23:母様、行ってきます
日課とは、何か変わったことがある日にこそやるべきである。
例え出発の日であってもそれは変わることはないのだ。
俺は、瞑想を終えると、ゆっくりと身体を動かす。
「あ、終わりました?」
ベッド横の机で魔術書を読んでいたミーアが俺に声をかけた。
これも日常である。
「うむ、ではそろそろ行くか」
俺は、部屋を出るとそのまま父上の書斎へ向かう。
「父上、入ります」
「おう、開いてる」
俺は、扉を開けた。
そこには母上と、ミルウーダがいた。
「準備はできたか?」
「はい。本日、首都ネノカタスへ出立いたします」
父上は、俺の頭をぽんぽんと叩いた。
そして、母上が俺を抱きしめた。
「無茶しないようにね、と言っても無駄だろうけど。でも、無事にね」
俺は、コクリとうなずいた。
ついで、ミーアを抱きしめた。
「何かあったら、ここに帰ってきなさい」
ミーアはハイ、と上ずりながら答える。
「ミーア。俺からも頼む。こいつはどうも危なっかしいからな」
父上はそういってにかっと笑った。
「さて、では、行きますね」
俺は、扉に向かって歩き出した。
ニーアもまたそれに続く。
荷物はすべて表の馬車にのせてある。
「あ、そうだ。坊ちゃん。ネノカタスに行ったらフォウルラッドにも寄ってくださいよ。連絡はしてありますから」
「フォウルラッド? どこだそこは」
「えぇ、ひどい。私の実家ですよ!」
「……お前実家あったんだ」
「ひどい! 一応、名の知れたとこですよ!!」
俺は、わかった、といい屋敷を後にした。
◇◇◇
馬車に揺られて少ししたところで、俺は御者に声をかける。
「おい、ちょっと止めてくれ」
馬車が止まると俺は、ミーアを降ろし、馬車には少し待つよう言い含める。
「えっと、ジャック……」
「お前の母君にも挨拶をせねばなるまい」
ミーアは、コクリとうなずいた。
小高い丘を登ると、そこには一本の木があった。
植えたころは、幹がゴボウ程度の太さであったが、今では俺の腕位の太さはある。
高さもまた、見上げなければ上の葉が見えない。
俺は、少し離れたところで立ち止まった。
ミーアが一瞬、俺の方を見たが、俺の目を見た後でその木まで歩いて行った。
「母様、行ってきます」
葉が風に揺れている。
太陽の光にに下草の梅雨が輝いている。
俺は、少し離れたところで軽くお辞儀をした。
◆◆◆
人間には二種類いる。
黙っていられる人間と、黙っていられない人間だ。
そして、運が悪いことに俺たちが頼んだ御者は後者であった。
御者台後ろの窓からずっと話しかけてくる。
「でさ、君たちはネノカタスに何しに行くんだい?」
「あ、えっと私たちはネノカタスの学校の試験を受けに行くんです」
「へぇ、さすがは貴族様だ。都会の学校へってことだね。うらやましいなぁ。俺なんか初等部までしか出てないよ」
「あ、私たち、初等部も出てないです」
「えぇ?」
御者は驚いたように声を上げた。
そして、窓から中を覗き込む。
前見ろ、前。
「あ、実は私は……」
そういって、ミーアは髪をはらって耳を出した。
「あれ? エルフなの?」
「はい」
「おい、いちいちそんなこと言う必要ないだろ」
「いいんですよ。エルフでいじめられてへこむようなら、えっと、あの、そのう~っと…… ジャックにはついていけませんから!」
ミーアは顔を真っ赤にしている。何が言いたいんだ?
「あ~でも、そっちの方は貴族のご子息でしょ?」
「俺は、同級生ボコボコにして退学処分を受けたのだ」
領地の人間であれば誰でも知ってることなので特に隠す必要もあるまい。
御者はそれを聞いて盛大に大笑いをした。
「いや~ なんかジャック様は大物って感じですね」
「大物でも小物でもない」
「いや~愉快、愉快。それにしても、今日は何か静かだな……」
ふむ、領地と領地をつなぐ道は、基本的に獣道のようなものだ。
魔物が少ない場所を陣取りのように選んでいく。
馬車のわだちが深いところはそれだけ通行量があり安全である。
が、いつだってそういうわけではない。
俺は、剣に手をかけ扉を開ける。
ミーアも、弓に手をかけている。
魔物の気配を感じ取ったのだ。
「馬車を止めろ!」
俺は大きく叫ぶと、いまだに進んでいた馬車から外に飛び出した
「どどど、どうしたんですか」
「いいから、大声出さないでください!」
ミーアが御者に指示する。
そんなミーアに俺も指示を出すことにした。
「ミーアは、馬車を守れ。最悪御者だけでもいい!」
「ジャックは?」
「俺はいい。手を出すなよ」
俺が口角に親指を当てるのと同時に森の中からどでかい二足歩行の魔物が飛び出してきた。
赤い毛皮をした熊のような生物だ。
体長は四メートル程度だろうか。頭が遥頭上にあるように思える。
頭部上部の耳まで口が裂け、そこには牙が幾本も生えていて、捕食者であることは容易に推測できる。
俺は、腰から剣を引き抜く。
そして、左手で鞘を構えた。
剣を二本持つのは、いつくかの――主に経済的な――理由でやめた。
代わりに、右手に剣を、左手に鞘を構えることで、俺なりの新剣術『二刀流』を完成させた。
「ままま、魔物ぉぉぉぉぉ!! 逃げましょう! 逃げますよ!」
「うるさいです! もう遅いですから!!」
ミーアの言葉が合図になったかのように、俺と熊は走り出した。
わずか、数歩で赤熊の射程に俺は入っていた。
熊はそれを認識し振り上げた手を振り下ろす。鋭い爪が鈍く光る。
俺は、それを右手の剣で切り飛ばした。
痛みからか、赤熊はぐおぉぉと叫びながら、今度は反対の腕を振るってくる。
俺は、今度はそれに鞘を叩き付けた。
ゴウと鞘と骨の打ち合う音が響き、手首と肘の間に無かったはずの関節部分が現れる。
俺は、さらに前進。
赤熊は倒れ込むように俺にかみついてきたので、その口内に鞘を押し込む。
そして、剣を振るった。
ずどんと、巨体が倒れ込む。
そして、その首から頭が落ちた。
「え? え? 魔物を一人で……」
御者が呆然と御者台に座っている。
ミーアがそばに寄ってきたので、魔石を探すように言った。
そして、俺は御者に声をかける。
「あんた、商売人だろ? あれ買い取ってくれよ」




