第1話
過激ではありませんが不倫が関係するお話です。
苦手な方は引き返すことをオススメします。
私は思案していた。
立ち尽くす私の足元でリビングの床に頭を擦りつけ、許しを請う男の後頭部を踏みつけてやろうか。渾身の力を込めて蹴り飛ばしてやろうか。
髪を掴んで大根をおろすように床に顔を押し付けてやってもいい。
慈愛に満ちた笑みを浮かべ、男の肩を抱いて顔を上げるように促すこともできるが、想像しただけで吐き気がした。
今、この男をどうするかは私の気持ち次第だ。
どんな罵声を浴びせても、痛めつけたとしてもこの男はそれを受け入れるだろう。
黙ってこの場を離れ、小さなカバンに必要最小限の荷物をまとめて家から出て行けば、多少は文句を言いたそうにするかもしれないが、実際に不満を口に出すような愚かな真似はしないはずだ。
そんな想像ばかりを頭に思い描いていた。逆にそれ以外のことは考えられないし、考える気力すら湧いてこない。
体を置いて、心だけが何処か遠くへ離れて行ってしまったような感覚の中、他人事のように私の口が声を漏らしたのを感じた。
「少し、考える時間を下さい」
そう言うと夫は安心したようにも、泣き出しそうにも見える……どちらにしても情けない表情で私を見上げた。
「トモちゃん」
夫が私の名を呼ぶ声を無視して眉間に皺を寄せ、奥歯をぐっと噛みしめ、財布とケータイ、車の鍵を持って家を出た。
エンジンをかけ、車を走らせて住宅街を出ると私は途方に暮れた。
これからどうすればいい? 普通であればこういうとき、どうするの?
不意に母親の顔が思い浮かんだ。こんな話を聞かせたら心配させてしまうだろう。帰って来いと言われるかもしれない。いっそのこと、このまま車をとばして実家に帰ってしまおうか。
その後はどうする? 自問した。
きっと私は夫のいるあの家に帰らなくなるだろう。
そう考えた時、自分はまだ夫を見捨てる気がないのだと気付いた。ついでに他に行く宛てのない自分自身にも気付いてしまった。
路肩に車を止めた。涙で目の前が滲んで、これ以上運転なんかできない。
惨めな自分に乾いた笑いがこみあげてきた。とても笑えるような気分ではないのに、私は笑っていた。
やがて涙が出尽くすと喉の渇きを覚えた。泣き腫らした目でコンビニへ行く勇気はなく、自動販売機を探して車を再び発進させた。
街灯のない場所でポツリと浮かぶように光る自動販売機の前に車を止め、小銭を出しながら何を飲もうかと光の中に並ぶものを眺めた。
決断は鈍く、何かを考える気力はない。飲み慣れたコーヒーのボタンを押した。
重い音を立てて出てきた缶コーヒーのプルタブを爪で鳴らしながら車のボンネットに寄り掛かった。
一定のリズムで繰り返されるその音を聞きながら私は頭の中を整理していた。