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 原しずは書きかけのテキストファイルを削除する。そのままゴミ箱からも存在を抹消。残す価値が一欠片もない。駄文だ。ありきたりで、先が読める。その上、矛盾も多くはらんでいる。ここ最近、最後まで書ききった小説は皆無だ。書き殴っては削除。書き殴っては削除。書き殴っては削除。元来の飽きやすい性格も相まって、その症状は悪くなっていくばかりに見える。書きたい事は頭にあるはずだった。つきることなど信じられないほどに……。でも今は書けない。書き続ける事ができない。

 原は頭を抱えつつ、深い溜息をつく。黒く長い髪をかき揚げ、背もたれに身体をあずける。もうキーボードに触る事さえも億劫に感じた。パソコンの前から立ち上がる。シャツと膝丈のズボンだけの、楽な格好。ズボンからは真っ白な足がすらりと伸びている。原は自分の足だけは他人に誇れる部分だと思っている。そして原は自分の部屋に置いてある小型の冷蔵庫からビールの缶を取り出し、一気に流し込む。喉の痛みが快感に変わる。この瞬間、原は全てから解放された気分になる。しかし気休めだ。もう何も考えたくない。考えられない。

(どうせ趣味だ)

 逃げ道は明確だ。楽しくない趣味ならやめればいい。誰も責めはしない。

(じゃあどうして私は書くのだろう?)

 理由はないのかもしれない。本を読むのは好きだ。読んでいる内に、自分も書いてみたい、そう思い始めたのは中学生の頃。あれから十年以上の時が流れた。昔は書いているときは楽しかった。自分だけの、自分好みの世界に没頭し、書き続ける。それが友人などから誉められれば、それ以上の幸福はないとまで思えた。社会人になると現実が重くのしかかり、書くことも段々重く、愚痴っぽくなっていった。ストレス解消にはなったが、根本的な解決にはならない。書くこと自体が、徐々に苦痛となっていった。その上、こんな歳で小説を書いているなど、同僚にも恥ずかしくて言えないため、書いた作品を読んでくれる人も少なくなった。たまにインターネットで公表してみるが、しかし全く知らない人を唸らせるほどの実力はない。やはり向いていない、という結論ばかり浮き彫りになるだけだ。

 気分転換にテレビでも見ようと、原は自分の部屋から出て、ビール片手にリビングに向かう。リビングには年老いた両親がいた。一戸建てのこの家を買い、妻子を十分に養ってきた父。誰もがそうであったように、原も父を嫌っていた。だが社会に出てからは、父の偉大さが少しずつ解ってきた。父は人生の勝ち組に属している。それを維持し続けることの困難さが見えてきた。それでもやはり父との距離を縮める努力をする気にはならない。今更、仲良くしようなんて思えない。母はそんな娘の心情を知ってか知らずか、常に二人の中間に絶妙な位置取りで穏やかに存在している。原の家庭が崩壊せずに来たのは彼女の功労である。そんなことも原は最近見えてきた。自分がいかに視野を広げずに生きてきたのか、身にしみて実感する。

(そんな世間知らずな癖に小説書こうってんだから無理があるんだよねぇ)

 知らず知らず、また小説のことを考えてしまう原。それに気がついて、また溜息をつく。母が原に気づき声をかける。

「しずちゃん。またビールなんか呑んで」

 言葉に刺がない。母の優しい性格がにじみ出ている。

「母さんだってたまにはさ、お酒でも呑んで羽根伸ばしたら?」

 どうでもいい会話。父は相変わらず野球中継を観ながらウイスキーを呑んでいた。その後ろ姿は年々小さくなっていくように感じた。

「そんなんじゃ、お嫁に行けないわよ」

 母がまた結婚に関することを言ってくる。これにはウンザリだ。

「はいはい」

 原はいつものように適当に答えて、逃げるように自分の部屋に帰った。どうにも居場所がない。

 再びパソコンの前に座る。メッセンジャーが点滅している。

(お、のぶちゃんがオンラインになった)

