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投光器を我が手に

 スポットライトを浴びているのは、私ではなく、いつもあの子だった。

 私はステージの光の当たらない裏方から、彼女を、彼女たちを、羨ましげに見ているだけなのが常だった。

 牡丹のような赤色に透明感のある白のフリル、華やかなドレスを身に纏い、彼女はワルツを踊る。手を握り、共に中央で舞うのはこの劇団一番の二枚目。看板女優と看板俳優のワルツのあまりの美しさに客席はみな、ほぅ、と息を漏らし、自分たちとは一つ違う世界に彼らが存在するように思ってしまうのだ。


 ああ、羨ましい。


 二人のワルツを彩るカスミ草にすらなれない私は、カーテンの裾を握りしめ、歯ぎしりするしかないのだ。主役の少女に嫌がらせをする下女の役なんかではなく、もっと、もっとスポットライトの中央に立ちたい。観客に、私の一挙一動を目に焼き付けてほしい……!

 私も、アヤも、同時期に劇団に入った。彼女の方が可愛いのは知っている、私にだって分かっている。それでも、劇団にいる以上必要なのは顔だけではなく演技力だと思っている。演技力ではアヤよりも私の方が優れていると自負していた。

 なのに!

 みんなアヤの方が可愛いからってちやほやちやほや、彼女の方が私よりもいい役、彼女の方が私よりも台詞が多い、彼女の方が舞台に出る回数が多い! 必然的に彼女の方が私よりも観客の目に触れる回数が多くなるので、あっという間に彼女は看板女優にまで上り詰めた。あれが、私だったら。私だって、所作や台詞の感情表現で観客を魅せてみせるのに。


 羨ましい。

 妬ましい。


 世の中顔だと言うのが、目に見えて発現されて、腸が煮えくり返るようだった。

 この公演も今日で三日目。何回も観ていた、私もキャストとして出演していた。ただの意地悪な脇役として。……意地悪な脇役は、この華やかなフィナーレに は登場できない。くすんだ、わざと汚されたみすぼらしい衣服を着て、彼女に唾を吐きかけた、演技をした。ああ、ざまあみろ、私よりもあんたは下だ、本当 はこの上下関係があるはずなんだ。……けれど、気分はその一瞬しかスッと晴らされることはなかった。結局のところ、彼女は世界が味方して幸せに、私は世界が敵になって不幸に。現実世界でも、架空の世界でも私は幸せになれないのだろうか。

 いろんな男性に貢がせて、飲み歩いて、着ている服もブランドもの、そんなアヤと、彼氏もできず稼ぐためにバイトをかけもちしているみすぼらしい私。


 悔しい。

 妬ましい。


 なにが? 幸せな彼女が? そう、幸せな彼女が羨ましくて、そうなれない私は悔しい。でも、なによりも、私はあのステージの中央に立ちたい。外から見ている以上に熱いスポットライトの下で、汗だくになりながらも辛い素振りを見せずに演じきって、拍手喝さいを一身に受けたい。

 踵を返して、一足先に控室に戻ろうとする。私の背後では、主人公とその一派への拍手喝さいが沸き起こっていた。



「世界は、理不尽だと思わないかい?」



 そう声をかけられたのは帰り道のことだった。明日の公演のために準備を整え、帰宅するときにはすっかり日は落ちていた。家賃を抑えるために、駅から遠い アパートを選んでいた。街灯がぽつり、ぽつりと並ぶ道を歩いているのは私一人だった。そんな中で、耳元で唐突に囁かれた。私は驚き、身を竦ませて振り返っ た。


「な、なんなんですか」


 そこにいたのは、宙に浮いた女だった。


「……は? え?」

 

 人が浮いている状況、わけがわからない。私は一歩身を引いた。女はにたにたと笑みを浮かべながら、滑るように私の方へちょうど一歩分近づいた。舞台装置 のような糸を疑いたかったのだが、空には電線以外なく、そんなものに糸が付いていれば彼女は感電してしまうに違いなかった。


「世界は、理不尽だと思うだろう?」


 彼女はまた、少しだけ言葉を変えてそう言った。

 得体のしれない女が怖かった。口元が今日の空に浮かぶと同じ、とても細い三日月のようだった。黒い髪はそのまま闇と同化しそうだった。

 殺されるのではないか。

 不吉な予感が胸を貫き、私は後ずさったがすぐに背中に電柱がぶつかり、私は足を滑らせて尻餅をついた。女の手が伸びてくる。真っ白な手、それはとても細いけれど、捕まったら引きちぎられてしまう気がした。私は目を瞑る、痛いのは嫌だ。

