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23 夏の日差しが落とした影

 抜け殻のようになったわたしの手を引くと、ホテルの外に出る。ちくちく突き刺さっていた好奇の視線から開放されてようやく顔を上げると、空からは焼け付くような夏の日差しが降ってきた。


「さあて、どうしようか」


 さっぱりした様子でそう言う上原くんの手の上には、拓巳が放り捨てるようにしていったビロードの箱があった。


「慰謝料払うって言っちゃったか」

 

 我に返ったわたしは青くなる。勢いであんな風に言ったものの、預金はどのくらいあっただろうかと焦る。指輪代だけでもそう簡単に払えるような額ではないだろう。

 そして上原くんの「俺が払う」という発言だってきっとハッタリだろうと思った。だって定職についていない人がそんなにお金を持っているはずがない。少なくともわたしの常識の中ではそんな人は居なかった。


「ごめ、ん、わたし大きなこと言っちゃったけど、そう簡単にお金返せそうにない……馬鹿だよね」


 眉を下げると、上原くんは笑ってまた言った。


「いいや、負けるが勝ちってこういうことかなって思った。さすが加奈子さん。でも、それ俺が払うから」

「え、だめだよ。これはわたしの問題だから。きちんとしたい。なんとか……なんとかなると思うし」


 預金解約して、失業保険注ぎ込めばなんとか。

 難しい顔で唸ると、上原くんは苦笑いをした。


「そんな難しく考えないでもいいんじゃないの」

「え、でもこれ軽く100万はするよ」

「うん。だけど手元・・には残ってる。だからまず、この指輪は罪のない現金に替えてしまおう」


 上原くんはスマホを出すと質屋を探し始める。見つかるとすぐに移動を始める。

 売っちゃうの!? と決断の早さに焦っていると、歩きながら彼は言った。


「戻ってきた現金をあいつに返すとして。足りない分は、俺が払う」

「だから……それはだめ」


 意地でも譲らないつもりで首を振ると、上原くんは「加奈子さんを手に入れるための手数料だから、俺に払わせて」とこちらも譲らない。


「だから手数料って言っても、差額って一円や二円じゃないよ……?」


 だんだん頭がふらふらとしてきた。軽く言っているけれど、そんなお金、どこにあるのと訴えたくなる。フリーターと無職。未来は暗い。


「上原くん、その前に一緒に仕事探そう? で、地道に借金返そう?」


 わたしが言うと上原くんは「使う暇ないから、貯金はかなりある」と肩をすくめた。


「で、仕事も、いくつか応募してる。ただ、どうしても福岡からは離れないといけないかも。あと上を狙うなら転勤も結構多くなるけど……あ、加奈子さん、海外平気?」


 海外という言葉があまりに上原くんにそぐわなくてぎょっとする。


「え、転勤って、海外って……上原くんって――どんな仕事してるわけ?」


 日雇いのようなものを想像していたせいか、職種さえ聞かなかった。いまさらな質問に、上原くんはもうちょっと自由で居たかったんだけど、とバッグの中から封筒を出した。


「ひとまず、大学と、国立の研究所の研究員狙ってる」


 パンフレットの一つにわたしはくぎ付けになる。


「理化学研究所……?」


 それ、少し前の騒ぎでニュースでよく聞いたような。


「俺、今、ポスドクやってんの」

「ポスドクって?」

「博士研究員。えっと、博士号持ってる、研究員」

「博士……はかせ!?」

「理学博士ね」

「だ、大学の、先生とか?」


 上原くんは曖昧に首を振るとそのままかしげる。


「今も大学にいるけど、ポストに付くと学生さん面倒みないといけないし、雑用も増えて研究進まないから、ふらふらしてたんだけど、さすがになー、歳も歳だし潮時っていうか。今の研究室は好きなことさせてもらえて気に入ってるけど、契約社員みたいなもんだから、研究費次第でいつ契約切られるかわからないし。一人ならそれでよかったんだけどさ……」


 上原くんはそこで言葉を切ると、


「俺、加奈子さんのためなら、ポスト、手に入れるよ」


 すごく大事なことを言われている気がしたけれど、言葉が一部理解できなくてわたしはうなずけなかった。


「ぽ、ポストって?」


 さすがに郵便ポストじゃないとは思うけど。


「あぁ」


 上原くんは右眉を上げると、言い直した。


「常勤の職のこと。ひとまずは助教、次に准教授。いずれ教授になれればいいなと、思ってます」


 いかがですか? とお伺いを立てる上原くんにわたしは目を丸くする。


「いかがって言われても」


 これは一体何の問答だろう。なんだかプロポーズみたいだけど、全然ロマンチックじゃないせいで戸惑う。というか、ここで頷けばまるで職につられているようで、頷けません!


「美砂ちゃんが言ってた、加奈子さんああ見えてがめついって。フリーターと結婚とか絶対考えない人だって」


 美砂ちゃん! なんてこと言うの!


「ふ、フリーターでも、わたしが働くし……」


 上原くんと一緒になれればそれでいい。と反論しかけるけれど、上原くんはあっさり遮った。


「そういうわけのわからない無理は、俺にはしなくっていいって。フリーターとか俺でも冗談じゃないって思うし」


 わたしは撃沈する。結局無理のない程度に言い直す。


「無職やフリーターじゃなければ、全然大丈夫です」

「ん」


 よく出来ましたとでも言いたげな、満足そうな上原くんは、じゃあ、行こうか。と手を差し伸ばす。


「どこに?」


 と尋ねると、彼は薬指を指差しながら「質屋は後回しで、ひとまずデパートかな」と言った。


「指輪、気にいるのがあればいいけど」


 この足で行くんだ? と思ったけれど、なんだか上原くんが珍しく急いているので彼のしたいようにさせてあげたくなる。というより、わたしが今すぐにでも欲しいと思った。彼のものになったという証を。


「気にいるよ、絶対」


 だって、上原くんに貰えれば、なんだって嬉しい。条件なんか付ける必要が無いとわたしは思う。

 手を握り返すと、彼はわたしと歩調を合わせて歩き出す。

 夏の日差しが落とした自分の影が、踊るようだった。


 了

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