06 音なう
06 音なう
遠くからはよく解らなかったが、首都の中央にある皇帝の城は全てにおいて想像を超えていた。
まず、白い。今日が雨でよかった。天気がよければ、目が痛くて仕方ないに違いない。
平時、皇帝のほかは皇子でも門前で馬を降りるらしい。当然、馬車も。
「……デカ過ぎて、逆に解んねえ」
城の前に立ち尽くし、俺は見上げられるだけ見上げて呟いた。
二、三十メートルはありそうな白い柱が並び、重い石の屋根を支えている。これが城門。柱の奥はこれも白い石でできた壁で、降りた馬車の何倍もある扉がやけに小さく見えた。
そこから左右に塀が伸び、ほとんど直線に見えるほどゆったり巨大な円を描いている。
さらにその外側を水をたたえた堀が走るが、これは貯水池を兼ねるらしい。長く引いた水道橋で遠隔地から運ばれた水は、一度ここにプールされて街に流れる。
土地の形状もそれに適して、中心の城が一番高く、外へ向かって低くなる。ゆるやかな円錐だ。
当然と言うか、城内に入れる人間は身分によって制限された。護衛はほかにも何人かいたが、城門をくぐったのはウメルスだけだ。
「俺は? いいのか?」
俺は与えられた自分の傘をくるくる回し、首をかしげる。傘を差し掛けたウメルスと、差し掛けられたアルデアが「ペットは別」と声を揃えた。そうか、別か。
確かに野良犬は高級ホテルに入れないが、パリス・ヒルトンの愛犬ならフリーパスだろう。ヒルトンホテルとかに。
門を入ってすぐは、何もない広場だ。これも広い。普段は兵士達の鍛錬に使われたりするそうだが、今は雨のせいか人影はない。
白い石畳はきっちりと水平に並べ敷かれ、それを踏みながら顔を上げると皇帝の城がそこにある。
やはり白で統一された建築物は、存在だけで俺を圧倒するのに充分だった。その圧倒的な威圧感を。神殿めいた荘厳さを。言い表すのに足りる言葉が、あるのかどうかさえ解らない。
だから、一言だけ言っておく。――デケえ。
*
多分、言い過ぎたんだと思うんだよ。
アルデアの執務室は、どこをどう通ってやってきたのか解らないほど城の奥にあった。内部は家具や絨毯で飾られて、外観とはまた違った印象だ。
おとなしくしているようにと言い付けて、アルデアは書類の積まれたデスクに向かう。
城に見せたいものがある、とか。会わせたい人がいる、とか。そう言う目的はないようだ。本当に、家に置くのが嫌なだけだったらしい。
当然、すぐに退屈した。
俺は膝をついて窓枠に顎をのせ、目に付いたもの全てに説明を求め始めた。幼稚園児がしばしば行う、ナゼナニ攻撃だ。
この城はブロックを積み上げたような階段状の形をしていて、屋根となるべき平らな空間に庭が作られている。それらを見下ろし、指さしながらに問う。
「なあなあ、あの池って泳げんの?」
「水質監視用よ。毒でも混ざっていた時は、放してある魚が死んですぐに解るの」
「なあなあ、体中に鳥くっつけた人間止まり木みたいな人いるけど、目的何なの?」
「鳥番よ。鳥を使って、国中に伝書を届けるの」
「なあなあ、外に風呂上りっぽい格好のヤツいるけどあれいいの?」
「ルプス皇子よ。ふざけた人なの」
見なくても解るのか。
まあ、雨の中にタオル一枚だもんな。そんなことするヤツ、ほかにはいないんだろうな。
なあなあと問う俺の相手をしながら、アルデアはがたがたと何かを探す。忙しそうだ。
「なあなあ」
「コルウス」
話し掛けて、同時に呼ばれた。
首をめぐらすと、アルデアのドレスがすぐそばに迫っていた。光沢のある布に同色の糸を刺し、その陰影で柄を描いているのが解る。一見するとシンプルだが、とんでもなく手の込んだ仕立てだ。
膝立ちの視線は、そのドレスのちょうどウエストに当たった。顔を上げる。と、見下ろすアルデアはほほ笑んでいた。ただし、恐い。邪悪なものを感じるほほ笑みだ。
窓の前から俺を押しのけ、外開きの窓を開く手には牛の大腿骨が握られている。
……だから俺、なあなあ言い過ぎたんだよ。多分。
