05 夢見る
05 夢見る
薄紅色が、視界を奪う。
――桜だ。
春の嵐がざあざあと、花びらをさらって辺りを染める。
この景色を、知っていた。
家族で行った花見じゃないか。こんなことを夢に見るのは、酒の味を思い出したせいか。
酒を勧めるアネキの魔手からどうにか逃れ、迷い込んだ場所だった。
そこはとても綺麗なのに、不思議に誰もいなかった。踏めば柔らかいほど花が積もって、風の音が遠のき近付きざあざあと鳴る。
立っているのか、倒れているのか。浮かんでいるのか、流れているのか。息が詰まるくらいの薄紅に、目眩がした。
恐かった。
世界に一人残されたような、その絶望を受け入れてしまう。それほどの光景だった。
「美しいわね」
声を聞いて目覚めたのか、目覚める瞬間声がしたのか。それとも声さえ、夢の一部か。
目を開く。
イーグニス家で与えられた、俺の部屋だ。窓の外はほのかに白い灰色で、夜は明けているらしい。かすかに雨の音が聞こえている。
アルデアが俺を見下ろして、手を伸ばす。細い指でなでながら、額に乱れた髪をといた。それを掴んで、少女を見上げる。
「俺の夢を……」
覗いたか? とは、馬鹿馬鹿しくて聞けなかった。
手をほどく。
「目が覚めたわね。オクルス、アウリス、準備をお願い」
言ってアルデアが離れて行くと、服やブラシを持った双子が進み出る。掴まれ脱がされなで付けられて、イヤッヤメテッ! と悲鳴を上げる俺を見て、ご主人さまは黒いものを感じさせつつにっこりと笑う。
「ちゃんと用意をしてね。今日からは、あなたもお城に上がるのよ」
それは、マジでか。
普段、用意された服の中からシャツとズボンをテキトーに着ている俺に取って、中々の苦行が展開された。
ズボンは細く、裾は膝までのブーツに押し込むのが普通らしい。シャツもズボンにちゃんと入れ、タイトと言うにもほどがある小さいベストはそのボタンを無理やりに留めた。
首に巻くのは俺が知ってるネクタイではなく、コントの貴族がしているようなスカーフに似たひらひらしたもの。それを宝石付きのピンで留め、丈が長めの上着を羽織る。
髪は全部後ろになで付けられて、ぴかぴかの紋章も全開だ。
ラーナがいればどさくさまぎれに泣き付いたんだが、彼女は彼女で知人に会うと一足早く出掛けたらしい。
失意と緊張で朝食も喉を通らない。と言うことはなく、急ぐと言う理由でそこそこに切り上げられた朝の食卓からパンを握って玄関に向かう。
雨の中、扉を出るとさっと傘が差し掛けられた。ん? と、傘を持った男を見上げる。
「ウメさん、何やってんの」
「仕事」
相変わらず派手な布を頭に巻いて、動きやすそうではあるが改まった服装だ。腰の剣が、ガチャリと鳴った。
「仕事って?」
「城まで、護衛するんだよ」
そう説明する顔は、本人も釈然としていない感じだ。そりゃそうだ。昨日見た限り、アルデアと仲悪そうだったもんな。
「護衛にウメさん入れたの、何で?」
揺れる馬車で、アルデアに問う。
彼女は甘い色の頭を愛らしく傾け、しかし不審そうに眉を寄せた。
「ウメさん?」
「ウメルスだよ」
「あぁ、クラーテールね。家柄もいいし、有能よ。……ねぇ、コルウス。その呼び方、変だと思うわ」
アルデアは可憐に表情を曇らせて、俺のネーミングセンスを否定した。それはまあいい。
「嫌いなのかと思ってたよ」
「嫌いではないわ。ただ、疑っているの」
覚えているかと俺に問い、自分は馬車の窓から外を見た。
覚えている。先代――つまりアルデアの父親が、母親と一緒に毒殺されたと言う話をだ。
「あの屋敷は、小さな要塞なの。首都が敵に攻められた時には、前線基地とするために作られているのよ。だからドゥクスの位を頂く四家は、町を四方から囲む位置にそれぞれ邸宅を築いているわ」
「へー。それで、あんな端にあるのか」
皇帝から重用される貴族にしては、寂しい場所にある家だと思ってはいた。何しろ、家の裏がすぐ森だ。
ガタゴトと揺れながら雨の中を進む馬車は、まだ町の外れに入ったばかりだった。
