ひとり
まだまだ忙しいです
揺れている。
バスのタイヤから伝わる小さな揺れが座席に腰掛けている私まで揺らしている。
ここはどこだろう、外はとっても明るい。
私の膝の上には原像した写真が散らばっていた。
アイツに見せる前に私の恥ずかしい写真がないか検閲しておくのだ。
―――アイツって、誰だ。
写真には私と男の子が写っている。そうだ、アイツはコイツに違いない。
二人はすごい仲が良さそうだ、女の子……私が撮ったのだろう写真がほとんどだ。後は風景を撮した写真や、私の写真。私の写真は慣れない撮影なのだろうか、ちょっぴりぼやけていたりする。
ふとバスの中を見回す、私の他には誰もいない。運転手の背中は見えるけど、こちらを振り向こうとも、息つく音さえも感じさせない。
まるで世界に一人取り残されたような気がした。
写真の瞬間を一枚一枚思い出そうとするけど、突然の痛みに集中がぶつりと途切れてしまう。
痛みを訴えたのは頭だけじゃなく、全身だった。痛みに悶えた膝の上から写真が何枚かぱらぱらとこぼれ落ちた。
小さい呻きを漏らしながら近くに落ちた数枚を拾い集めるが、一枚だけ風に流れるように遠くへ運ばれていく。
その写真は向かいの席に座る細い足にこつりと当たって止まった。
細い足の持ち主は、その足にも負けない細い腕で写真を拾うとそれをまじまじと眺め始めた。
「誰?」
彼女は首からカメラをぶらさげていた。私のカメラ、直感的にそれは理解できたのだが、体は言う事を聞かず口だけがゆったりと動いた。
「誰」
オウム返し。きっと彼女はわかってないんだ、誰なのだか。
なんでだろう、この娘とは仲良くなれそうな気がする。そう思うと私の体は自然に彼女のとなりへと移り、写真を見せ始めた。
限りなく白く淡い彼女は見せられた写真に食い入るように目を向ける。
「これは……金網をいじってたアイツの写真。これは、海かな。 好きな写真とかある?」
彼女はたくさんの写真を全て眺め終えて一枚の写真を指差した。
それはアイツの顔面どアップの写真だった。また変な趣味だな、この写真は一発芸なみの面白い写真だけど。
私は正直全部お気に入りだ。今はちょっと思い出せないけれど、全部思い出だから。
写真に目をやっていると、隣に見える膝の大きさが変わっていてズボンを履いていることに気づいた。さっきの華奢な女の子は中途半端なスカートに真っ白な服だったが、今隣にいるのはボロボロの学生ズボンに砂漠にいそうなこれまたボロボロのシャツに破れたスカーフかマフラーをしていた。
勿論小動物系女子であるはずの私は隣にいきなり知らない男性が現れたのだから硬直する。
相手は仏頂面のまま手元にある写真を見ていた。
「………ごめん」
彼はそう呟いて写真を私に差し出した。
なんで謝られたかもわからずに、私は差し出された写真を受け取る。
その写真は二人が並んでいる写真だった。
「…あのっ!」
誰なのかを訪ねようと彼の顔を見ようとした時、バスはトンネルの闇の中に入り彼の顔も見えなくなった。明かりがついていない、嫌なトンネルだ。
「ごめん、このトンネルの先には一緒に行けない」
輪郭だけがぼぅと見える影から、声だけが聞こえる。
なんで。その言葉が頭の中に生まれた、だけど今度は口が動かない。
「………ごめん」
トンネルを抜けた。闇は何処かへ去った。
彼も何処かへ消えていた。彼女も彼も、私を置き去って消えてしまった。
気づけばバスは停まっていた。
バスの正面は不自然な形に湾曲していて、フロントガラスには真っ赤な水たまりが描かれていた。少しずつ思い出してくる、それが恐かった。
写真がない、さっきの二人の写真も…全ての写真がなくなって、足元には少し汚れたカメラが転がっている。それを拾ってさっきの少女みたいに首にかけようと思った瞬間、気づいてしまった。
右腕がなかった。