華麗なフォームになびかせたハニーブロンドは、雨に曇った空にも負けずきらめいていた。大腿骨は執事も絶賛する強肩から放たれ、くるくる回ってどこかに落ちる。
「ほぅら、コルウス! 取ってらっしゃい」
この場所は皇帝の居城であると共に、政治の中心でもあった。
臣下に与えられる最高爵位であるドゥクスは、建国当初から代々イーグニス、アクア、テッラ、アーエールの四貴族にしか許されていない。つまりこの四家の当主達は、皇帝の最も近くで政治に携わる立場と言うことだ。
イーグニス家の当主に皇帝が与えた執務室は、城の中でも中枢に近い。そう。だからこの周辺はいつだって、重要人物が密集している。
……無茶するなあ……。誰かに当たったらどうすんだよ。謝るのは、拾いに行く俺なんだぞ。
ナゼナニ攻撃から解放されて嬉しいのか、アルデアがひらひらと手を振って見送る。
うーん、癪だ。
突如として反抗的な衝動に駆られ、執務室の扉を開くとウメルスに言った。
「行こうぜ、ウメさん」
その途端、護衛としてドアのそばに立ち、あくびを噛み殺していた彼の口がぽっかりと開いた。
「……昨日の話、覚えてないのか? オレといると、死ぬらしいぞ」
「いや、そんな話は聞いてない。俺に何かあった時、ウメさんがアルデアにいびり殺されるってだけだよ」
だから、頑張って俺を守れ! と拳を作って励ますと、彼はたまらず吹き出すと言う様子で破顔した。
「いいだろ?」
開け放した扉の中を覗き込み、アルデアに言う。すると彼女は少し考えるふうにして、しかし「いいわ」と意外にあっさり承知した。
「クラーテールをいびるのも、楽しそうだもの」
冗談めかしてはいたが、何かあるのは決定のようだ。
女の勘、と言うヤツだろうか。
ご主人様の投げた骨を捜すため、傘を片手に庭をうろつく。その途中、男に会った。
そいつには片手に剣、片手に傘を持った連れがいたが、本人はしとしとと雨に濡れている。上半身裸で腰に布を巻いた、風呂上りみたいな格好でだ。
これはもう完全に、さっき窓から見掛けたルプス皇子って人だろう。
腰のバスタオルめいた白い布は金の糸で縁取りがされ、腕には宝石がちりばめられた幅の広い黄金の腕輪。雨に濡れているせいか、髪は磨き上げた鉄のように黒味を帯びた銀色に光る。
近くで見た不敵そうな顔付きは、「ふざけた人」と言うよりは「ふざけたことが好きな人」と言う感じがした。だとしたら、余計に関わりたくない。
しかし、どうしよう。黄金の腕輪がはまったその腕の先に、見覚えのある大腿骨が握られているのだ。
「あ、すいませえん! ちょっと骨落としちゃって、探してたんですよー」
完全に困った人っぽい皇子のための対応マニュアルなんて、俺の中にあるはずもない。取りあえず、勢いで押してみた。
すると皇子は手に持った骨で俺をさし、意外そうな顔をする。
「足は揃っている様だが」
自前の骨探してんじゃねえよ。
正直めんどくさいと思ったが、相手は皇子。飼い主よりも偉い。
「お陰さまで、元気にやらしてもらってます」
俺は大人になった。
するとルプスは調子に乗って、にやりと笑う。
「その額、ペットだな。そうか、主人との遊びを邪魔したか。ならば詫びに、もっと遠くへ投げてやろう」
何でそうなる。ポイッと軽く投げられた骨は雨の空へ上がり、そして落ちた。ここよりも、一フロア高くなった上の庭へ。
「うわー……」
小学生レベルのたわむれだ。口を開けて骨が消えた方向を見ていると、近くの茂みがガサガサ鳴って頭に巻かれた派手な布が現れた。
あーん、皇子さまが意地悪するよう! 助けてえ! とか言って、夢の猫型ロボットみたいにウメルスに泣き付こうかとチラッと思う。しかし地球ジョークが通じないこの状況では、余りに危険な遊びだった。やめておこう。俺が駄目な子だと思われる。
それに、そんなヒマもなかったし。
ポケットから便利道具を出す代わりに、茂みから現れたウメルスは剣を抜き放つ。そして身を屈めるように素早く駆けて、鋭い刃をこちらに向かって振り上げた。