03 親しむ
03 親しむ
自分のベッドに体を投げ出す。
アルデアを本人の部屋にこっそり寝かせて戻ってくると、空の低い所から光が射し込み始めていた。
窓に背を向け体を丸める。まだ一日は始まってもいないのに、すっかり疲れた。このままもう一度眠りたいけど、そろそろ飼い主が目覚めて朝の散歩に行くと言い出す頃だ。
そう思っていたのに、結局少し眠ってしまったようだった。呼ばれた気がして瞼を開くと、視界一杯に甘く輝くハニーブロンドが広がった。
身支度を済ませたアルデアが、ベッドに手をつき俺の顔を覗き込む。
「コルウス、構ってやれなくてごめんなさいね。せっかくラーナ様がいらっしゃるんだもの。どうしても朝食をご一緒したいの」
飼い主は申しわけなさそうに、早朝恒例牛の骨拾い耐久レース開催中止を詫びている。
……そうか、楽しそうに見えていたのか。
この時間はまだ肌寒いと言うのに、額や背中に汗を浮かべて走る俺。でっかい骨を拾い上げ、元の場所に戻る頃には喉が痛いくらい激しい息切れに喘いでいる。
あれが楽しいわけがない。
あまりの誤解に言葉もなく、眉間を押さえて静かに耐える。なのにその手を掴まえて、アルデアはベッドから俺を引き摺り出した。
「あなたも一緒に食事するのよ。大切な方だから、お行儀よくね」
彼女は手を引いたまま、部屋と部屋を繋ぐ小部屋や広い廊下をぴょんぴょんと進む。
本当に跳ねるみたいに歩くから、長い髪がやはりぴょんぴょんと背中で揺れる。それがとても嬉しげに見えて、俺はこぼれ掛けた重い息を何とか隠すことにした。
「女性の騎士は、本当にめずらしいのよ」
うっとりと、そして琥珀の瞳を輝かせてアルデアがラーナを絶賛する。
「素敵だと思わない? こんなに強くて美しい騎士なんて、ほかにいないわ」
銀食器と花で飾られたテーブルは、ダブルベッドを三つか四つ繋げたサイズだ。三人で使うには、無駄に大きい。
現に今も俺たちはテーブルの端で、角を囲む形に座っていた。その俺の正面で、騎士がはにかむように薄く笑う。
「女性の武人は少ないのですよ。幸運には恵まれましたが、私が特別と言う訳では」
「ラーナ様は優秀だもの。きっと男性でも好きになったわ」
グラスを口に運びながら、いたずらっぽくアルデアが笑う。愛する主の発言に、その背後に控えるロリコン執事がピクリと肩を揺らすのが見えた。この騎士が女でよかったと、心から思う。
朝食を終えると、城に向かうアルデアを前庭から送り出した。
馬車の窓から手を振る姿は、かわいいけど何か複雑。その顔は、ラーナへの尊敬と憧れが輝きになってあふれたみたいだ。
……女子校かよ。
一人黙々と腕を振ってエア突っ込みに興じていると、騎士と執事とメイド達が不審そうにこちらを見ていた。主人の見送りは終わったらしい。
さあ馬鹿は放っておいて、と言う様子でクルースが家の中に戻り、メイド達をもそれにならう。
「コルウス殿。構わないなら、もう少し話を聞かせてはくれないだろうか」
残ったラーナにそう言われ、驚いた。エア突っ込みの体勢のまま、ちょっと固まる。
悪いが、もうネタはない。朝食の時もその話題になったからだ。
俺は高校生と呼ばれる学生をやっていて、よくも悪くもない成績とテレビで仕入れたマメ知識がチャームポイント。ただし、日常生活で一切役に立たない知識だけ。あちらには馬を必要としない乗り物があるが、その動力に関しては環境汚染や燃料資源の枯渇などの問題を抱えている。鉄の塊が空を飛び、水圧でカップラーメンの容器が縮むほどの深海まで人間は辿り着くことができる。空気を構成するのはおもに酸素と窒素。主食は米で、キュウリとナスで先祖の送迎をする民族だ。
我ながら大しておもしろくもない、どうでもいい話でしかない。それでもラーナは熱心に耳を傾けて、まるで何一つ聞き逃さないと決めているかのようだった。
こんな話をもっと聞きたいなんて、こちらの人間はよく解らない。
困り果てて頭を掻いている俺にを、じっと見つめたあとで彼女は尋ねる。
「ご家族は?」
これはアルデアの不在を選んでの質問だったのだろうと、あとで思った。
「いましたよ」
「では、帰りたいだろうに」
言われて、ぎくりとした。
確かに、そう思うべきなんだろう。
持っていたもの全てから引き離されて、理不尽なことこの上ない。しかもその理由は「ペットにしたい」だ。人として、怒り狂うべきかも知れない。
けれども俺は情けなく、そして同時に小賢しかった。
感じたのは、安堵だ。アルデアに出会い、アルデアの意思を知り、ほっと息を吐いた。
理不尽に日常から切り離されてなお、まだ自分を庇護するものがあることに安心したのだ。
それを知らない騎士はどうやら、俺を憐れむようだった。
帰りたいのか?
