04 角立つ
04 角立つ
案の定、晩メシは抜かれた。
ついでに、昼メシも抜かれた。午前中の内に脱走がバレてしまったのが敗因だ。
「お嬢様の言い付けに背くとは何事か!」
そう言ってクルースは烈火のごとく怒ったが、双子達はちょっと違った。俺がいないことに気が付いて、本当に心配したようだった。
「ほんに、ご無事でようございました」
と、涙を浮かべた緑の目が四つも並んで、じっと俺を見ているのだ。こっちがちょっと泣きそうになる。
メイドの姉妹には必死で謝ったが、これなら怒鳴られるほうがまだマシだ。クソ執事に反省しろと首根っこを掴まれて、部屋に放り込まれた時は逆にほっとしてしまった。
――しかし、と思う。
ちょっと裏庭に出ただけだ。それにしては、この心配ぶりはちょっと大袈裟ではないだろうか。だとしたら、おかしい。
そんなに大事にしてくれるなら、何か差し入れがあってしかるべきだ。
クリーム一杯のケーキ。サクサク砕ける焼き立てクッキー。バターを塗ったパン。ハチミツ入りのホットミルク。ジューシーに焼いた分厚いステーキ。付け合わせの野菜。の、隣の水。何でもいいから、持ってきてくれたって構わないはずだ。
夕方、様子を見にきたのはメイドの片割れだ。一日閉じ込められた腹立ちを、ありったけぶつける。許して欲しい。逆恨みもいいところだが、空腹過ぎて気が立っていた。
「気がつきませんで、申し訳ございません。ですけれど、ロートゥス様が……」
「ラーナが?」
ベッドの上で丸めていた体を、ぱっと広げて起き上がる。マットレスに腰掛けて足を下ろすと、困ったようなメイドの姿が正面にあった。絨毯にのったテーブルに水差しを置き、トレイを抱えて向き直る。
「事情をお聞きになったそうで。ご自分にも責任のあることなのに、ひとりだけ食事は取れないと」
水しか飲んでないらしい。
何だか話がねじれてきたが、それじゃ俺も食えんわな。
武士は食わねど高楊枝。異世界で、まさかのサムライスピリッツを見た。
そうか。悲しいことだけど、侍は滅ぶべくして滅んだに違いない。何の役にも立たないもんな、その精神論。俺はいいや、平民で。飽食の国のゆとり世代が、いかに忍耐を持ち合わせていないか見せてやるぜ。
ぎゅるぎゅると鳴り続ける腹を抱え、空腹のためか意味の解らないことを考える。
一人残された部屋はすっかり暗く、窓は深く淡く夕闇のグラデーションに染まっていた。そのガラスを、何かが硬くコツンと鳴らす。
二階の高さから見下ろすと、人影がある。日が暮れてほとんどシルエットクイズだが、二つめの小石を投げようとウメルスが振りかぶっているところだ。
おお。
「ロミオ、何か食いもん持ってない?」
窓の枠に身を乗り出して、開口一番飛び出したセリフだ。このジュリエットは、愛よりも腹を満たしたい。
「ほら」
男はニヤリと笑って、袋を差し出す。中にはパンと、たっぷり入った革の水筒。
キャー、ステキ!
