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第8話

 とりあえず食事を済ませた私たちは店を変えてデザートを食べることにした。

 ガラスの向こうでバドルがフィルターをふかしている。注文したパフェが運ばれてきて、早速生クリームを頬張った私をタマキはじっと見ていた。

「……何?」

「いや」

 タマキは首を横に振り、パフェを食べ始めるがまたすぐにスプーンを置いて話し始めた。

「私、タケヒコと会ってるときは悪いことをしてるなんて思ってなかったんだよ。本当に好きで、普通の恋愛を楽しんでいるつもりだった」

 私は黙ったまま頷いた。何の話をするつもりかはわからないが、私が自分のことを話して聞かせた以上、私もタマキの話を聞くべきだと思う。

「トモコさんが私のところへ来たとき、怖くないと言えば嘘になるけど正直、勝ち目があるというか……相手にならないだろうと思ってた。この場だけ上手く誤魔化して言い負かせることができればまたあの楽しい時間が過ごせると思ってたから」

 最初から臨戦態勢だった理由を語ったタマキは自嘲気味に微笑んだ。

「でも、トモコさんは私と勝負する気はなかったから……当然だよね。トモコさんにとって私は対等な立場じゃなかったんだから。私はタケヒコに選んで貰えなかった。その時点で既に負けていたのに、直接対決して勝つことができればその事実をなかったことにできるかもしれないと勘違いしてたんだよ」

「こういうのは勝ち負けじゃない……と思うよ。私の立場で言うのも変だけど……」

 私がしどろもどろになりながら言うとタマキは少し眉を寄せた。

「そうかもね……そもそも恋愛を勝ち負けで考えていた時点で私が間違ってたんだ。さっきトモコさんがタケヒコのことを話しているのを聞いて、敵わないと思い知らされたよ。私が入り込めるような隙はなかった。自惚れていたんだよね、私」

「お友達と同じように恋愛がしたかっただけなんだってことはわかるよ。でも既婚者はルール違反だよ」

 私が笑いながら言うとタマキは苦笑いして耳まで赤く染まった。

 フィルターを吸い終えたバドルが店内に入ってきて着席した。

「何だ。結局丸く収めたのか」

「そうよ。何か文句あるの?」

「ない。俺はそいつに関しては満足した。もう用がない。煮るなり焼くなり好きにすればいい」

 バドルが悪魔のような笑みを浮かべたのを見てタマキが背筋を震わせるのを感じた。

「私もいいかな。元々、ちょっと痛い目にあわせて懲らしめてやろうと思っただけだし。ついでにバドルのお仕事になればいいかなってことで来たんだけど……色々話したらすっきりしちゃった」

「……ツツリヒメ様の舌打ちが聞こえてきそうだ」

 バドルが苦々しく呟いた。あの偉そうな態度の神様がつまらなそうに眉間にしわを寄せて舌打ちしている様子を想像して思わず笑った。

 それから私たちは店を出て別れた。

「ねぇ、慰謝料は? どうなるの?」

「別にいいよ。払ってくれるっていうなら受け取るけど、お金ないでしょう?」

「うん……でも、バイトして必ず払うよ。すぐには無理だけど」

 しかし、それだけのために連絡を取り続けるというのも面倒なことである。許すことに決めたとはいえ、夫の浮気相手だ。あまり繋がりを持っていたい相手ではない。

「うーん……バドル、どうしたらいいと思う?」

 腕組みをして横目でバドルを見る。困ったように私を見つめ返したバドルは、明らかに面倒臭いといった溜息をついて首を振った。

「仕方ない……乗りかかった船だ。俺が橋渡し役になってやる。回収までの期限を決めろ。取り立てに行ってやる」

 タマキが私を見る。私に決める権利があると思っているのだ。

「あなたが決めていいよ。あなたが犯した罪の金額なんだから。その罪を既に許してしまった私には決められない」

 だが、学生に稼げる金額として非現実的な金額は約束させられない。それに折角自分で稼いだお金を全額、私のために貯めておくというのも辛いだろう。学校やアルバイト先のストレス発散に遊びも必要だ。

 とりあえず毎月稼げる金額を仮定してその中から貯める金額を決定した。そこから数年で貯めることができる金額を提示するとタマキは焦って首を振った。

「それじゃ少な過ぎるよ。毎月貯める金額、もっと増やそうよ」

「でも、もし病気や怪我で仕事を休まなければならなくなったらその分、収入は減るのよ。期間は限られていて延長は許されない。どうやって足りない分を取り戻すつもり?」

 言葉に詰まったタマキが次の言葉を発しないうちに決着をつけた。

「決まりね。あなたはこれからアルバイトをして学校を卒業するまでにその金額を貯める。多い分には勝手にすればいいし、少ないからと言って私は文句を言わないと約束する。バドルが回収に行くのは学校を卒業する日ということで」

「貯まってなければそれでもいいぜ。焦って慌ててくれた方が俺にはありがたい」

 そう言うバドルを肘で小突く。余計なことを言って話がこじれるのは避けたい。

 私たちの様子を見てタマキは恐る恐る聞いた。

「あのさ……二人はどういう関係なの? 友達?」

 私は頷いた。

「そうね。ううん、違うかも。私は利用されてるのよ。悪魔みたいな天使に」

「さぁな? どっちが利用してるんだか」

「お互い様でしょ?」

 私たちは顔を見合わせた。知り合い以上友人未満のこの関係は他人からどう見えているのだろう。

 タマキを駅まで送っていき、私はまたどこかへ行くことにした。

 駅へ向かう途中、私はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「あのさ。ちょっと嫌なこと聞いてもいい?」

