09 剥ずる
09 剥ずる
初めて城へ行った日は、普段のアルデアより少しだけ早い帰宅になった。
と言っても、いつもなら睡魔に負けている頃だ。ほとんど寝ながら馬車から降りると、ふらふらした俺の体を誰かの手が支えてくれた。
「……あれ、ラーナ?」
「ご苦労様。今日は、コルウス殿が随分活躍されたとか」
「俺じゃなくて、ウメルスが活躍したよ」
目をこすって答えるが、やっぱり眠いものは眠い。ぼんやりしたまま逆に問う。
「今日、城行った?」
「私が? いいえ。今日は知人の所へ」
彼女から返事を聞いた時には、もうどうしてそう思ったのか解らなくなっていた。
眠気との戦いは、完全に敗北だ。無意味にこくこくうなづくと、いい匂いをさせたラーナから離れてベッドに向かう。
多分、疲れてたんだと思う。精神的に。この夜は夢も見ずに朝まで眠った。
*
誰が先代を毒殺したかも解らないのに、うやむやのまま進むのは嫌だ、とか。
にも関わらず、使用人を屋敷から締め出したほかは動こうとしないアルデアが信用できない、とか。
ウメルスが父親の跡を継がないことにも、本人なりの理由があった。
事件があって、それから半年。
絶対に誰の話も聞こうとしなかったウメルスが、あっさり意見を曲げたのは中々インパクトのあることだったらしい。
つまり、俺に言われてアルデアの補佐に付いたと言うことが、だ。
その変な空気感は、何となくだが俺にも解った。この話が広まるにつれ、周囲から向けられる目が何か妙な感じになったからだ。
中でも一番ひどかったのは、ドゥクスの一人であるフェレス・アクアだ。
初めて会ってから、二日か三日過ぎた頃。城の中をリュンクスに引き摺り回されていると、彼に会った。
「凄いね」
いきなりだ。顔を見るなりいきなり言って、俺の頭をぽんぽんとなでた。
一体、何をしてくれるんだ。
高校生にもなって、頭をなでられるのは珍しい。三十近い優男からなでられるのは、もっと珍しい。て言うか、おかしい。
幼いリュンクスを世話するため、周囲には何人もの侍女達がいる。しかし誰も助けようとせず、むしろ見守ってる感じさえした。
……いやいや、そんな馬鹿な。今、かなり困ってる。あと、ちょっと恐い。
何だか鳥肌まで出ちゃった俺を助けたのは、きょとんと見上げる幼い子供だ。
「コルウス、すごいの?」
「えぇ、姫君」
どうやら、リュンクスはフェレスに懐いているらしい。その彼がほめるのを聞き、理由も解らないまま顔をぱっと輝かせた。
「すごいねー、コルウス」
「さあ、それはどうだろう」
俺は歪めた眉と腕組みで、懐疑的な姿勢をアピールする。何しろ、どんな理由でほめられているかも解らない。
すると、フェレスが首を振った。
「凄い事です。誰にも説得出来なかった心を、変えさせましたからね」
それでやっと、ウメルスのことだと解った。だったら、本当に凄くない。
多分、タイミングの問題だったんだと思う。アルデアが限界なのは明らかだったし、ウメルスはそれを見過ごせるヤツじゃなかった。それだけだ。
だって俺は、問い掛けたに過ぎない。
それでいいのか? ――いや、よくない。
アイツがそう、答えを出した。俺が変えたわけじゃない。
「偶然ですよ、あれ」
「……そうですね。そうかも知れません」
フェレスは薄くほほ笑むと、もう一度俺の頭に手をのせた。
「ですが運命とは、そう言うものです」
香水だろうか。彼の体から漂う何かが、ふわりと鼻をくすぐった。前会った時もそうだったけど、いい匂いのする人だ。
そこまで考えて、ああ、と思う。
――ああ、思い出した。
「ラーナ? ラーナ・ロートゥス?」
分厚い本を片手に、ウメルスが俺を見た。
お姫さまから解放されて執務室に戻ると、ちょうどアルデアはいなかった。補佐役が一人で部屋を整理していたので、それを手伝っているところだ。
学校で休み時間に話すみたいな、そのくらいの気持ちだった。誰と誰が付き合ってるとか、どうでもいいけど、よくある話題だ。
