02 戸惑う
02 戸惑う
こちらにきてから、やたらと説教されてる気がする。
うるさいのはクルースだが、あのクソ執事は俺の顔を見れば小言を言う設定になっているらしい。誰か、あのサイボーグを一回初期化したほうがいいと思う。俺のために。
今日もメイドの仕事を手伝って掃除をしていると、ヤツは高い棚の上に滑らせた指先をこちらに向けて突き出した。
「何に見える」
その嫌味に、俺は優雅に立てた人さし指を自分の顎に添え、首をかしげて見せた。
「あら、ご存知なくて? それはホコリ、と言うものですわ」
「……私は、こんな物が残っているのに掃除したつもりか、と尋ねている」
「ひどいわ、お義母さま。アタシだって、この家の嫁として一生懸命やってます! 気に入らないなら自分でなさればいいじゃありませんか! その邪魔なだけの身長が、少しは人の役に立ちましてよ!」
ホホホホホ! とキレ気味に笑うと、頭一つ分高い位置にある顔がピクリと引き攣る。まるで、花壇を食い荒らす害虫でも見付けたようだ。
「図々しい。お前の様な者にイーグニス家の嫁が務まるものか」
うーん、ホントに愛憎の嫁姑ごっこが成立するとは思わなかった。
ちょっと離れた所では、絵本のアリスみたいな服を着た双子のメイドが「あらあら、仲がよろしいこと」などと笑っている。完全に誤解だが、楽しんで頂けたなら幸いだ。
しかし、執事で遊ぶにも限界がある。何しろ相手に遊ぶ意思がない上に、敵意オンリーの切り返しは九割がつまらない。
あー、退屈だ。
最初の三日はよかった。このクソ広い屋敷のドアを、片っ端から開けることに費やしたからだ。
それはおもしろい冒険で、かなりの期待外れでもあった。女子達の部屋を勝手に覗き、クルースから殺意混じりに説教されたほかは特に何もなく終了してしまったのだ。
玄関で発見した壁に似せたドアは一瞬テンションを上げさせたものの、普通に執事の部屋だったしな。
個人的な意見だが、こう言う家は謎めいて開かないドアを一つは作るべきだと思うんだよ。そしたらその鍵を盗んだり偽造したりの計画で、一ヶ月は時間が潰せたに違いない。
ちぇ。――と口を尖らせて腐っている間に、メイド達は掃除を終えてしまったらしい。双子から、片付け掛けた掃除道具を取り上げる。
「やるよ」
「あらあら、有り難う存じます」
声をそろえて礼を言われたが、実はこれもヒマ潰しの一環だ。
この家は全部の部屋を調べるのに三日も掛かるくらい広いくせに、極端に人が少ない。俺やアルデアのほかには、いつも忙しそうなクルースと双子達だけだ。
その上、飼い主のアルデアはほぼ不在。朝早く家の裏にある森で遊んだあとはすぐに登城し、夜中になるまで帰らない。
こんな家庭にペットを飼う資格があるのだろうかと、大いに疑問だ。
本でも読めれば退屈しのぎになるのに、それもできない。試したが、会話はできても文字はサッパリ読めないようだった。
何かおもしろいことないかなー、と呟きながら廊下を歩いていると、大きな鏡の前を通り掛かった。そこに映るのはモップを担いでバケツをさげた、中々に凛々しい青年の姿だ。まあ、俺なんだけど。
鏡の中にいるソイツの額には、紋章がある。不思議なことにそれは水面の光か、燃えている火のようにゆらゆら赤く輝いて見えた。
多分、魔法ってヤツだよなあ。どうでもいいけど、これ、かっこ悪いんだよな。
自分の姿を見つめたまま、はあっと憂鬱な息を吐く。
昼間はまだいい。しかし、あれだ。コイツはずっと光ってるってことを考えて欲しい。
夜、鏡に映った自分を見た時は泣いたね。ばっさーと羽を広げた鳥っぽいものが、俺の額でぴかぴか輝きまくってるんだ。ちょっとした悲劇か、笑えるホラーだ。
