12:母様、花になっちゃった
鍛錬場での一連の騒動で呼び出されていた俺とミーアはいつも通りミーアの家に向かっていた。
「久しぶりにしこたま叱られたな」
「ジャック、何か今日怒ってました?」
怒ってなどいないのだが、なぜかそう見えたらしい。ふむ。不思議なこともあるものだ。
答えられない問いについて考えるのは嫌いだ。
俺は話題を変える。
「ところで、母君は何か好きなものなどないのか」
「母様が? そうですねぇ、太陽とか。私も好きですよ。ポカポカしてて」
「ほう、蝋の翼に俺をくくりつけて打ち出してみるか?」
俺は空を見上げる。確かにポカポカとする。
この感覚はこの身体になってから初めて感じたものだが、嫌いではない。
「え~もしかしてプレゼント? 母様はそんなのもらってもポイってしちゃうと思いますよ。今はポイっともできませんが」
ミーアは家の扉の前に立つとノックした。最近はこうしないと怒るのだそうだ。
「母様ぁ、入りますよ」
返事はないし、ミーアもそれを待つことなどせずに扉を開けた。
いつも通り、シンとした空間であった。テーブルの真ん中に以前より大きくなった鉢植えがあった。
「母様、起きてます?」
ミーアはそういいながら奥にじょうろを取りに行った。
俺は、いつもならば外で待っているのだが、何の気なしに部屋に入った。
「母君、なぜあなたはミーアを追い出そうとする。たった一人の娘ではないのか? さみしくないのか?」
俺の問いに答えることはない。母君は優しく揺れている。
ミーアが根にやさしく水をやりはじめた。
「おい、ミーア。どうした?」
ミーアの様子がおかしい。鉢植えから水があふれだしている。
俺はミーアの腕をつかんだ。
「あ、ジャック。ごめんなさい……」
「どうしたんだ?」
ミーアは優しく微笑んだ。目が潤んでいるのがわかる。
「母様、花になっちゃった」
元から花じゃないか、と言おうとしてその真意に気が付いた。
◇◇◇
陽がだいぶ傾いてきていた。
「無理するなよ」
「大丈夫ですよ、ジャック。母様はここに植えてほしいって言ってたんです」
そこは家のあった丘の最も高いところであった。村を遠くまで見渡せる。
「母様、ここで父様と初めて会ったんだそうです。でも父様は病気で……」
もう泣いてはいなかった。いや、ミーアは一度も涙をこぼさなかった。約束だったそうだ。
「おい、そのなんだ。えっと……大丈夫か?」
ミーアに言わなければならないことはわかる。言いたいこともある。
が、それを言葉にできない。
「さ、ジャック、行きましょう!」
ミーアはことさら元気に言った。
俺はそれに、おう、としか返事ができなかった。
なぜエルフの親たちは自らの子を自分から一刻も早く引きはがそうとするのか。
俺にだって理解はできる。
人族であれ魔族であれ、死ねば死体は朽ちて消える。そこには思い出しか残らない。
しかしエルフは違う。死して消えられぬのだ。いるのに思いを伝えても答えてくれない。
そんな思いをさせたくないのであろう。
それでも一緒に、俺はそう思った。
◆◆◆
俺達はいつもよりかなり遅く家に帰りついた。
いつもならだいたい食事をしている時間なのだが、父上から即座に書斎へ呼び出されていた。
「父上、まじか……」
俺は思わず頭をぼりぼりとかいていた。そして、隣を見るとミーアの顔が青くなっている。
父上の隣ではミルウーダが神妙な顔をしていた。。
「私…… 退学ですか……」
俺の退学については一切の異論がなかったし、それで構わなかった。
勉強ならばミルウーダに習った方が幾分マシだし、鍛錬する時間も増える。
そのくらいにしか思っていない。
「なんで、ミーアまで首なんだよ。俺はわかりますけど」
ケンカして四人ほどケガさせたのだ。
治癒魔術が必要なほどはケガをさせていないと思うが、やったのは確かなのでその報いは受ける。
が、しかしミーアは全くの無関係だ。
「運が悪いことにな~ ミーアはうちで雇ってるお前の従者として見られてしまったみたいだ……」
傍らではミーアが震えていた。
「父上、校長に取り付いていただけませんか。俺からも一度……」
「もう俺が行った。あの娘は無関係だってな」
父、領主が出張った。つまり、俺が出る幕などもうないということだ。
そして、そのこれ結果なのだ。
自業自得。因果応報。己の浅慮さを自らで呪う。
俺は拳を握り締め、そしてそれを振り下ろす場所がないことに気が付いた。
