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 “書けない”小説を書き始めてから一週間が過ぎた。創作は遅々として進まず、原はまたもや溜息を流す。パソコンの前に座り続けることが、まるで苦行に挑む修行僧のように、原は感じていた。

(これじゃ、今までと何も変わってないじゃない)

 書くことが苦痛。それを脱したいが為に書き始めた小説も又、書くことに苦痛を与えている。

(いや、これは今まで以上か……)

 確かに小説を書けない主人公を題材にした今回の小説は、自分が書けない理由を浮き彫りにしていった。希薄な人間関係、浅く狭い人生経験。いかに自分がつまらない人生を送ってきたのか痛感させる。一文一文、書き進めるごとに原を切り刻んでいく。

 知らず知らず、涙が流れた。握り拳を作り、それが小刻みに震える。

(悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しい……)

 書けない事が悔しいのか、それとも自分の人生に対して悔しいのか、原にも解らない。徐々に頭が痛くなり、やがてそれは吐き気をともなって原を襲う。原はよく、考え込むと脳がオーバーフローを起こして、頭痛になっていた。こんな時は頭を真っ白にしてしばらく横になっていると治まる。原はよろよろと立ち上がり近くの床に横になる。フローリングの床の上に薄いラグをひいてあるだけなので、ひんやりとして気持ちいい。原は仰向けに寝そべり目を閉じる。何も考えないようにするが、やはり小説のことが頭から離れない。頭を大きく左右に振り、リセットをかける。しかし今度は父との確執や職場でのいざこざ、さらには過去にさかのぼってゆき嫌な想い出だけが走馬燈のように頭を巡っていく。こうなるともう止めることは困難になる。いつもは酒で逃げることができるのだが、今は頭痛がひどすぎて、そんな気にもならない。

(こんなとき、のぶちゃんなら――生き物は生き残るために嫌な出来事を強く記憶するものだ――とか冷たく言うんだろうな)

 頭痛と走馬燈は終わる気配を見せない。原は泣きながら天井を見つめる。全てが歪み、世界が全て液体に変わったように感じる。

(のぶ……ちゃん。たす、けて)

 この時間帯はのぶはいつもオンラインになっている事を思いだした。原は勢いよく起きあがり、パソコンの前に座る。メッセンジャーをオンにすると、のぶがオンライン表示されている。

「のぶちゃん、たすけて」

 すぐさまメッセージを送る。

「おいおい、どうしたんだ? 酒呑みすぎたのか?」

「私、小説書けないよ。もう書けない」

「一体どうしたって言うんだ?」

「もう、書くの辞める」

「それは残念だな。僕は君の小説のファンだったのに……」

 のぶの返事を見て、原は両手でくしゃくしゃと顔を押さえる。涙が溢れ出てくる。止められない。のぶの期待には応えられない。そんな自分が腹立たしい。パソコンを置いている机を、ばん、ばん、と両手で二回叩き、キーボードの上にうずくまる。

(ほんとに、もう書くの辞めよう。書く理由なんてないじゃない)

 どうして自ら好んで、こんな苦しまなくちゃいけないの?

 どうして書くことなんて好きになっちゃったんだろう?

 どうしてこんなに、こんなに好きなのに、うまくいかないの?

 どうして、どうして、どうして、どうして……。

 行き場のない疑問、怒り。そして自責。さまざまな感情が原の中を通り過ぎては、また引き返してくる。同じ場所でぐるぐると回る。

(なにも私が書く必然なんてない。他に私よりうまい人がたくさんいる。私が書かなくたって何も変わらない。代わりはいくらでもいる)

「あーーーーー!」

 他に誰もいない部屋で大声をあげて叫んだ。涙がキーボードに流れ落ちていく。壊れるかもしれないとか、顔にキーボードの痕が残るとか、そんな事が本当にどうでもよくなって、原はそのまま泣き続けた。