うーん、別に。
とは言いにくい雰囲気だったので、あいまいに笑って髪をいじった。
*
剣の形をした木の棒で、激しく打ち合う高い音。硬く踏み固められた足元は、それでも男達に重く蹴られて土煙を立てた。
気合の怒声と汗の臭いは放課後の運動部めいているが、違うのは、武器を介してひしめき合ってる全員が本物の兵士だってことだ。
鍛錬場と呼ばれるここは、高く分厚い壁に守られたイーグニス家の端にある。今日まで存在を知らずにいたのは、裏庭の木々に隠された場所にあるからだろう。
俺はこそこそと生け垣や木の陰に隠れ、中の様子を窺っていた。と言っても鍛錬場は柱に屋根がのってるだけで、建物と言うには色々足りない。お陰で何をしてるかよく解ったが、隠れる場所に苦労した。
なぜ隠れるか?
それは、勝手に出歩くなときつく言われているからだった。忠実なペットである俺は、一人で建物を出るのも初めてだ。
しかし、今日ばかりは命令に背いた。晩メシを抜かれるくらいは覚悟の上だ。
鍛錬場に入り乱れていた男達が、円を描くように周りを囲む。その中に一人、明らかに線の細い人影が現れた。
ラーナだ。
騒がしかった空気が静まる。
長い髪を一つにまとめ、動きやすそうな服装に替えている。しかし、それだけじゃないだろう。まるで別人に見えるのは、ピリピリと刺すような空気のせいか。
これが俺の目的だ。彼女が鍛錬に参加すると言うので、どうしても見てみたくてこっそりと付いてきた。
ラーナは木剣を構え、正面に立った男に向ける。彼女も背は高いはずだが、相手はずっと大きくて重そうだ。
静寂。
しかし決着は、あっと言う間だった。
ふと、ラーナの足がするりと滑るように間合いを詰める。はっと男は体を引くが、一瞬遅い。すれ違いざま、彼女の木剣が相手の分厚い胴を打った。
周囲からうなるような声が上がる。
ラーナは木剣を振るった勢いで素早く男の背後に回り、膝裏を蹴ってひざまずかせる。後ろから、剣先を首筋に当てて勝負を決めた。
ひっそりとほほ笑む彼女の肩で、髪がさらりと滑るのがなぜかやたらと色っぽかった。
「……凄え」
思わず呟く。
体の線に添う服の下、息が乱れた様子もない。凛々しい美人だとは思っていたが、ここまで強いとは思わなかった。
こんな姿を見てしまったら、あの美少女アルデアが憧れるのも無理はない。と言うか、俺が今現在ときめいている。
だってほら、強くて美人でかっこいい。
「しかも何かエロくて最高だ!」
胸の前で拳を握り、小さな声で最大級の賛辞を送る。物陰に隠れた俺の囁きは、誰の耳にも届かないはずだった。
しかし、不意に肩を叩かれる。
俺の体は反射的にびくりと跳ねて、驚きの余り息が止まった。恐すぎる。
そろそろと目を向けると、そこにいるのは若い男だ。頭に巻き付けた派手な布に、見覚えがある。何だ。昨日見掛けた男じゃないか。
ソイツは真剣な顔で熱く真っ直ぐ俺を見つめ、そして力強くうなづいて見せた。
はっとする。
俺も胸に熱いものを感じながら、コクリと深くうなづき返す。
そう、俺達は解り合った。
魂からしぼり出した俺の囁きに、ヤツは同じ男として同意の念を表さずにはいられなかったのだ。
これが、ウメルス――ウメさんと俺が、持ち前のエロティシズム感覚で響き合った瞬間だった。