と、俺の頬に衝撃が走った。気が付いたときには壁端まで飛ばされていた。
「ジャック様。あなたがまずしなければならないことはそんなことじゃないはずです」
視線の先にいたのはミルウーダであった。
傍らには震えているミーアがいた。
俺は立ち上がった。鉄臭いものが喉を流れていく。
殴られることなど訓練中ならばいつものことだ。むしろこのくらいの一撃食らった内に入らない。
にもかかわらず膝が笑っている。腰がグニャグニャとしてうまく立てない。
壁を頼りに何とか立ち上がる。
そして、一歩、一歩と進み出た。
ミーアの方を向けなかった。恐ろしかった。いつも笑っていたミーアの見たことのない表情が怖かった。
しかし、ミルウーダの無言の圧力に俺は顔を上げる。ミーアの肩がわずかに震えている。
母君との約束で、いじめられるとわかっていたのにもかかわらず、学校に行った。
こんなことで約束を破りたかったはずはないのだ。
そして、それを伝えるべき母君はもう返事をしてくれない。
俺は頭を下げた。
「すまんかった。ごめんなさい」
俺は自分でも驚くほど弱々しく、呟くように言った。
◇◇◇
早朝。太陽が昇り始めていた。窓を通して部屋の中にもその光が入ってきていた。
俺はベッドで横になっていたが眠れなかった。前世今世含めて初めて一睡もできなかった。
ゴロゴロと三度ほど転がった後でシーツのずれが気になったのでそれを直そうとベッドから降りた。
シーツを直した後俺の足はミーアの部屋の前に向いていた。
「起きてるか?」
俺は返事など期待していなかった。が、中で少し足音が聞こえて扉が押し開けられた。
ピンクのパジャマを着てはいるが、ミーアもまた眠れなかったのだろう。
それはそうだ。学校が首になり、母君が……
俺はミーアの部屋をのぞいた。
昔は、埃臭い部屋だったはずだが、いつからだろう。鼻のようないい香りがする。
「起きてます……」
俺は、大きく頭を下げた。そして、もう一度謝った。
「ジャック、本当にもういいんですよ」
俺の袖口をミーアがつまんだ。俺は顔を上げる。
ミーアは笑顔を作っていた。
「実はうれしかったんです。ジャックが私のために怒ってくれたみたいで。あの人たちには悪いですけど、胸がすっとしました」
しかし……
「きっと罰が当たったんでしょうね。でもいいんです。やっぱり学校はそんな好きじゃないし。母様との約束がなかったら行きたくなかったし……」
そういってミーアは笑って見せた。いろいろな感情がごちゃごちゃになったような笑顔だ。
そして、その笑顔は沈んでいく。
「ジャック。母様が…… 母様が……」
ミーアのその奇妙な色を浮かべた目に涙が溜まっていく。
それが一筋流れ出した。一筋流れ出すと、そこから堰を切ったようにあふれ出す。
崩れ落ちたミーアを俺は眺めていた。
どうしよう。俺の前世と今世の記憶の川をいくらさらったところでこの状況を解決する手が……
いや、俺にはもう一つ記憶の川がある。
前世の記憶がよみがえる六歳以前の記憶。
何か怖い夢を見た時に泣きじゃくる俺に母上がしてくれたことを思い出す。
俺はしゃがみこんだ。そして、ミーアをやさしく抱き寄せる。
「覚えてるか。俺がお前を守るって話」
泣いて返事ができないのか、ミーアは首を何度も縦に振った。
「そうか……」
俺は、ミーアの肩に手を置き距離を開ける。代わりにその瞳を見つめた。
その目は瞳と同じように赤くなっている。
俺はなんとなくそうしているのが恥ずかしくなり、もう一度抱きしめた。
そして、頭に手を回して、耳元でささやいた。
「俺がお前を一生守ってやる。必ずだ」
俺はベッドに戻り、肩口がかぴかぴになっていることに気が付いた。
◇◇◇
朝食前、瞑想を終え部屋で本を読んでいるとミルウーダが入ってきた。
「ノックぐらいしたらどうだ」
「いえいえ、気にしないでください。ジャック様」
「気にするのは俺だろ」
俺が本に目を落とすと、ミルウーダはベッドに腰を下ろした。
「ジャック、今朝言ってたこと」
「今朝?」
「一生守るって」
俺は、右斜め上を見ながら思い出す。
「聞いてたのか。うむ。俺のせいであいつに大迷惑をかけてしまった。雇用主として、あいつの人生を最大限修正してやりたいと思ってな。その宣言をしてきた」
そういうとまた本に視線を落とした。
「やっぱり、十歳男子にその言葉の意味考えろってのが無理だよね……」
そういうと、わざとらしい大きなため息をついてみせた。
なんかわからんが腹立つ。