「何でも聞いていいよ」

「夫とホテルまでは行ったんでしょう? どうしてそこから何事もないまま引き返すことになったの? 何かあった?」

 ずっと気になっていた。ホテルまで行ってしまったのなら、もう腹は括っているはずだ。それなのに夫はそこで引き返してきたと言った。

 聞いたときは相手が嫌がるような素振りを見せたから怖気づいたのかと思ったのだが、タマキと話しているうちにその予想が間違っているような気がしてきた。

「本当に何もないまま引き返してきたのよね?」

「それは本当だよ。約束する。ホテルに着いて、駐車場で話をしてたの」

「何の話?」

「名前の話。本当は何て名前の人なのかお互いに知らないよねって話をしていて……私たち、ゲームの中の名前でお互いを呼び合ってたから」

 そこで何か思い出したようにタマキは立ち止った。

「その話のとき、少し怒らせちゃったみたいで黙りこんだんだよね。それで急に帰ろうって言われて」

「名前の話? それだけ?」

 タマキが頷く。私は首を傾げた。

「私が先にタマキって名乗ったら、彼がタケヒコって教えてくれて。私が家ではタマって呼ばれるんだよねって言ったら、家ではタケちゃんって呼ばれてるって」

「……それで?」

「じゃあ私もタケちゃんって呼ぶって言ってたら急に不機嫌になって『違う』って怒って、『その名前で呼ぶな』って」

「違う……?」

 どういうことだろうか。何が違うというのだろう。

 駅でタマキと別れ、私とバドルは再び車のあるところへ戻ってきた。

 後部座席に座り、足を伸ばしてくつろぐ。一日動きっぱなしだったせいか、少し眠い。目を閉じて動かないまま私は聞いた。

「ねぇ、バドル。違うってどういう意味?」

「俺が知るかよ。呼び名に慣れなかったんじゃねぇの?」

 思わず目を開いた。急に振り向いた私を見てバドルが驚いたように身動ぎした。

「バドル、ちょっと私のこと“トモちゃん”って呼んでみて?」

「はぁ?」

「いいから早く」

 鬱陶しそうに溜息を吐いたバドルが私に体を向け、顔を見つめてくる。私も体をまっすぐにし、バドルの顔を見つめ返した。

「トモちゃん」

 バドルの少し掠れた声が私の名を呼ぶ。それは確かに私の名前であるはずなのに、別人を呼ばれたような気がした。こうやって正面から呼びかけられていても、私を呼んだとは思えない。

 私のことをトモちゃんと呼ぶのは夫だけ。夫のことをタケちゃんと呼ぶのは私だけだ。他の誰かがその名で呼んだとしても、それは私の名前ではないからきっと振り向かない。

「うん。違うなぁ」

「何なんだ」

「全然違うんだよ。バドル」

 私は少し嬉しくなって浮かれた表情をしながらそう言った。

 夫もタマキに呼ばれたとき、同じ気持ちになったのだろうか。家族だけに許された特別な名前。それを家族ではない他人が呼ぶことへの違和感を感じたから私のところへ戻ると決めてくれたのだろうか。

 あれだけ時間と手間をかけて用意したものが目の前にあったのに、怒ってすべてを無意味にしてしまうほど名前を呼ばれた違和感が彼にとっては重要だったのだろう。

 そういう風に考える自分は他人から見ればお人好し過ぎると笑われるかもしれないが、私は嫌いじゃない。

「帰ろうかな」

 呟くように言った私をバドルが鼻で笑った。

「家出はもう終わりか?」

「ううん。実家に一度帰るよ。シャワーも浴びたいし、汚れた服も洗濯しないといけないし、もしタケちゃんが私に謝りたくなったとき、どこにいるかわからないと困るでしょ?」

「許すのか?」

「まさか。まだ許さないよ。でもタケちゃんが私と家族をやり直すためにタマキちゃんに怒って帰ってきたんだとしたら、弁解を聞いてあげられるくらいの余裕は持っていたいよ」

「甘い顔をしたらまた同じことを繰り返すかもしれないぞ」

「そうならないように厳しい罰を与えようと思ってる。女の子と二人きりになるたびに思い出すような怖い思いをね」

 震えあがるほどの罰をと考えてツツリヒメのことを思い出した。記憶を甦らせるだけで背筋が凍る。

「ツツリヒメのところへ連れて行って怒ってもらったら、二度と浮気なんかしなくなるかな?」

「……あの方がお怒りになったところで無事に帰って来られるなら、だが」

 バドルが困ったように苦笑した。ツツリヒメは本当に気まぐれな神様だ。怒ったついでに山の中に死ぬまで閉じ込めてしまうくらいはする可能性がある。

「戻って来ないのは困るから、やっぱり自分で考えるよ。でも、またタケちゃんが浮気しても私にはいいことが一つあるよ」

 私が微笑んでそう言うとバドルが首を傾げた。

「だってそのときはまたバドルが来てくれるでしょ? いい仕事になるもんね」

 それを聞き、砕けて笑ったバドルは首をゆっくりと横に振った。

「馬鹿言うな。もう来ないよ。お前に振り回されてばっかりで碌に仕事なんかできてなかっただろ」

「そう? 残念ね」

 私は肩を落としたフリをして笑って見せた。そんな私をバドルが優しい眼差しで見ているのが、夕方の陽射しに照らし出された。

「本当にトモコは変わってるな。まぁ、お前と一緒にいた時間も悪くなかったよ」

 慈しむように呟かれた言葉は私の心をくすぐってむず痒さを残し、夕焼けの柔らかくなった陽射しに溶けていった。

最終話まで読了いただきありがとうございます。

この神の或る処シリーズはこれからも続けていきたいと考えているシリーズです。

御意見、御感想を心よりお待ちしております。

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