20 超える
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俺はどうしようもなく身勝手で、どうしようもなくガキだった。
あの時は理解できなかった。どうしてだと、アルデアを恨みさえした。
それなのに。なあ、おかしいだろうか。今の俺は、きっと君と同じことを考えている。
「アキラ!」
俺を呼び、ドレス姿の花嫁が結婚式場を疾走する。ドレスを乱して駆け寄った彼女に、俺は首をかしげた。
「何?」
「何じゃないわよ。もう式が始まる時間よ」
息切れを整える間もなく言う花嫁を、俺はタバコを挟んだ指先でさす。
「新婦、ここにいたらマズイじゃん」
「新婦の弟がここにいても拙いのよ!」
ああ、そう言えば。
「二十四でまだ大学生ってだけでも聞こえが悪いんだから、いい子のフリくらいしてよね」
「うわー、キッツイ。アネキ、それはねーわ。夫婦ゲンカして、旦那泣かすなよ」
うるさい! とわめいて、アネキはバタバタと会場へ戻る。走りながらも振り返り、念を押すことも忘れなかった。
「早くきなさいよ!」
俺はひらひらと手を振って、半分ほどに減ったタバコを口にやる。その礼服の袖で、黒味を帯びた銀のチェーンがキラリと光った。
今ではもうこれだけが、あの時のことを現実だったと俺に知らせる。
あれから、七年が過ぎた。
夏に姿を消した俺が、秋になって突然帰った。それも夜中、高校のグラウンドにだ。
雨と泥にまみれた状態で見付かって、そのまま病院に送られた。集中治療室からしばらく出られず、その頃の記憶はほとんどない。
以前、こちらの医療の話をしたことがあった。彼女は俺を救うため、それに賭けたのだと気付いたのはあとになってからだ。
回復までに時間が掛かり、リハビリ期間も長かった。お陰で学年は二年遅れだ。
それでも右の握力は弱く、いくつかの傷あとと歩き方に癖が残った。
だけど、構わない。そう思える。
人間はいつどこにいたって、きっと何かで苦しむようにできてるんだろう。
なあ、アルデア。
あの頃の俺は、だたの甘えた子供だったよ。逃げ出したいといつも願って、ここじゃないどこかならもっと楽になれると思ってた。
君が俺を生かしてくれた。
自分が死ぬより恐ろしいと、俺の命を惜しんでくれた。だけど、思うんだ。それはきっと、俺に取っての君なんだと。
俺は、本当に子供だった。幼かった。
すぐ隣にいたあの頃は、ただ大事なんだと思い込んでた。たった一人の、同じ魂。
愛していたんだと、今なら解るよ。
*
就職活動はどうなの? と。
久しぶりの電話は、いきなり本題から入る。
『まだ決まってないでしょ?』
「何で決め付けるかな。俺の底力を知らないでしょう」
『決まってないでしょ?』
「いや決まってませんけど」
なら、ウチにこない? そう言う話だ。先輩の所って、何の会社だっけ。そう思っている内に、今度会おうと言って通話が切れた。
相手は、同い年の先輩だった。大学を二年先に卒業し、今はちゃんとした社会人だ。
強引なところは、大学の頃から変わらない。
異世界に行ってたんだって? そう声を掛けられたのが、縁の始まりだ。
何があった? 行方不明の間、どうしていたんだ。警察を始めとして、それを聞かれることが何度もあった。気になるのは解ったが、ほかには答えようがない。
結局正直に言って、嘘をつくなとキレられるのがいつの頃からかパターンになった。
普通、引くところなんだけどな。俺がぼやくと、宇宙人の友達がいたから、驚くのには慣れてる。先輩はそう言って笑った。
変なのに捕まったと思ったが、それ以外は至って普通で、面倒見のいい人だった。
大学四年の秋だ。まだ焦る時期でもない気がするし、そろそろ本気にならないとマズイって気もする。
一度会って、話を聞いてみよう。そんなふうに考えながら、ごろんと寝転がる。
一人暮らしの部屋は狭く、放り出した手にアネキのハワイみやげが引っ掛かった。先日実家に呼び出され、何かと思ったら新婚旅行から帰った姉が待ち構えていた。
今時ハワイって。しかもマカダミアチョコって。指をさして大笑いしたら、そのみやげで殴られた。
端が潰れた箱を腹の上にのせ、バリバリとチョコを噛み砕く。蛍光灯が白く照らす天井を見ながら、不意に解った。
ずっとこうして、流されるように日常を生きて行くんだろう。大学を出て、社会人になり、いつかは誰かと結婚でもするんだろうか。
顔の上に手をかざすと、銀色のチェーンがシャラリと鳴って腕を滑った。それを押し付けるようにして、目をふさぐ。
腕輪の石を見るたびに、琥珀色の瞳を思い出した。そしていつも、泣きたくなる。
なあ、アルデア。解っているか?
