08 軋めく
08 軋めく
何をしているんだ、と言う冷たい視線で。
人でなしの美少女が俺を責める。
「だからー、付いてくるって聞かないし、泣いちゃうし、皇帝は完全におもしろがってるし、オヤジは役に立たないしでー」
「で、結局全部連れてきちゃったのね」
全部じゃないよー、と口の中でごにょりと呟く。
実際、仕事があるからと皇帝は付いてこず、魔術師は影のごとくそれに寄り添った。
逆に言うと、それ以外は付いてきたってことだけど。
幼い姫を世話するために侍女達が何人も控え、ソファには服を着たルプスが踏ん反り返る。当然侍従のペクトゥスもいて、広いはずの執務室は人で結構一杯だ。
しかしなぜ、ルプスまで付いてきたのか。理由は簡単。俺の背中に張り付いて離れない、リュンクス姫の父親だから。
……俺、親って大人がなるんだと思ってた。
自らの家臣とペットを並んで立たせ、アルデアは説教する教師のように腕を組んだ。
「あなたがついてて、何をしていたの」
「断言する。絶対オレのせいじゃない」
ウメルスはきっぱりと反論するが、それには関係なく足を蹴られた。
宣言通りだ。何かあったので、彼女は護衛をいびっている。しかし、楽しそうには見えなかった。
執務室のデスクには書類仕事が山積みで、それはさっき見た時よりも減るどころか増えてさえいる。いつもこうなら、夜中にしか帰ってこないのも納得だ。
ただでさえ忙しいのに、そこへこんな団体だもんな。俺としては八つ当たりの理由充分って気がしたが、実のところ、ウメルスにも原因がなくはないとあとで知った。
「賑やかですね、ドゥクス=イーグニス」
「ドゥクス=アクア」
アルデアが驚いたように呼び、目をやる先に男がいる。優男って多分、こう言うことだ。
ほほ笑みをたたえた薄青い瞳。女みたいに白い肌、優しい顔。青味掛かった銀髪を左肩でゆるく束ねて、胸の上に垂らしている。しかも何だか、いい匂いまでさせていた。
彼はソファの人影に気付くと、エレガントな所作で礼を取った。
「皇子が執務の場においでとは」
珍しい、と言外に含む。ルプスは不機嫌そうに口を尖らせ、あれが理由だと顎を使って俺を示した。正確には、俺の背中にくっついた自分の娘を。
「フェレス!」
「姫君」
彼を見付けてばたばた騒ぐ幼い姫に、フェレス・アクアはほほ笑んで答える。リュンクスはそれに手応えでも感じたか、ぶら下がった背中から俺の頭を叩きながらに訴えた。
「あのね、きいて! アルデアに、このこちょうだいっておねがいしてるの。フェレスもいっしょにおねがいして!」
「しかし、見たところ……」
「わたくしのペットです」
フェレスはアルデアにうなづいて、それからリュンクスに向き直った。
「ならば、譲り受ける事は敵いません。主人とペットは、対なる魂を持つ者同士。互いが唯一の相手なのです。姫君といえども、ドゥクス=イーグニスの代りは務まりますまい」
――その話は、初めて聞いた。
飼い主は魔術師に作らせたゲムマを用い、異界からペットを呼ぶことができる。ただし、呼べるペットは生涯に一人。ペットを呼べるのも、飼い主一人。最も近しい魂の、最も強く結び付いた相手だけだ。
つまり俺に取ってのアルデアで、アルデアに取っての俺だった。
だからリュンクスのものにはならないのだと、フェレスが優しく言い含める。それでも諦め切れないと言わんばかりに、小さな手でぎゅっと負われた背中にしがみ付く。
その重みと感触を感じながら、俺はぼーっとしてしまった。あっけに取られたからだ。
もしかすると、ペットと言う言葉の意味を間違えてでもいるのかも知れない。それとも、自動翻訳の不具合か?