しかしウメルスは本を置き、急いで俺を部屋の隅に押し込んだ。
「騎士の、ロートゥスか? 今、イーグニスの屋敷に滞在している」
「そう、だけど」
「根拠は」
「えーっと、同じ匂いしたんだよ。雨の日覚えてる? 俺が、最初に城へきた日だけど」
あの日、初めて会ったフェレスと、寝ぼけた俺を支えたラーナ。二人は同じ香りをさせていた。
そのことが引っ掛かっていたのだと、フェレスの匂いに再び触れて思い当たった。
流行の香りかと侍女に尋ねてもみたが、アクア家ほどの上流貴族なら香水も特別に調合させるそうだ。偶然はない。フェレスの匂いが、ラーナに移ったのだ。
「それで、ロートゥスはあの日、城には上がってないと言ったんだな」
「うん。けどさ、そしたら城以外で会ったってことだろ? それって何か、エロいじゃん。だから、恋人なのかなーって」
マジかよ。そりゃエロいな! くらいの感じで返すだろうと思っていたのに、ウメルスは難しげな表情で足元に視線を落とす。
「この事、暫時黙っておけ」
「そりゃ、いいけど……」
言いふらすつもりはない。でもそんなに深刻な顔で、念を押さなきゃいけないほどのことなのか?
だとしたら、気軽に持ち出していい話題じゃない。すっかりどうしていいか解らずにいると、そんな俺に気付いてウメルスが顔を上げた。
「あァ、いや……。ドゥクス=アクアには妻子がある。それだけだ」
マジでか。余計エロいな!
とか言って、うっかり口走りそうになるのを何とか飲み込む。普通なら多分、言っちゃうんだけど。言わなかったのは、ウメルスがまだ何か考え込むようにしていたからだ。
夜になり、寝返りを打つついでみたいに尋ねてみた。
「なあ、やっぱマズイの? 浮気って」
アルデアは、俺が寝転がったベッドの足元に腰掛けている。これから眠るだけなのに、双子のメイドが髪をといたり爪を磨いたりと忙しい。
その、さらさらに整えられたハニーブロンドの頭が、ホラーな日本人形のようにこちらに向いてキリキリと回った。多分あれ、がんばれば一回転すると思う。
信じられないものを見るように、それとも何かに怯えるように、アルデアは問う。
「どこの奥方に……」
「俺じゃねえよ」
即答すると彼女は美少女らしからぬ勢いで、ぶはっと安堵の息を吐いた。
「アルデア様、お気を確かに」
「大丈夫、大丈夫よ。少し驚いただけだから」
「え、そんなに?」
メイド達に気づかわれるその様子からすると、やっぱり相当マズイらしい。ラーナ、ピンチ。
俺が関係ないのは解ってる。それでも複雑な気分になっていると、双子が揃って首をかしげた。
「そんなにと言うことは」
「状況によりますわ。貴族の中では、めずらしくはございません。男のかたはたいてい、お妾をお持ちですし」
「女のかたでも、婿取りした直系のお嬢様なら許されることがございます。アルデア様がご結婚なされば、そうですね」
血を残すのが重要。双子の話を聞いてると、その一点に尽きる気がする。
何か、解んなくなってきた。
妾って、生活の面倒見てもらうんだよな。でもラーナは、そんな感じがしない。騎士のイメージか、男に頼ったりしない気がする。
「それで? 急にどうしたの」
「いや、別に」
アルデアは疑わしげに俺を見たが、まあいいわ、と息を吐く。
双子のメイドを下がらせると、ベッドの隣に潜り込んでレースで飾られた上掛けをかぶった。ちなみにここは、俺の部屋だ。
「わたくしに興味がないのは許せるけれど、だからと言ってよそ様の奥方に手を出すのは認めないわよ」
これもしつけの一環なのか、噛んで含めるように言う。そしてランプの火を落とし、いつものように眠りに就いた。
そう、いつものようにだ。最近では、夜中にこっそりではなく最初からここで眠る。
俺も、それを止めずにいた。解るような気がするからだ。両親があんな死に方をしたら、一人で眠るのは恐いだろう。まして、その犯人はまだ捕まっていないんだから。