 早速挨拶を送る。

(ば……ん……わーっと)

 「のぶ」。ネット上でそう名乗る人物はそれ以外の情報を原には明かしていない。性別や住んでいるところさえも。とある大手掲示板サイトで知り合い、お互い気が合ったのでメッセンジャーに登録しあったのだ。のぶもまた小説が好きだと言う。村上春樹のファンで、彼の著書は全て読破しているという。原も彼の小説は好きで、全てとまではいかないが、数多く読んでいる。原は「1973年のピンボール」を高校生の頃読んで、再会のシーンでぞくぞくしたのを、今でも鮮明に覚えている。彼の著書の中で一番好きな作品でその時読んだ文庫本は今でも本棚の一番前に置いてある。カバーもだいぶ痛んでいるが手放すことは考えたこともない。

 軽快な音と共にのぶからのメッセージが届く。

「今日も酒を呑んでいるのか? 全く毎日毎日飽きないものだ」

 もはや酒について嫌みを言うのが、のぶの原への挨拶だった。

「のぶちゃんも毎日毎日飽きもせず、同じ挨拶ばっかり」

「ところで書きかけの小説、続きはできたのかな? 今日はそれを楽しみにしていたのだが」

 原がのぶに自分が書いた小説を見せ始めたのは最近のことだ。のぶはとても読書量が多く、自分の書いた作品など読んでくれるとは思っていなかった。いや、見せるのが怖かった。面白くないと言われるのは――火を見るよりも明らか――そう思っていた。しかし、原が小説を書いていると打ち明けると、意外にものぶは興味を示してくれた。しかも、読み終わった後、続きを楽しみにしているとまで言ってくれた。

「それが、全然手がつかなくてね」

「話自体は出来上がっているのだろう? 後はそれを文字にすればいいだけじゃないか。何か書き悩んでいる訳でもあるのかい?」

「なんだろうね。一応最後のシーンは頭にあるんだけど、そこに行き着く過程はあまり考えていなかったの。それで色々矛盾が出てきてね」

「そうか。じゃあ一から練り直しだな。全く勢いだけで書くのは、あまり誉められたものじゃないよ」

「手厳し〜」

 とまでやりとりがあった後、のぶからメッセージが来なくなった。きっと色々忙しいのだろう。原からメッセージを送る。

「それにね、最近書くことが楽しくないの。なんかどんどん滅入っていってしまう」

 しばらく待ったが返事はこなかった。

 原はしかたなく書きかけの小説を開き、続きを書くことにした。

 原が最近書いているジャンルは、恋愛でもなく、ファンタジーでもなく現代だ。今自分が生きている現実、それを写す虚構。世の中に対する自分の叫びでもあった。

 しばらく書き進めてみるが、やはり手が止まる。考え込む。身近な出来事を題材にしている分、ありきたりなのだ。なにか一つ脚色が欲しい。面白みがあり、読み手を引き込むような脚色が。原はまた溜息をついた。彼女の癖。母にも何度か注意されたが直す気はない。

(溜息ぐらいついたっていいじゃない。息抜きしなきゃつまっちゃう)

 一文書いては書き直し、……まるでどっかの歌のように……、進んでは戻り、また少し進んでは戻りの繰り返し。果てしない旅路のように終わりが見えなかった。

「ふぅ」

「ぴんろん」

 同時に音がなる。メッセージが来た。

「書けないときには、“書けない”ということを書くしかないって誰かがどこかで言ってたな。君も一度“書けない”事を書いてみたらどうだい? どうして書けないのか少しは見えてくるかもしれないよ」

 のぶの言葉は、たぶんどこかで聞きかじった言葉なのだろうけど、とても心にしみ込んだ。

 そうして原しずは今まで書きかけていた小説を一度中断し、“書けない”という小説を書き始めることにした。


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