呪いのための一輪
「体から、花が生えてしまったんだ」
「ははぁ、これは女郎花だねェ」
くっくと女は愉快そうに笑った。
山奥の廃屋に、怪しげな物売りがいる。
そんな噂につられてふらふらとやってきた男は、自分自身でそんな噂話にすら縋ってしまう弱さを笑った。しかし噂は真実であった。廃屋に入り、辺りを見回していれば、懐中電灯が「偶然」電源切れとなり、これまた「偶然」近くの蝋燭に明かりが灯った。
「いらっしゃいませ、お客様」
黒い女が笑っていた。
ははぁ、これは厄介だねェ。皮膚の下から生えている。抜いても抜いても生えてきたことだろう。女はそう言って、女郎花とか言う花を突いた。痛みは感じないが、違和感だけが皮膚の下でごろりと転がった。確かにそうだ、と首肯した。この花は、何度抜いても生えてくる。
「ふむ、君はきっと忘れてしまったんだねェ。大切な約束を。だから、生えてきてしまったんだよ」
「そんな、馬鹿な」
「馬鹿だと笑うなら、それでいいさ。でもねぇ、馬鹿みたいに花を生やしたやつが何を言うのさ」
黄色い花が揺れる。
「で、どうしたいんだい? お客さん。思い出すまで、待ってみるかい? それとも無理やり抜いちまうかい?」
「抜けるのか?!」
「まぁ、抜けるけども……正直、おすすめはしないなぁ。なんで生えているのか忘れてるんだろう?」
「そんなのどうだっていい! こんなの邪魔なだけだ!!」
「女郎花はねぇ、花言葉を『約束を守る』って言うんだよ。いいのかい?」
「体から花を生やしてまともに生活できると思ってんのか? 生きるために、こんなの不必要なんだよ……いいから、取れよ。金なら払う」
女は、溜息をつくと、お代は要らないよ、とだけ伝えた。
男が訝しむような視線を投げかけると、ため息をついて、アフターサービスさ、とだけ伝えた。もしかして、何か関係しているのかと問いたくなるも、それよりも先に女がまた口を開いた。
「勘違いをしてはいけないよ。それは……僕が棚卸したものだけど、僕が君に植え付けたものではない。責めるべきは、もっとほかの奴さ」
そうして、ビー玉を一つ渡してきた。
眺めてみれば、透明感があり、光の角度によって色彩を変える不思議な物体だった。
「飲みなよ」
「ビー玉を?」
「それは薬だよ……それでもね。紫陽花から作った薬でね。……そう、『嘘つき』のための薬さ」
「嘘なんてついてないぞ?」
「……そうかい。自分のタイミングで飲みなよ。水なし一錠、さ」
男は逡巡したが、一錠飲んだ。
すると、みるみる花が萎み、はらりと枯れ落ちてしまった。
「体に異常は?」
「……ない。ない! 今までは痛かったのに! 平気だ!! すごいなあんた!!」
「そりゃどーも。ところでもうこれで店じまい。帰りなよ」
「つまらなさそうだなぁ、すげぇなあんた」
「お褒めの言葉は要らないよ。ほんとう、警察が近づいてきてるから、早く君も出ていきなよ。ここ、死体があるから危ないよ」
「……は?」
じゃあね、と一言だけ残して、黒い服の女は二階だと言うのに窓から飛び降りた。男が慌てて窓に近寄って見ても、もう下には誰もいなかった。その代り、下の方にいくつもの懐中電灯らしき灯りがふわふわと揺れるのが見え、自分も撤退を決めた。
「可哀そうに」
女は枯れ果てた女郎花を掘った穴に埋めた。背後で何人もの人が、死体に驚く声が聞こえた。あの廃屋の、壊れたベッドの上には、少女の死体が一つばかり置いてある。それは他でもない、女が置いたものだ。
彼女の魂は、一輪の花となった。一本の女郎花。彼と繋がっていた女郎花。
解毒作用をもつ女郎花になってまで彼女は彼を救おうとした。彼を蝕む毒を吸いだそうとした。それこそ、命がけで。
ところがどうだ。当の彼は辛いから、とその記憶を無自覚に封印して邪魔だと言ってしまった。
「お願いだから、思い出して。花を見るたびに、私のことを、少しだけ。君の呪いが解けた時には、忘れてしまっていいから」
「ああ、ああ、約束だ。約束……」
「ごめんね、ごめんね、私の我儘で君に迷惑をかけた。私の罪は私が払うから」
だから女は、彼女の依頼通りに現状を解決する手段を提供した。
ねぇ知ってるかい? 彼はもう、他に女を作ったんだよ。君のことなんて、これっぽっちも覚えてなんかいやしないんだ。
「呪いはまだ、解けてはいない」
女の呟きがきっかけになったか、女郎花を埋めた部分から泥が、あふれてこぼれた。ごぽごぽびちゃりと出たそれは、意思を持ってうねり、ある方向へと向かっていく。
「もうこの街に僕はいないよ。今宵の君の夢は、間違いなく悪夢だったことだろう」
せいぜい、頑張れよ、若人。
女は吐き捨て、白む夜に消えていく。そうして、夜明けがやってくる。
『夜明け、あふれてこぼれた、女郎花』
以上3題、お借りしました。