35:まだ、誰も知らないんだよ
俺は図書館にいた。
学園所有の図書館で、国内有数の蔵書数を誇っており、学園だけでなく国内から本を探しにやってくる。
数十年前に活版印刷が発明されて以来、本の価格は下がったがそれでも本とは重要な財産なのだ。
今現在、俺はこの図書館から何冊か魔術論文を借りて読んでいる。
最近では“エグナ・エミーモー”なる人物の魔導技術応用論を返しては借りてを三度ほど繰り返していた。
この著者は新進気鋭にして、いくつもの発見や発明をした天才と名高い人物である。
俺はその本の森といった具合の建物内の一室で一人の女に会っていた。
相手は眼鏡におかっぱ。
活動的という言葉から最も遠い場所にいる感じの女だ。
「図書委員長の方ですかね?」
「はい、えっとどちら様でしょうか?」
「俺は、補助委員会のジャックです。レイより派遣されてきました」
図書委員長は、あぁ、といった後で俺を怪訝そうな目で眺めた。
「なぜ、あなたのような少年が?」
俺だってごめんこうむりたいのだ。
が、さすがにそれを言うのも気が引ける。
「すいませんね。とりあえず、本物です」
俺は、制服についていたバッチを見せる。
委員会に所属していると、その証明にバッチが手に入るのだ。
「で、どんな問題があるんで?」
「ずっと借りられてる本を取り戻してほしくてですね……」
図書委員の女は困ったように眉をひそめる。
「どのくらい借りてるんで?」
「二年ほど……」
「そりゃまた…… 取りにいかなかったんですかい?」
「行きましたよ。行きましたけど返してもらえなかったんですよ。難しいクイズを出されて答えないとダメなんです」
クイズ? 変な話だ。
「相手は誰なんですか?」
「えっと……」
そういって俺の耳に口を近づけた。
「アンジュ様です」
「アンジュというやつですね。ぶっ飛ばせばいいですか?」
俺は普通に言ったつもりだが、図書委員はシーッと口の前に指をあてた。
「どうしました。名前を呼んではいけないとか?」
「そうじゃありませんけど、アンジュ様のことご存じないんですか?」
「まったく、知らんですな。ちなみにそいつはどこに?」
「学園外れの赤屋根の塔ですけど……」
「よし分かった。行ってきますんで」
俺は、そういうと反転し、部屋を出ていった。
◆◆◆
学園外れの赤屋根の塔。
どこかで聞いたことがあると思ったが、最初のホームルームで担任教師が絶対に近づくな、と言っていた場所だ。
周囲は森に囲まれており、慣れてないものでなければ見落としてしまう程度の獣道しかない。
ここを通ればどこかへの近道になる、などということもないであろう。
いちいち注意されなくても、用などなければ近づく必要のない場所にある。
逆に言えば、それだけの何かがあるということなのだろう。
俺は、その赤い屋根の塔の足元にいた。
灰色のレンガ造りで、背が高く円柱状の変な形の建物である。
見上げると首が痛くなるくらいの高さだ。
四階建てくらいだろうか。
「誰かいるか? 図書委員会より来た者だが」
返事がない。
と、中でドガンと何かが崩れた音がしてから、どたばたとしだしだ。
そして、それが収まる。
少しして扉が開いた。
「何しに来た」
澄んだ、澄んだとも冷たいともとれる声とともに扉が開かれる。
扉の向こうに立っていたのは濃い緑色をした髪の女であった。
「延滞期間がとっくに過ぎてる本の回収だ」
「あの本は……ダメだ。私はまだ読む」
「ふっざけるな、扉を開けろ。本を返せ」
「待て! よせ、いきなりそんな! やめてくれ!」
「いいから開けろ!!」
女はかたくなに扉を開けようとしない。
なぜだ、と思ったが、扉の隙間から部屋の中を確認し俺は理解した。
荒れ放題であった。
この女、片付けができないタイプの女だな。
「失くしたのか?」
「いや、あるよ。この塔のどこかには」
俺は、塔を見上げた。
「探すからちょっと待ってくれよ。ジャック君。お茶でも出そう」
「なぜ俺の名前を知ってるんだ?」
「気になるかい? なら入りたまえ」
アンジュは俺を迎え入れるべく扉を大きく開けた。
「わかった。が、茶はいらん」
俺は促されるまま、物が雑然と避けられた獣道を抜け、塔の最上階まで連れてこられていた。
そこの部屋だけは、きれいに整頓されている。
窓が開け放たれていて心地の良い風が入ってきていた。
「さあ、座ってくれたまえ。あ、この中にはパンツとかが入ってるので開けるのだけは勘弁してくれよ」
俺はそのタンスをちらりと見てから、椅子に座った。
「本だ、本を出せ」
「君は、遊びがないな。私が名前を知っていることについて思うことはないのか?」
アンジュは少し呆れたように肩をすくめる。
「どうでもよくなった。俺は早く帰って本を読みたい」
「まぁ、そういうな。ジャック・ヴェッティン。年齢十二歳、初等教育は暴行事件を機に退学処分を受けている。スキルはゼロ。通称デクのジャック。ここへは、ケレンルミア・バルバロッティと共に入学。試験自体は落ちたにもかかわらず、突然、第九騎士団、団長付き補佐官、ウィードの『強烈な推薦』を受けて再受験し、合格。先日も寄付組と決闘し勝利。その際、『マジックアイテムを上回る速度』を出して撃破している」
「なんだ? 俺のファンか?」
「いや、ファンではないかな。ちなみに私のことを何も知らない様だな」