 しかし、彼女が私を引き裂くことも切りつけることもなく、ただひんやりとした感触だけが頬に触れた。


「世界は理不尽だ。親を子は選べない、責任は押し付けられる、権力は強大だ。……そして、可愛い女は無条件にいい目をみる」


 その一言に私は目を見開いて、女の顔を見た。


「ようやくこっちを見たねぇ」


 その瞳は、赤かった。



 翌日、私は細い瓶を持っていた。なかには薄緑色の液体が入っている。私が買ったものだ、あの女から。


「いいかい、これをほんの少しだけ羨ましい相手の飲み物にでも入れればいいのさ。そうすれば、彼女は今日の公演には出られない。さぁ、どうする? 買うかい?」

「買います。いくらですか?」

「現金なんて要らないさ。別の何かが欲しい」


 彼女が私の鼻を突いた。鼻を啜ると、しかめ面ですぐに指を離した。先ほどまで恨みつらみを吐き散らしていたのだ、そのうちに涙も鼻水も出てきたのだから、仕方がない。


「なにか? いわゆる私の大事なものひとつですか? いかにも魔女らしい」

「魔女だなんて心外だねェ」


 まぁ、便利な呼び名だけれど。彼女は悲しんだような声色で言ったけれども、全然気にしてはいないようだ。


「演技に支障が出ないのであれば持っていけばいいわ」

「そう。じゃあこれは君に託すよ。これをどう使うも君次第」


 そしてさっきから私に見せびらかしていた小瓶を私の手の中に入れたのだ。私は取り落とさないようにしっかりと握りしめた。そして顔を上げた時、魔女はどこにもいなくなっていた。

 周りに何人も女の子がいる中で、私はそっと、手のひらに隠していた小瓶の蓋を取って紅茶の中に入れた。そしてハートの砂糖を一つだけ、その紅茶の上に浮かべた。トレイに乗せて、みんなの元へ向かう。


「ねぇ、みんな。紅茶入れたよ」


 アヤが紅茶が好きなのを知っている。


「可愛いお砂糖あったから乗せたんだけど、一つ以外溶けちゃって~」


 そう言って笑うと、みんなトレイの上に顔を近づけて、わぁハートだ、可愛い、どこで売ってたの? とひとしきり盛り上がり、これ誰が飲む? と当然のようにその話題に移った。私はただ、にこにこと笑み浮かべている。男性の一存で、そのカップはアヤのところに手渡された。やっぱりね。女の子はみんなその男をがっかりしたような目で見ている。と、そこへ別の子が追加で紅茶を持ってきた。こっちは数個しかハートが溶けていない。なので女の子はみんなそれに手を伸ばした。

 異変はすぐには起こらない。

 コーヒーが届いて、コーヒー派の人はみなそちらに手を伸ばした。

 効果は、もうすぐ開演というときに起こった。


「大変! アヤちゃんが!!」

 

 血相を変えた女の子が飛び込んできた。周囲が一斉にざわめく、どうした?! という団長の一言に、女の子は震えた声で言った。


「アヤちゃんから、緑の液体が……」

「……これが」

 

 これが効果か、と口を押えた。ああ、不幸な、なんて不幸な!!

 私は笑い出しそうになるのを堪えて、まるでその様子を想像して吐き気を催したように蹲った。

 主演女優のピンチに私に構うことも、心配する人もおらず、私は悠々と周りの様子に聞き耳を立てることができる。そこから彼女の様子はすっかりと分かった。

 彼女は唐突にお腹を押さえると、ごぼごぼと泡立つ緑の液体を吐き出したらしい! 蛙のように引きつった声をみっともなく吐き散らしながら、溢れる緑を止められず、白目を剥いて! 蹲って! 惨めに涙を流しているらしい!!

 聞けば聞くほど愉快な気持ちが湧き上がってくる、ざまあみろ!

 ああ、そして……待ち望んでいた靴の音。気取った革靴が廊下を鳴らす。

 団長がやってくる。

 さぁ、私を、私を指名して! 知っているわ、彼女の台詞はすべて覚えている! だから! 私を!


「カナ。いけるな」


 ……え? 慌てて顔を上げると、私ではない別の子が指名されていた。カナは神妙な面持ちで――いいえ、私にはわかる、彼女の眼は喜びの色で満ち満ちている!! ――団長の言葉に頷いた。どうして? なぜ? 私は混乱する。私の方が優秀なのに! 私よりも演技できないその子を選ぶだなんて!!


「メイ、どうした? 急げ」

「……あ、あああ、あ、うん」


 よろめくように立ち上がる、主演に指名されたカナは申し訳なさそうにしていたけれど、同類の私には分かる。彼女はとても嬉しがっている。これから彼女はきっ と、拍手を一身に受ける甘美な瞬間を味わうのだろう。……それも今日の一瞬だけだ。私は手の中の小瓶をそっと仕舞いこんだ。

 彼女にも、またこの一滴をプレゼントしてあげればいいのだから。

 私からこのチャンスを奪い去った彼女へ罵倒するために、ふつふつと湧き上がる怒りを心の壺に入れ込んだ。

 今日も公演が始まる、スポットライトを私が浴びれるのはいつの日か。


『渇望・狂い踊るワルツ・ステージ』

以上3つを使用しました。


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