41:チューした気がする
「チューした気がする」
ミーアは、寮の個室で頭を抱えていた。
先日のピクニックなる戦闘訓練でおった怪我はカミラの手当てのおかげですっかり良くなっている。
がしかし、そのカミラの作った“痛み止め”なるアルコール飲料のせいでミーアはすっかり酔っぱらってしまった。
あれを飲んでからほとんど記憶がない。
ただ、ジャックの顔を間近で見たことと、唇に残る感触だけを覚えていた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
恐ろしく長い溜息。
そして、もう一度ベッドに顔から倒れ込んだ。
「どうしよう……授業出たくない」
時計を見る。
時間は出席に間に合うギリギリだ。
このままでは連続出席記録が途絶えてしまう。
左右に揺れる振り子がカチコチと音を立てている。
その小気味よいリズムがそんな些細なことを一掃している気がした。
と、突然扉が開け放たれた。
「ミーア、かくまってくれ!」
そこにいたのはジャックだった。
ミーアは飛び跳ねるように起き上がると、壁に背を当て距離をとった。
「な、なな、なんですか! ジャック!! 急に入っちゃだめだって昔言いましたよ!!」
「そんなこと言ったか?」
ジャックはとぼけたように扉に施錠をすると、安堵したようにため息をついた。
そして、ベッドに腰を下ろす。
「何をしている。座れ」
ジャックはそういうと自身の横のシーツをポフポフと叩いた。
「へ?」
「お前、まだ寝間着だったのか? いくら授業が休みでもやばいだろ」
「休み? あ、そっか」
先日のピクニックのおかげで本日が休講になったことをミーアは思い出した。
連続出席記録が途絶えるという心配はなくなった。
が、最大級の心配事が目の前にある。
「そそそそ、そのなにか、あああ、あったんですか?」
「あぁ、昨日のピクニックでめんどくさいことになった」
ピクニック、という言葉にミーアは思わず反応してしまう。
ほんのりと赤かった耳が今や売れたリンゴのようになっていて、それは頬まで浸食していた。
「めめめ、めんどくさいって」
「最後の奴覚えてるか?」
最後、キスのことだ。
そして、めんどくさい。
ミーアは泣きたい気持ちになった。
ジャックにとってはそんな感じらしい。
「そうだ、最後の亀。あれ超A級だったらしい。しかも、国から懸賞金がかけられていやがった。詳細に話をしろとか報告書かけとか、糞だ。めんどくさいことになりやがった!!」
ジャックは、頭を抱えて悶絶している。
それを見てミーアは思わず笑ってしまった。
そうだ、ジャックはこういう人間なのだ。
人に興味なんかない、そんなわけじゃないけど、そういうのには興味ないんだ。
「何クスクス笑ってやがる。とっとと座れ」
「はい」
ミーアはジャックの横にポフンと腰を下ろした。
ジャックの匂いがして、少しだけうれしくなる。
「それでもいいことはあった」
「い、いいこと?」
ミーアは座った身体がまた跳ねそうになった。
そして、それは心臓のせいだと気が付いた。
危険を知らせる早鐘のように大きく速く胸の中を飛び跳ねる。
「ど、どんないいことが?」
ジャックは立ち上がると、ミーアの両肩に手を置いた。
ミーアはふとジャックのまつげがとても長いことに気が付いた。
「刀だ」
「刀?」
おう、とジャックはミーアからあっさりと手を離すと腰に掛けてあった剣に手を伸ばす。
抜き放ったそれは、ぎらつくように陽の光を反射した美しい片刃の剣であった。
また、違った。
ミーアは、自分の予想と違うことに、少しがっかりして、少し安堵した。
そうだ、だからジャックなんだ。
「この切れ味やばいぞ。まだ試してないけど」
「そうですか。残念でしたね。その辺の木とかじゃダメなんですか?」
「うむ、それでもいいのだが、教師どもに追われていてな。七面倒なことにそんな暇がない」
「倒してないことにしたらどうですか?」
「無理だ。あの冒険者カードにばっちりゲンブの名が乗っていたらしい。何かいい方法は……」
と、ジャックとミーアの目がバチリとあった。
「お前、すごいな。サスガみーあサン!」
「へ?」
「げんぶヲ倒ストハ……サスガデス!!」
「はい?」
「俺が到着した時には、お前がもうギッタンバッタンにやってたんだよ。俺は、最後たまたま剣がちょんって当たっただけ。そう、ちょこんって」
「えぇぇぇぇぇ!! 私になすり付ける気ですか!?」
「なすり付ける? 失礼な。ぼくハ嘘ガつきタクないダケダヨ」
扉の前がいつの間にか騒がしくなっている。
どうやら、ジャックの居場所として検討をつけられたのだろう。
ジャックは、扉の反対にある窓に手をかけた。
「ミーアよ、あとは頼んだ!!」
ふはははは、という謎の笑い声を残して飛び降りてしまった。
三階なのだが、大丈夫なのだろうか。いや大丈夫なのだろう。
ミーアは、全くしていない形だけの心配すらやめる。
「ははは、ジャックらしいですね」
と、扉の鍵を開けた。
「ジャックはどこに行った?」
「ジャックなら来てませんよ。あの塔の所じゃないですか?」
教師どもは、わずかに渋い顔をした。
あの塔には、教師たちすら高貴で触れられざる者がいる。
こう言っておけば、一時大丈夫だろう。
教師たちが渋々と部屋を出ていったところでミーアは一つの推論にたどり着いた。
「夢だったのかも!!」
「何がかしら?」
「チューしたこと!!」
「夢じゃないわよ」
「へ?」
ミーアは扉の外に誰かいることに気が付いた。
「えっと、ライムちゃん?」
「正解」
そういってライムは扉を開けて入ってきた。
「あたくし見てたもの。チューしてたわよ、チュー」
「う、うそです!!」
「あれは舌入ってたわね、べろんべろんって」
ライムは自分の舌をうねうねとくねらせる。
「ジャック普通だったじゃないですか!! 嘘ですよ!!」
「バカね、あのガキ、チューなんて稽古中の切り傷ぐらいにしか思ってないわよ。残念だけどねぇ」
ライムはクスクスと笑う。
「ライムちゃん……忘れてください……」
「いいわよぉ~ただ思い出すときもあるかもしれないけどねぇ」
とんでもない借りを作ってしまったのではないだろうか。
ミーアは初めてジャックを呪った。