もう触れることのないあの異世界は、俺には夢と同じことだ。記憶はまるで妄想のように手応えがなく、不確かだから。
いつからか、疑ってしまうようになった。
本当に俺は、君に触れていたんだろうか。
「ばかね。当たり前でしょう?」
暗い中で、声がする。
星空めいた世界の瞬き。その一つが、俺を強く引き付ける。――そんな夢は、何度も見ていた。だから余計に、何が本当か解らない。
窓から入り込む太陽を受け、アルデアの髪が光を含んでまぶしく揺れる。
「元気そうね」
「ああ、元気だよ。君は?」
「元気よ。起きられる? 今日あなたが戻ると知って、皆様お待ちなの」
みんな? 俺の夢に、そんな凝ったディテールあったかな。
妙に思いながらも、素直にベッドから起き上がる。すると体の上から箱が滑って、床に落ちた。フタを閉めてあったから中身はこぼれなかったが、端が潰れたチョコの箱だ。
それを拾い、アルデアが差し出す。受け取ろうとしない俺を、不思議そうに見つめた。
――違う。違和感が強く、胸を突いた。
これは、俺の知ってるアルデアじゃない。
甘く輝く長い髪、薄紅の唇。そして俺を見る、琥珀の瞳。それ等の全てと優しく柔らかな輪郭が、記憶よりも大人びていた。
震えそうな手を、その頬に伸ばす。
「アルデア、これは……夢か?」
「……ばかね」
彼女は素早く背伸びして、柔らかな唇で俺に触れた。少し離れ、ふわりとほほ笑む。
「目が覚めた?」
「いや、夢でもいいかと思った」
言った時には、抱きしめていた。
その手応えと温もりに、泣きたいような感情があふれる。現実だ。そう解った。
確かに今、アルデアがこの腕の中にいる。
彼女は、あやすように背中を叩いた。そして俺を促し、部屋を出る。長い髪がぴょんぴょん跳ねる背中を見ながら、この七年を思う。
おもに、俺の絶望をどうしてくれるのかと。
飼い主が、異界から呼べるペットは生涯に一人。そう聞いていた。……これってさ、一生に一回しか呼べないって思うじゃん。
また呼べるんなら、そう言っといてくれ。強く思うが、本来は一度切りらしい。ペットが元の世界に帰るのは、普通、飼い主から離れるためだからだ。二度目は皇帝が許さない。
それでも心の中で文句を言っていると、廊下の先にウメルスを見付けた。
「ウメさん、これおみやげ」
「コル、久し……何か大人になってないか?」
俺がチョコの箱を差し出すと、振り返ったウメルスは挨拶を途中から驚きに変えた。
「なったよ。二十四だもん」
「何で年上だよ! オレ、二十二だぜ?」
これは向こうへ戻った時に気付いたが、こちらとあちらは時間の流れが違うのだ。こちらにいたのは一ヶ月ほどだったのに、あちらでは二ヶ月以上が過ぎていた。
「こっちでは何年くらい経った?」
「三年よ」
そんなことを話しながらサロンに入ると、懐かしい顔が並んでいた。相変わらず派手な装いのケロリンをスルーし、アルデアに囁く。
「なあ……フェレスとラーナが見えるんだが」
「えぇ。ラーナには、うちで働いてもらっているの。あの方を人質にして、ドゥクス=アクアをいいように使うと言う寸法よ」
アルデア、三年で芸の幅が広がったな。
心強くうなづく俺に、双子のメイド達が椅子を引いて席へ促す。座ると、客達もそれぞれの席へ腰を下ろした。
みんなでテーブルを囲んでから、気になって仕方ないようにアルデアが言う。
「ねえ、今度はずっといられるでしょう?」
それにはちょっと考えて、首を横に振った。
「いや、一回は戻るよ。親とかに、一応、異世界に就職するって言ってくる」
「異世界で、ペットになりますとでも?」
「あー、ペット? 夫じゃ駄目?」
アルデアは琥珀の瞳をぱっちり開けて、息を詰める。そして困ったような、くやしいような顔で俺を見た。
「ねぇ。あなたに愛してるって、わたくしもう言ったかしら」
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