「屋敷にある塀は、頑丈そうでしょう? あれは家臣の住居も兼ねていているから、侵入者がいればすぐに知れる構造になっているの」
表情に変化はなく、語る声もしっかりしていた。ただ膝の上に置いた手が、拳を作って震えている。
「死体は、朝になって見つかったわ。寝室で冷たくなったふたりの傍に、毒入りのワインがあったの。そんなもの、誰も用意してないって言うのよ。ならどうして、父様と母様はそれを飲んで死んでしまったりしたのかしら」
侵入者は、いなかった。その夜は。
毒入りのワインを用意するだけなら、前もってできる。それがたまたま、あの夜に飲まれてしまった。可能性はある。
しかしそれでは、矛盾する。何も知らずワインを用意した人間がいるなら、名乗り出るはずだ。
以前、屋敷の中を見て回ったことを思い出す。結構長い階段を下り、ワインセラーは地下にある。昼間でも光が届くのは階段までで、セラーの中は真っ暗だった。灯りがなくては、とてもワインを探せないだろう。
主自らと言うこともあるが、普段から人を使い慣れた人種だ。使用人に命じるだけで足りることを、わざわざ自分でするだろうか。
殺されたのだ。
やはり俺の中にも、その考えが強く浮かんだ。アルデアの両親は、家の中の誰かが殺したと。
本人達も、それを疑った。
クルースは先代と歳が近く、幼い頃からあの家で育った。兄弟のようなものだと、先代自ら語っていたほどだそうだ。
双子のメイド、オクルスとアウリスはアルデアの乳母の娘だ。だから彼女達も、姉妹のようにして育った。
この三人だけを残し、アルデアはほかの使用人を屋敷から出した。信用できなかったからだ。
しかしそれに対し、使用人や家臣達もまた、新しい主を信用してはいなかった。
「何でだ?」
「わたくしはひとり娘だけれど、従兄弟がいるの。今は、皇帝から賜わったイーグニス家の領地を治めているわ」
先代にはその従兄弟に家督を譲る意志があり、それを知ったアルデアが両親を毒殺したのではないか。そう考える者もいるらしい。
「確かに、あの従兄弟に継がせるのなら家を潰してしまったほうがマシだとは思うわ。けれど、父様だってそれはご存知だったから、そんな話はなかったはずよ」
「そっか。なら、解ってくれそうなもんだけどな」
「それは少数。もっと悪くて一番多いのは、単に私が当主の器ではないって意見よ」
屋敷から出された使用人達は、住居を兼ねた塀の中に留まっている。アルデアへの能力の不安と、否定できない親殺しを疑って。
そうして互いに互いを疑って、あの家は今の状態になったのだ。
広い屋敷に使用人が三人なのも、俺が外へ出てはいけなかった理由も。不満のある主のペットに、何かするヤツがいないとも限らないと言う懸念からだった。
それでだろう。昨日、アルデアが青褪めてウメルスを責めたのは。でも。
「やっぱり、解らない。それでどうして、ウメさんを護衛にするんだ?」
「……知らなかったの。昨日まで、怒っているのだと思っていたから」
「怒ってただろ?」
「そうね。でも、わたくしに怒っているのではない気がしたの。クラーテールが怒っているのは、父様や母様を死なせてしまったこと。その事実に怒っているのではないかしら」
内心の揺らぎを映すように、アルデアが眉を寄せる。彼女自身、まだ確信を持っているとは言い難い様子だ。
死なせてしまったことに怒る。もしそうなら、先代の毒殺には関係していないはずだ。
確証はない。慎重に確かめなくてはならない。そしてまた、ウメルスにもアルデアを信用してもらわなくてはならなかった。
そのため、そばに置くことにしたのだろう。
考えている内に、自然と言葉がこぼれ出た。
「ありがとう」
「……どうして?」
「話すの、つらかっただろ。それを全部、ちゃんと、教えてくれてありがとう」
ぎゅっと握られた拳が、ゆるゆると開いた。薄紅の唇が、細く息を吐く。
「だってあなた、放っておいたら危ないんだもの。ペットの躾は、飼い主の役目だわ」
一応、心配はしてくれたらしい。
でもしつけって部分は多分、ジョークではないんだろうなあ……。