肉食獣の語る愛
「狼男を愛してしまったのです」
両の指を組み告白すると、ほう、と女は驚きの声をあげた。
朽ちた建物はバブル時代の遺跡である。硝子も割れて風がどんどん吹き込んでくる三階にて、女が二人。一人は月を背に、埃にまみれた机の上に座り、一人は砂が敷き詰められた床の上に膝をついていた。
「まさかこんな科学と機械の世の中に、狼男がいるとはねぇ」
「貴方だって魔女でしょう」
月を背にした黒いローブの女は、くっくと笑うと床の上の彼女の言葉を否定した。
「いいやぁ、魔女だと思ってるのは君だけさ。私はただの営業職。足を棒にして、日々をお客様巡りで潰すしがない社会人さ」
「お客様に敬語を使わない営業職なんて」
「フレンドリーが売りなんだよ」
またしても、くっくと馬鹿にしたように軽く笑って見せる魔女に、手のひらのうえのような不快感を覚えた。
魔女が現れたのも、彼女が双眼鏡で夜の森を眺めていたときだった。魔女は唐突に背後に現れたのだ。やぁ、お客様、貴方の願いを叶えよう。思わず双眼鏡を取り落として、がしゃんと派手に壊してしまった。そういえば、これは請求すれば弁償してもらえるのだろうか。
しかしこのまま漫才をしていてもキリがない。そう判断した彼女は魔女に問いかけた。
「じゃあ貴方は何を売っているの? 私はお客様なのでしょう?」
「そりゃあ貴方の思うがまま。惚れ薬もあるし、病を治す薬もある、人間の姿に変えて固定させる薬ってのもあるし、彼の言葉がわかる薬もある」
「まるで薬売りね」
「魔女は薬草を調合するのが得意なのさ」
先ほどは魔女を否定したのに今度は魔女と肯定する。闇のように掴み所がなくて、不安な気持ちにさせられる。不安で、不愉快で、心を掻き毟られる。目が見えないのも不安材料の一つだった。彼女は今、口元は笑ってはいるが、本当の表情は如何なものなのだろうか。
「なにができるの」
「なにがしたいんだい? 恋の成就なら惚れ薬かな? それとも縛るなら必ず孕む薬もあるよ」
「……狼女になる薬は?」
「あるよぉ」
にこにこと女が笑いながら取り出したのは、黒い小瓶だった。なかにはサプリメントが入っているようで、揺らすとからからと音が鳴った。
狼男である彼を、人間に固定する方ではなく、人間である彼女が狼女になることを選ぶ。そこから彼女の月がみてとれる。彼女の視線は、魔女の小瓶へとしっかりと注がれている。
「それを飲めば……」
「残念。これはまだ完成じゃないのさ。月下水と狼男の血が必要……月下水はあるから、残りは狼男の血だけど、心当たりはもちろんねぇ?」
「……彼から、貰うわ」
「そいつは重畳。ならば値引きにでもしておくよ。そうだね、君のそのイヤリングでいいよ」
「わかったわ」
そして彼女は小さな純銀のイヤリングを外し、魔女に手渡した。魔女は受け取ると、どうも、と引き換えに小瓶を手渡した。彼女が黒の小瓶を月明かりに透かしてみれば、三つの固形のサプリメントが入っているのが見えた。
「そいつにね、月下水を浸して一日、それから狼男の血を一滴以上で完成さ」
「狼男の皮膚って、ナイフで大丈夫かしら」
「大丈夫さ。ちょっと切って強奪してしまえばいいのさ」
「そう、なら家の果物ナイフを持っていくわ」
恋する乙女は大変だねぇ、と黒い魔女は茶化した。それを無視して彼女は小瓶を大事そうにタオルで包むと鞄の中へと仕舞い込んだ。
「そういえば、彼は狼女になったら喜んでくれると思ってるのかい?」
「知らないわ。だって彼は私のこと知らないもの」
満月の夜に、肉食獣は微笑んだ。
『サプリメント、満月の夜に』
以上、2つを使用しました。
恋する女は肉食獣。