「知ってるぞ。部屋の掃除ができないアンジュだ」
アンジュは顔を覆う。
「それは言わないでほしい」
「それはすまんかった。で、俺に知識を披露して遊びたかっただけか?」
「いや、そこまで言われて私に一切興味を持たないとはどういう教育を受けてきたんだい、君は」
教育か。
どちらかといえば、前世の人生観だろうけどな。
「わかった、聞こう。あんたは誰で、どういった人物だ?」
「私はアンジュ・ホンハイム。国父八華族の筆頭、ホンハイム家の三女だよ」
そう言って胸を逸らした。
「そうか」
アンジュは間の抜けたような顔をした後で笑いだした。
「いいね、君。だいたいこういうとほとんどの人間は、困ったように笑いだしていたが」
「それはあんただったようだな。っと、敬語の方がいいか? 延滞者」
「いいよ、取り立て人が延滞者に敬語になるのはおかしい」
「それは助かる。いまさら敬語を使って話せと言われても無理だ」
アンジュはくつくつと笑っている。
変な奴だ。
と、俺は目の端に書きかけの原稿を見つけた。
それを手に取って眺める。
タイトルの部分には“魔導磁気を用いた映像出力装置について”と記されている。
そして、その著者をみて目を見開いた。
「エグナ・エミーモーだと! なぜこの原稿がここにあるのだ!」
「お? 良く知ってるね。私のもう一つの名前だよ。というか、そちらに食いつくのかい? 君は」
俺が最も尊敬する人物の一人である。
「とりあえず、握手してください」
「いいけど…… 君、意外と失礼だね。いまさら敬語はやめてくれ。最初に家格を持ち出した私が恥ずかしいから」
俺は握手をしていくつか質問をした。
なかなかに素晴らしい時間の使い方である。
ふと、外を見ると、陽が陰りだしていた。
「さて、本題に入ろう。本を返したいんだが、私はまだ読みたいんだ。で、返してほしければ……」
「クイズに答えろってんだろ?」
「よく知ってるじゃないか。さぁ、問題だ。朝は足が四本。昼は二本。夜は三本。これ何だ」
この問題、魔族の間でめっちゃ流行ってたやつだ。
「人間だ」
「え? ホントにそれでいいの?」
「あぁ」
「や、やるね……」
ずるい気もするが、別にいいだろ。
「わかった、返す…… 返すよ…… だけど……」
そう言ってアンジュは、困ったように笑うと俺に縋り付いてきた。
「片付け手伝って~ 無理だよ~一人じゃ!!」
「あんた、お付きの一人や二人いないのかよ」
「パパから“お前自立できなそうだから一人暮らしな”って言われちゃってるんだよ~」
俺は、階下の惨状を思い出す。
結局本を返さないのは読みたいわけでもないし、クイズを出して追い返してたわけは見つからなかったからか。
立ち上がると、まとわりついていたアンジュをひきはがす。
「片付けは無理だが、探すのは手伝ってやるよ」
◆◆◆
「なんで、植木鉢の中にあるんだよ」
「わからないよ。私にも意味不明だ。でもよく見つけてくれたね」
「ヴェッティン流遺失物捜索術のおかげだ」
俺は、適当に手をひらひらとさせる。
そして、本を小脇に抱えた。
外はもうだいぶ暗くなっている。
「ホントにありがとう」
「いいから片付けろ……といっても無理か」
部屋の様子から推察するに、恐らく片づけられないというスキルでも持っているのだろう。
いや、それはスキルというよりも呪いか。
「今度、ミーアっていう知り合いをよこすから、片付けを手伝ってもらえ」
「いいのかい?」
ミーアは母上の掃除に付き合うくらいには掃除が得意だ。
「あぁ。小遣いでもくれてやってくれ。ちなみにエルフだが構わんか?」
「何の問題もないよ。だいたい、今時エルフだからどうとかって古いんだよ。きちんと契約書を作るからちょっと待ってて」
アンジュはそう言って手近のテーブルからものを地面にたたき落とし、そこに紙を広げた。
ミーアが見たらぷんすか怒り出すこと請け合いだ。
と、アンジュが首だけで振り向いた。
「そうだ、君にも何かお礼をしないと」
「いらん。これは仕事だ」
「そうはいかないよ。そうだ!」
アンジュは俺の前に立つ。
そして、俺に抱き着いた。
「まだ、誰も知らないんだよ」
頬に柔らかい何かが触れる。
「どうだい?」
「何がだ?」
「え……」
「では、俺は帰る。体中埃っぽくてかなわん」
「え~!! それだけ!!」
占めた扉の向こうでアンジュが騒いでいるようだが、俺にも用事がある。
◇◇◇
寮への帰りしな、ミーアに会った。
「ミーア、明日の休みは暇か?」
「え? 明日? はい! 暇です! 暇です!!」
「そうか。ちょっと頼みたいことがあるんだが」
ミーアの顔が少し曇った。
「何ですか~」
「なんで怒ってるんだ?」
「別に怒ってませんよ。ネノカタスに来て、おいしいケーキ屋さんの一つでも連れて行ってくれればいいのになんて思ってませんから!!」
何の話だ?
「赤屋根の塔に住んでる人の片づけを手伝ってやってくれ。駄賃がもらえるはずだ」
「はぁ~い。ところで……ほっぺたに何かついてますよ?」
「うん?」
ミーアが俺の頬をじっと見つめる。
「くくくく口紅!! なんですか! これ!!」
「あ~あれか。まじないかなんかだろ」
「まじない? まじないなんてわけありますか!! ジャックのばかぁぁぁぁ!!」
ミーアが走り去っていった。
俺は頬をごしごしとこする。
「もういいや。早く風呂入って寝よ」




