遠い約束が君を生かす
「彼女は忘れてしまったのだろうか、僕のことを」
「おや、会いに行きたいんだね?」
黒い服の女性が、僕を見て笑っていた。
新学期も始まって、クラスメイトは日焼けして夏の思い出を語っていた。しかし俺は、本当は語らうはずだった相手をなくして、どうしたらいいのか、わからない。
転校していった俺の彼女は、私のことを忘れて、と言って去って行った。遠距離恋愛がうまくいかないなんて、散々周りから言われていて、それでも諦めきれ なかったのに。最後にはこれだ。どうにか食い下がろうとも、彼女が転校するという事実は変えようもなく、たかだか一介の高校生である俺には手紙を送るとし か言えなかった。
祭りは浴衣の人とすれ違うだけだった。
海は電車の窓から見た。
BBQは人伝いにあったことを聞いた。
花火は家で音だけ聞いた。
本当は彼女と一緒に過ごす予定だったのだけれども、それも全部パーだ。手紙を送った、けれど音沙汰はない。向こうに馴染もうとしているんだと、心配にもなる。それでも怖いのは、彼女が忘れてしまった可能性だ。
「じゃあ、向かってみれば? これぐらい、僕の助けがなくても行けるだろう? 高校生」
「ダメなんだ、俺には彼女の居る場所が分からない」
しょうがない、ぼっちゃんだねぇ、と黒い服の女は、やれやれ、といった風にため息をついた。
「サービスだ、教えてあげよう。彼女の居場所。ほうら、一度しか言わないよ、紙とペンを持って……」
その言葉に、俺は慌ててノートとペンを取り出した。
放課後の教室に、明らかに不審者の女と男子生徒。見る人が見れば訝しむのだろうけれど、幸いなことに人はいない。もしかすると、人が誰も通りかからないのは、この魔女のせいかもしれない。
「魔女だなんてひどいなぁ、僕は人を助けるためにここにいるんだ」
「あっさり人の心を読んでおいて何を言うか」
魔女の言った住所をメモして、立ち上がる。どこに行くのかと問われれば、帰る、の一言に尽きる。
「なぁんだ、若さに任せて突撃ー! じゃないの?」
「行き方とか、運賃とか調べねーと行けねーし」
「思いのほか現実的だね。夢想少年」
「うるっせいやい」
幸いなことに、次の日は土曜日だった。
あるいは魔女はそれすらも計算して俺に声をかけたのだろうか。聞いてみれば、さぁね、とくっくと笑って誤魔化されてしまった。人ではないこの人に、俺はかなうのだろうか。……多分、かなわない。
「他の人に見えるんじゃあ?」
「見えるわけがないだろう、僕は君の影の中にいるというのに」
朝、出かけようとした途端に、とぷん、と水音がして後ろに引っ張られた。影がいつもより重たくなっていた、そう言ってもなかなか理解してはもらえないだ ろうけれども、たしかに重たかった。首をかしげていると、魔女が囁いたんだ。君の影に間借りさせてもらうよ、と。賃金取るぞ、と言ってみれば、昨日の住所 の情報代ってことにしておいてくれよ、と言われてしまった。仕方がない。
電車に揺られて到着してみれば、俺たちの町よりももっと、ずっと都会だった。うっかり突っ立っていれば、他の人にぶつかられて、体勢を崩す。ぶつかってきた人は、チッと舌打ちをするとそのまま去って行った。
「都会の人間は冷たいって思うかい?」
「そうだな」
「はっは、夢想少年よ、君の呼び名は蛙にしよう」
「人間ですらなくなったのかよ」
俺も舌打ちしたが、ただのガラの悪い少年になってしまった。ああ、これではいけない。俺は彼女に会いに来たのだ。
笑顔で会いに行かなければ。
ぐに、と頬を柔らかくして別の電車に乗り込んだ。
都会にいると、彼女の心は荒んでしまう。
「ああ、あっちだよ。ほら、そこだ」
魔女に言われて、視線を動かしても俺は彼女を見つけることができない。黒髪の、ポニーテールの、優しい目をした……。
「何言ってるの? あの茶髪のゆるふわミニスカでしょ?」
「おい何を言って」
「金髪チャラ男と仲睦まじげに、ねぇ夢想蛙」
「あれが彼女なわけ」
「夢想蛙」
「うるっせぇ!!」
走った。
必死に走った。俺は、俺は、あれが彼女だなんて認めない。絶対に。
そう、あれは彼女じゃないんだ。
なんで変わってしまったんだろう、俺がちゃんと愛してやれなかったのかな、好きっていっぱい伝えたんだけどな、もっと抱きしめればよかったのかな、泥だらけになって花を取ってきたときにはわらってくれたのに。
「悔しい?」
「…………」
「時が戻せたらなぁって?」
「…………」
「戻せるよ」
「……本当か」
「おや、ようやく反応した」
魔女が笑った。
暗い場所で説明すると言うので、そのままとんぼ返りして俺の自室でカーテンを閉め切った。ようやく登場できる、と羽を伸ばした彼女に、俺はどういうことだ、と詰め寄った。けらけらとそう急ぎなさんな、と一笑に付しただけだったが。
「昨年の秋に戻してあげよう。君たちが付き合って二週間ぐらいの時だ」
「……こういうときって代償があるんじゃないのか?」
「んー? 君の都会での彼女の変容っぷりを見た時の絶望でお釣りがくるからいいよ」
そうして、俺は。
魔女と契約したんだ。
「あかり」
「なぁに?」
体育祭で一位をとったその日に、告白した。
今日は三回目のデートの日だった。その日の帰り道に、俺の意識は付着した。どうやら、魔女の術式は無事に成功したらしい。
「俺、お前のこと、幸せにするから! ……約束する」
「……そうお?」
「そうだよ、指切り、しよう」
あまり乗り気ではない彼女の左手を掴んで、指切りをする。
魔女曰く、三日もすれば契約のことは忘れてしまうらしい。だから、日記には最低限『彼女を絶対に幸せにする!』は書いておこうと思う。未来を忘れても、その一言を守れば、そうすれば。来年の夏が過ぎても、あかりとの繋がりは消えないはずだから……。
「はいはい、これで術は終わりー。いやぁ、なかなか諦めないね、彼も。記憶を消しているとはいえ、通算二十八回目だよ。ま、僕がいなきゃこのあと自動車事故であっけなく死ぬから世界の捻じれも問題ないし、本人も希望だらけだし、幸せだよねぇ」
魔女は笑う。どうかしたの? と聞かれて、いやいやなんでもないよ? と彼女は首を横に振った。
「ところであかりちゃん。僕の魔術気に入ったぁ?」
「えぇ、おかげでステキな彼氏ができちゃった! 田舎臭いのより、ずーっと私をきれいにしてくれるわ!」
「そうかい、じゃあまた、御贔屓に」
「もうお世話にはならないわ。彼とは添い遂げるから」
「……ふぅん、そう。『お幸せに』」
『転校生、指切りげんまん、夏は遠い』
以上3つを使用しました。