そんなわけないじゃないですか!」
うるさい女だ。あれだな、前世でもドラキュラは多弁だったな。
「さて、大丈夫なら俺はもう行くぞ。今日から学校だからな」
荷物をもう一度確認する。剣は解体にまで使ったため脂まみれだが、まぁ、今日これ以上抜くことはないだろう。
と、少女が口を開いた。
「同じです! 私も学校に行くんです!」
……
「行けばいいではないか」
俺は、歩き始める。少女が慌てたように声を上げた。
「ま、待ってください。待って待って、今の状態で一人で行く? 普通」
前世がドクロ、今世はデクの俺に普通を求めるとは笑止千万である。
無視していこうと思ったが少女が付いて来ようと慌てて立ち上がるので俺は歩行を少し中断した。
「あんた、名前は?」
「ケレンルミアです」
「ケレンルミアね。じゃ行くぞ、ケレンルミア」
歩き出した俺の隣にケレンルミアは慌てて随伴して歩き出した。
「ま、待ってください。あなたの名前は?」
「俺か? 俺はジャックだ。この辺を治めているラズバンド・ヴェッティンの長男だ」
ケレンルミアは少しだけ怪訝な顔をした。
「え~ ジャックって言えばデクですよ? 魔物なんて倒せるわけないじゃないですか」
「本当だ。本当の本当に俺はジャックだ。だいたい一緒に学校に行けばわかるだろ。俺にうそを吐くメリットがあるなら教えてくれ。今から偽名を考えるから」
俺の雰囲気からか、それとも嘘を吐く利点がないとわかったのか。
とりあえず、俺の言葉が本当であるということが伝わったらしい。
みるみる顔色が変わっていく。
「あ、えっと、ジャック様? さっきデクって言ったのは……」
「きちんと覚えたからな、お前んち増税決定」
「えぇぇぇぇ!」
頭を抱えるケレンルミアの肩を軽く小突く。
「冗談だ。気にするな」
俺の隣を歩いていたケレンルミアはじっと俺の顔を見つめる。
「どうした? 俺の顔が何かをついているか?」
「いえ、ちょっと何言ってるのか意味が分かりませんが、デクって呼ばれてもっとひねくれてると思ってました」
そうか、と俺はつぶやく。
確かに軟弱な精神であればひねくれているかもしれんな。
前世の、文字通り脳足りん、に比べればよっぽど恵まれていると思っているからひねくれるなど考えもしなかった。
「ところで、お前、俺と同い年だろ。敬語はやめろ」
「え? いいんですか?」
「別にいい。むしろなんかこそばゆくてかなわんからな。あと“様”をやめろ、ジャックでいい」
それにあのバカを思い出す。
「あ、そうで…… そうするよ。じゃっく……う~ん、何かしっくりきません」
少女は、何度か言葉を口に出しては首を傾げた。
「元々この話し方なんでなかなか抜けそうにないです。気にしないでください、ジャック」
そういい、たはは、と後頭部に手を回した。
「気にしないでください。あ、でも、私のことはミーアって呼んでください。そっちの方が慣れてるので」
「ミーア、だな。わかったそうしよう」
ミーアはクスクスと笑う。そして、少し寂しそうに口を開いた。
「あ、でも学校行ったらケレンルミアでいいから」
俺はなぜそのようなことを言ったのか理解ができなかった。
がしかし、その言葉は少女の本心ではないような気がした。
「考えておく」
俺は何の気なしにそう答えていた。