46:妬けるこというんじゃねぇよ
俺は刀を抜き放つ。
その切っ先の十メートル先で、女の形をしていたなど今となっては本当かどうかもわからないほどに醜く変じたケダモノが、歯を剥いている。
サイズは五メートルくらいだろうか。
しかし、筋肉を無理矢理皮膚の中に押し込んだような体系のせいか、それより二回りほど大きく見える。
「ジャック……」
カミラが怯えたような声で俺に声をかけてきた。
フリジヤに動く気配はまだない。
俺は、あえて思いっきり視線をずらす。
視線の先ではアンジュが血が流れる肩を押さえていて、カミラはそれを支えていた。
「ジャック、カミラと逃げるんだ」
カミラを突き放そうとしてバランスを崩す。
傷が深いのだろう。
痛みでもうろうとしているらしい。
俺はカミラに視線を送る。
「治療してやれ。こっちは気にするな」
「大丈夫なの?」
俺は、そこでもう一度フリジヤに視線を戻した。
「ジャック。お前はジャックか。グライユルがお前の名前を知りたがっていたからな。墓に書いておいてやるよ。いや、死んだお前を使役してやる。その時額に『ジャック』と赤で書いておいてやるよ」
フリジヤは耳まで大きく避けた口を動かす。
「うっせぇよぉ。不細工」
俺は刀を突き出し、空いた左手で口角をなぞる。
そして、その左手で刀の鞘をつかんだ。
「来いよ。調教してやる」
ズン。
フリジヤが地面を踏み込んだ。
次の瞬間、地面が文字通り揺れた。
その異常な音がフリジヤの異常な体重を表している。
そして、その異常な体重にも関わらず、フリジヤは重力のくびきから一瞬で脱出すると、上空数メートルまで飛び上がったのだ。
視神経が脳へ状況を送るが、それよりも早く直観がアラームを上げていた。
脊髄が後退を選択する直前に、第六感が前進を指示。
転がるように前へ俺は退却。
直後、背後にフリジヤが着地した。
跳んだ時の数倍の揺れ。
俺はその巨体へ刀を叩き込むべく即座に身を翻す。
俺の予定では、そこにあるのは化け物の後ろ脚であり、ケツである。
背後にいるはずであった。
が、そこにあったのは、大口を開けたフリジヤである。
その口腔内には鋭くはちゃめちゃに並んだ牙がギラリと光っていた。
「チッ」
襲い掛かる牙を間一髪で避ける。
しかし、なぜだ。
俺は完全に背後を取ったはずだ。
ところが、俺は今確かに頭と相対していた。
空中で振り向いたのか?
いや、そんなそぶりはなかったはずだ。
俺はフリジヤの側面を取ろうとゆっくりと移動しながら、思考する。
そんな思考をあざけるように、フリジヤは血に濡れたような赤い目をこちらに向けた。
「怯えてるのか? 下等種ごときが調子に乗るからだ」
あざけるように口を開ける。
気色の悪い図体で人間語を話すせいでさらに気味が悪い。
と、直後、頭が動いた。
動いたというのは、何かの動作をしたというわけではない。
体表を滑るように移動し始めたのだ。
俺を真っ正面でとらえられるように体の横まで頭が移動する。
そして、それが固定されると、その他の身体も変形。
いつの間にか俺と完全に向き合う形になっていた。
「便利な身体だな。うらやましいよ」
今度は俺から。
刀を抱えて突撃しようとした瞬間、俺の側面から声が飛んだ。
「ジャック! 待ちなさい!!」
そちらに目を向けるとアンジュが肩を押さえて立っている。
そして、呪文を唱えた。
アンジュの眼前に炎球が生成され、それが馬上槍の形に変形する。
「燃え落ちろ!!!」
アンジュの叫び声と共に射出。
ゴウっという音と共にフリジヤの身体に半分ほど潜り込んだ。
が、それは潜り込んだように見えただけである。
フリジヤはブルルと身体を震わせると、炎槍は霧散した。
「なっ!!」
アンジュが、目を見開いている。
完璧に練りあがった魔法を完璧なタイミングで打ち込んだのは俺でも分かった。
きっと今までの魔物であれば十分に焼き尽くせた威力なのだろう。
ところが、このバケモノは何事もないかのように立ち尽くしている。
「目障りなハエだ。そっちが先の方がいいのか?」
フリジヤはアンジュの方に首を向け、視線だけ俺に送りながらそういった。
脅しではない。
本気でどちらが先でもいいのだろう。
「女同士で乳繰り合う気か? 妬けるこというんじゃねぇよ」