 ぴんろん。

 その場の雰囲気を壊すような軽快な音がなる。のぶがメッセージを送ってきたのだろう。原は顔を上げ、ディスプレイを見る。視界が滲んでよく見えなかったが、キーボードの上にうずくまっていた為に意味不明の文字列が打ち込まれ、のぶに送信され続けていたのが解る。原は気恥ずかしさを感じつつ、一番下の、のぶの返信に目をやる。

「やれやれ、僕の手には負えないな。よっぽど追い込まれているようだな。そうそう昨日、君に温故知新と忠告した後に思いついたのだがね、人形遊びでもしたらどうだい?」

 普段大人ぶって冷静を装っているのぶから、人形遊びという言葉が発せられたのが意外で、ぼやけた視界のせいで見間違いだと思った。原はティッシュで涙を拭い、改めてのぶからのメッセージに目をやる。確かに人形遊びと書いてある。真意がつかめない。

「人形遊び?」

「僕が小説とか、そう物語が好きなのは小さい頃プラモデルとか人形とかで遊んでいた頃からだなと思ってね。言うなれば僕の原点でもあると思うんだ。温故知新というには古くはないが、自分の原点に帰ってみるのもいい気晴らしになるんじゃないかな」

 のぶが心配してくれているのが解る。付き合いの長さからか、文字だけでも相手の気持ちが少し伝わってくるようになった。のぶは他人の事に興味を示さないし、またあれこれ考える事を煩わしいと思っている様である。しかし、自分の事を少しは考えていてくれた事に原は嬉しく思った。

「心配してくれてるの?」

「まぁね。あれだけ無意味なメッセージをもらったのでね。気でもふれたのかと思ったよ」

「えへ、ごめんね。大丈夫。精神はいたって正常。かなり落ち込んではいるけどね。原点回帰やってみるよ」

「ふむ、少しは役に立てたかな? ではガンバリタマエ」

 そう送ってきてからのぶは落ちた。原の目は赤く充血していたが、涙は止まっていた。

(人形遊びか……確かに私も小さい頃よくやってたな……)

 今はその頃の人形は手元にはない。代わりになるものをと、原は部屋を見渡す。ベットの枕元にカエルのぬいぐるみが置いてある。可愛いとは言えないが、それでもリアルではなく、どこか愛敬がある。目つきが悪いのが自分にそっくりだと思って衝動買いしたものだ。ガブリエルと原は名付けている。

 原はベットに横になりガブリエルを手に取り、じっと見つめる。しばらくそうやって眺めていると、突然原が笑い出した。

「あはははは……ははは……あーーーはは……」

 頭の中にストーリーが浮かんでくる。それはカエルのガブリエルの壮大な冒険であった。そのあまりにも幼稚な想像に可笑しくなってきたのだ。

 魔法の国の王子ガブリエル。彼は国の乗っ取りを企む悪い魔法使いにカエルに変えられてしまう。悪い魔法使いは隣国の科学の国に侵略を始める。そして、悪い魔法使いに捕らえられた科学の国の姫を救うべく冒険の旅に出た。

 どこかの童話やらどこかのゲームやらのパクリのようなストーリー。でもそれは原だけのストーリーだった。自分がまだこんな幼い想像ができるとは思っていなかった。原にはそれがとても可笑しくてたまらない。

 幼い頃のお姫様の物語。無邪気なあの頃。一生懸命にお話を創って、母や父に得意げにそのストーリーを話した。話を考える時間がとても楽しかった。

 原は笑い続ける。カエルのぬいぐるみを胸に抱き笑い続ける。一人、部屋の中誰を気にすることもなく笑い続けた。

 笑い続けながらも頭の中ではどんどん話が膨らんでいく。それは楽しかった。そう、とても楽しかった。頭の中で繰り広げられる冒険は終わることはなかった。

 原はいつしか眠りについていた。酒なしで眠るのは随分久しぶりである。頭痛も知らない間に消えていた。


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