左腕はついているが真っ赤に染まっている。思い出してきた、思い出してきた。
勇気を出して足をじっくりと見てみようかと思ったが、恐かった、気づかない方が良い。きっと動けなくなる。
右目も怪しい、見えてるのか見えてないのか。痛みはどこにもない、私は左手でカメラを首にかけ湾曲した出口を抜けた。酷い湾曲のしようだ、何があったらこんなになるんだろうか。
外に出ると天候もよく、足元では短い草が風に揺れていた。
潮騒の音、見えてきたのは海だった。あの写真の海だ、綺麗だなぁ…これはついつい写真に撮りたくなるよ。
一歩一歩海に近づいていく、バスと一緒に。そういえば運転手はどこに行ったのだろう、彼が運転していないのならどうやって動いているんだろうか。
端っこのちょこんと座り、二の足をぶらぶらとさせながら海をしばらく眺める。
バスはもういない。ゆっくりと海へ落ちていく。
そして最後には海面に大きな白い花を咲かせて見えなくなった。私もあぁすれば終わることができるのだろう、あぁしてしまえば。
でも、そんな気は端からない。
私は先ほどくぐり抜けたトンネルに顔を向けた。真っ暗だ、真っ暗の先には光も無い。
―――帰ろう。
無限に広がっているような錯覚すら与える海を背に、私はトンネルの中へ足を踏み入れ、そして進んでいく。進む方向を失えばもう帰り道へと復帰することはできないだろう。
せっかく思い出したこと、正直に言って忘れていたほうが楽なことだった。体に痛みが少しずつ戻ってくる。もしこの暗闇の先があの時と同じ壊れかけの、終わりかけの街なら、戻らない方がいいんじゃないだろうかな。
いろんな考えが足を引っ張る。
光が見える頃には泣いていた。
アイツといた思い出も、撮った写真も、あの時持っていた未来も、どれもこれもがあの海の底にある。
暗闇から抜ける、光を目に入れてしまうことのないように目を閉じて、光の中を数歩だけ歩いた。前が見えないからすぐにガードレールにぶつかり、まっすぐ歩いていなかった事を実感する。
ぶつけた時についつい開いてしまった眼に光が飛び込んだ。
最初は何を見ているのかまったくわからなかった。
自慢の長い髪が風に揺れ、顔にべったりとついていた赤い赤い血が粒になってどこかに消えていく。
街があったんだ、そこには街が。
でもそれは私の記憶にある大きな街と馬鹿でかい傘みたいなモニュメントじゃなくて……。そこにあったのは街だった。
広い広い…さっきの海みたいに延々と広がる草原の真ん中に、崩れてグズグズになって跡形もないモニュメントから広がる小さな集落…それがそこにはあった。
ガードレールもよく見てみるとグズグズになっていて、遠くを見ようと体重をかけたらすぐにぽっきり折れてしまった。幸いにも滑り落ちる斜面にも草がぎっしりと生い茂っていて痛い思いはほとんどせずに済んだ。
ちょっとした時間をかけて草の海に落ちた私はその暖かい温度に触れ目を覚ます。やっぱり片腕がないと動きづらい。
あの集落にはきっと人がいる。
急いで向かってみようとした私の視界の端にぽつんと小さなものが写りこんだ。
それは崩れてもうちょっぴりしか残っていない壁。そこには二つの影が腰を下ろして目を閉じていた。
―――あそこだ。
一番強い力で私の進路は変えられ、その影に向かって走っていく。
残った左腕が光の粒になっていく。泡のように空気に空に世界に溶け、跡形もなくなっていく。
脇腹から、右足から、左足から、胸から、背中から、顔の端から、どんどんと光の粒がこぼれ落ちていく。痛みも、焦りも、恐れも、全てがその粒に乗って何処かへ去っていく。
たどり着いた。長かったなぁ、どれだけあのバスの中で待っていたんだろう。
そこにはやっと現れた私がいた。
この話自体は次で最終話となります。
思いつきでポロポロと書いていたので意味不明しかも短いという作品になってしまいました。