今、どんな顔をしているんだろう。紋章が光っているはずの、自分の額を押さえて思う。
「なあ。それ……違うんじゃないか?」
最も近しい魂の者。だとしたら、それはペットなんてもんじゃない。
「いえ、ペットですよ。相手の意思はお構い無しに、飼い主がただ手元に置きたがる」
俺の動揺を見透かしたのか、ルプスの脇でペクトゥスが言う。その顔は笑っているようでいて、底意地の悪さが垣間見えそうだ。
どこまで本気か解らない。だけど、外れって感じでもない。これ完全に、誘拐だもんな。こっちの都合にお構いなしもいいところだ。
全く釈然とはしないけど、言い得てはいる。
胸にはもやもやしたものが残ったが、今は放っておくことにしよう。
「骨、ですか?」
戸惑い気味にそう言った、アルデアの声が聞こえたからだ。
優しい顔を深刻そうに曇らせて、フェレスはうなづく。
「そうです。警備兵によると、牛の大腿骨だろうと」
「まぁ……。それが、落ちていましたの? その、広場で倒れていた方の傍に」
琥珀の瞳が不安げに揺れる。
城内で、人が倒れているのが発見された。すぐ近くに、凶器らしきデカい骨。
アルデアは平静を装ってはいるが、内心穏やかじゃないだろう。そりゃそうだ。何しろそれは、自分が投げた骨だからな。
無理もないことだと思う。ドゥクス二人を除く全員、あっちこっちへと顔を背けたのは。
皇子に、従者。おしゃべり好きの侍女達や、幼い姫までがぎゅっと口を結んでいる。解るぜ、その気持ち。みんな自分がかわいいもんな、俺を含めて。
最終的に骨を投げた犯人は、皇帝だ。不運な事故だとは思うけど、だからと言ってあの人を売っていいかはまた別の話だ。忠義と言うか、自分の身の安全と言う意味で。
だから、沈黙。
「幸い、命に別状ないそうですが。皇帝のお傍でこのような事があろうとは、嘆かわしい限りです。ドゥクス=イーグニスも、どうぞ身辺に気を配って下さいますように」
俺達のさんざめく胸の内には気付かぬふうで、フェレスはそんな気づかいを見せた。
「あ、ドゥクス=アクア」
退室しようとする背中を、ペクトゥスが呼び止める。
「それで、被害に遭われたのはどなただったのでしょうか」
「あぁ、そうですね。申し上げていなかった。ドゥクス=テッラの弟君です。確か、リーノケロース殿と」
じゃあ、まあいいか。
一瞬にしてそんな空気になったのは、無言ながら全会一致のなせる業だと俺は信じる。
「リュンクス殿下、よろしいですか? おばあ様に逆らってはいけません。例えどんなに間違っていても、国を滅ぼすと分かっていても、逆らってはいけません」
じゃないと荒れて恐いから。
フェレスが去ったあと、ペクトゥスがリュンクスにそう吹き込むのを目撃した。大人として、どう考えても間違ってる。
ぐったりと疲れ切った俺達をよそに、仕事に戻ったアルデアが書類を見たまま口を挟む。
「姫、真にお受けになってはいけませんよ。そんなふうにしていたら、ペクトゥスのようになってしまいますもの」
「おや、酷いですね」
「貶したのが伝わってよかったわ」
言いながらも手は休めず、乱暴なくらいの勢いで次々と仕事を片付けて行く。それでも、積み上げられた書類の山が減っているとは思えない。席に着いたこの執務室の主は、ほとんど埋もれているままだ。
「終わるのかなあ、あれ」
終わるとしても、今日も遅くなりそうだ。
「なんだ、早く帰りたいのか」
ルプスは余計なことしか教育しない侍従から愛娘を取り戻し、肩に担ぐ。そして眉を持ち上げ、簡単なことだとあっさり言う。
「ウメルスに手伝わせれば善い。クラーテールはもともと、イーグニス家の重臣だ。主の片腕を務める家系だぞ」
本来、一人でこなせる仕事ではないのだそうだ。アルデアの父親も、ウメルスの父親を補佐に任じて城での仕事に当たっていた。
現在アルデアが一人なのは、クラーテールの家が当主不在の状態だからだ。主の急死と共に一線を退いた父親に代わり、ウメルスが家と役目を継ぐはずだった。
「おお、解決。継げばいいじゃん」
「関係ないと思って、無責任な事を……」
眉をひそめたその顔に、昨夜の姿が重なって見える。クラーテールはまだ、父親の名だと。言ったあの時、何だか屈折してるって思ったんだよな。
気付くと、問い掛けていた。
「ウメさんは、それでいいのかよ」
瞬間、息を詰める。厳しいような、それとも揺らいでいるような目。彼はそれを一度ぎゅっと閉じ、ため息と共に背中を向けた。
「覚えてろ」
言い置いて山積みの書類に近付くと、ウメルスはそのいくつかを手に取って離れる。
驚きに満ちた視線が、いくつも俺の頬を刺した。まあ、そうだよな。どうして気を変えたのか、俺だってさっぱり解らずびっくりだ。
まあ、何だよ。あれだ。とりあえず、早く帰れそうでよかったよね。