嬉々として食べ物をテーブルに並べると、斜め前のソファからあきれたようにウメルスが見る。この男は当然のような顔で座っているが、しかし部屋に上がり込むために取った手段は驚くべきものだった。絶対に。
庭から窓を見上げ、ウメルスは手振りで俺を下がらせた。そして助走のために建物に向かって軽やかに駆けると、そのまま二階までトトトッと登ってしまったのだ。
レンガの外壁は摩擦係数が高いかも知れないが、それにしたってどうかしている。もしもこの世界の兵士が全員こうなら、絶対に逆らわないでおこうと思う。
パンをかじりながら水筒を開け、水分を持って行かれた口をうるおす。途端にむせた。
「ちょ……、待て。これ、酒?」
「だらしないな。飲めないのか?」
かなり強めに背中を叩くと言う迷惑な心づかいを見せ、ウメルスは不思議そうに言う。
「あっちじゃ、酒は二十まで飲んじゃいけない法律なんだよ」
「変な法律だな」
うーん、異文化。
酒の味を知らないわけじゃないが、本当に舐める程度だ。親戚の集まりで子供に酒を勧める、面倒な大人はどこにでもいると思う。ただ、ウチはそれが姉だった。
断るため、団欒の場で何度キレたか解らない。文字通り、苦い思い出だ。それもあって酒は嫌いだと説明し、テーブルの水差しを手に取った。
コップにもなったフタに水を注ぐ横で、ウメルスは俺が突き返した水筒から酒を飲む。
「姉がいるんだな」
「アニキもいるよ」
答えながら、薄い落胆を覚える。
本当に身勝手な落胆だ。またラーナのように、帰りたいだろうと決め付けられるのは億劫な気がした。
「美人か?」
「……は?」
「だから、美人か? その姉は」
どうして戸惑うか解らない。そんな顔で、ウメルスはもう一度問う。
全身から力が抜けて、俺はテーブルに額をぶつけた。聞いてどうする。
「オレは昔から、美人の女兄弟がいる奴には優しくできるんだ!」
――と、のちに彼は力説した。
今は、会話を続けることができなかった。
前触れなく扉が開き、アルデアが現れたからだ。
腰まで届くハニーブロンド。琥珀の瞳。美少女と表現するべき整った顔に目をやって、俺は息を詰めた。
こんな顔は知らない。
こんな顔をするのか。
……いや、そうか。そうだよな。彼女は、貴族の家を支えてる当主だ。毎日城にも上がっている。そこで仕事をするためには、普通の、俺が知ってる十六歳の女の子ではとてもやって行けないだろう。
表情豊かで賢げな眉も、ふわりと優しい薄紅の唇も。今は冷たく、突き放すようだ。
いつもは宝石のように輝く瞳が、怒りに染まって暗かった。真っ直ぐに、しかし侮蔑を含んだ視線が痛い。
ウメルスが立ち上がり、礼を尽くすように膝を折る。
俺も一緒に立ち上がりはしたものの、さすがにそこまでは付き合えない。今時の日本人だからな。代わりにズボンを軽くつまんで、首をかしげて浅く屈んだ。メイド達のマネだ。こう言うことはできる。今時の若者だから。
しかしこのジョークを理解する者はなく、アルデアの後ろから眉をひそめたクルースがつかつかと進み出ただけだった。それを身振りだけで止め、少女は兵士に向かって言う。
「その子がわたくしのものだと、解っているのでしょうね?」
「そりゃ、勿論。思ってたより、面白そうな奴ですけどね」
琥珀の瞳がすっと冷える。
「何かあれば、殺すわ」
大袈裟だ。
アルデアとウメルスが急にピリピリした話を始めたので、その間に慌てて割り込む。
「悪かったよ! 勝手にパン食ったのは悪かったけど、そこまで怒る話じゃないだろう? 殺すとか言うなよ!」
「食べたの?」
それで怒ってたんじゃないのか。
「お嬢さんのペットに許可なく餌を与えた事は謝ります。でもまァ、安心してくれていいですよ。毒なんか、入れてない」
現に部屋に忍び込んでいるし、痕跡もある。これは言い逃れられないと観念したのか、ウメルスはあっさりと非を認めた。
青褪めて、アルデアが悲鳴のように責める。
「クラーテール!」
「それはまだ、親父の名です」
言いながら、彼は巻いた布ごと頭を掻いた。
クラーテールは、彼の名字だ。なら、オヤジだけのものってわけでもないだろう。
どうも、変だ。何でこんなに攻撃的になるんだろう。まあまあ、と手を上げて二人をなだめる。
「落ち着けって。ウメさんも、毒とか言ってふざけすぎ。あるわけないだろ、そんなの」
あきれ半分に抗議すると、その場の空気がぴたりと止まった。
知らないのか、と口の中で呟いたのはウメルスだ。
「ふざけてない。あるんだよ、この家は」
「わきまえろ、クラーテール」
クルースが低い声で戒める。
わけが解らない。彼等は何かを牽制し合っているようだったが、俺にはさっぱり話が見えなかった。ただ戸惑ってそれをぼーっと見ていると、ドンと背中に何かがぶつかる。
ウメルスは戒めに従わなかった。その言葉に、激しさがあった。彼もまた、それを許していないのだ。
「先代は、殺された。この家で、この家の主人がだ。誰かが盛った毒により、非道にも奥方もろとも毒殺された。あるんだよ、この家は。毒で、簡単に殺されるって事が」
背中で、華奢な手が俺のシャツをぎゅっと掴んだ。彼女の、すがるようなそれは、確かに震えていたと思う。