悲しい気持ちになりながら廊下の端にある物置に掃除道具を押し込んでいると、遠くで来客を伝えるベルが聞こえた。
珍しい。ここにきてから一週間は越えているが、客らしい客は初めてかも知れない。
色彩感覚の崩壊しているあの男、リーノケロース略してケロリンは別カテゴリーでカウントして欲しい。悪い意味で。
長い廊下を急いで戻り、階段を駆け下りる。下りたらそこが玄関だ。これがまた広い。二階までの高さがある壁には絵画が飾られ、大きな暖炉の前にはソファまである。ここがすでにサロンのようだが、客がくつろぐための広間はまた別にあった。
うわっ、と。
声にしてしまったかも知れない。
客は女だった。そして、とんでもなくかっこいい人だった。
まず目を引くのは、長い髪。アルデアよりも長そうだ。プラチナブロンドから淡いピンクへ、毛先に向けて不思議に色が変化していた。ゆるくウェーブした髪が、黒っぽい背中に散らばって何とも映える。
その身を包む膝までのコートは、どこかゴツゴツとして男っぽい印象を受けた。軍服か。そう気付いたのは、彼女の腰に剣が吊るされているのを見てからだ。
クルースが言う。
「主から、戦場にいらしたと伺っております。お帰りなさいませ」
「ありがとう。城でドゥクスにお会いしてね。泊りに来て良いと仰るから、甘えてしまったよ。また世話を掛けるけど、宜しく」
ドゥクス、と言う単語は耳慣れないが、覚えがあった。いつだったか、クルースの説教で聞いた気がする。確か、このイーグニス家が持っている爵位の名称だったはずだ。
ふーん、と思う。
勇ましい美人の顔を見ていると、片方のメイドが俺をつついた。
「手伝うか、少しよけていただけます?」
気が利かない人ね、とでも言いたそうだ。見れば鞄やトランクが運ばれて、扉のそばに積まれている。
重そうな荷物だ。手伝うのはいいけど、小柄な双子達には辛いだろう。ここまで運んできたヤツに、部屋まで持って行かせればいいのに。
今も一人、頭に派手な布を巻いた男が荷物を両手に抱えてきたところだ。これって多分、客の連れじゃなくてこの家の人間だよな。
考えてみれば、当然な気がする。クルースが名家だと胸を張るくらいだ。確かに俺は執事とメイド達しか知らないが、まさかホントに使用人が三人ってことはないだろう。
荷物を床に置いた男は、顔を上げたついでみたいにチラリと視線で俺を探った。珍しがるようなその態度を不快に思うより、まず驚く。若い。俺とそう変わらない歳だろう。簡素な服の腰に、剣があった。
俺が世間知らずなだけだろうか。剣が必要な仕事に就いた、同世代の人間を初めて見た。
何か、ショックだ。
「コルウス殿」
急に呼ばれ、一瞬解らなかった。本名じゃないしな。それに、ぼんやりもしていたらしい。周囲にはいつの間にか、荷物とその持ち主しかいなかった。
にこりと、優しく。
不思議な色の髪を揺らし、彼女は剣や軍服とは不似合いに笑った。
「私は、ラーナ・ロートゥス。騎士の身分ながら、ドゥクス=イーグニスとは懇意にさせて頂いている。これから、宜しく」
「はあ、それはどうもご丁寧に」
つい反射的にお辞儀したが、低くなった顔のそばに女の手があった。そうか、握手か。
「ドゥクスから聞いて、君に会うのが楽しみだった。是非、異世界の話を教えて欲しい」
ぎゅっと力を込めて俺の手を握り、ラーナは覗き込むような目をほほ笑ませた。
本当に興味があったらしく、彼女はすぐにでも話がしたいようだった。夕食にも誘われたが、戦場から戻ったばかりの人間はまず休ませるものだと、執事が俺を追い払った。
正直、助かった。相手ができたのは嬉しいが、美人で年上の女の人と何を話したらいいのか一切解らない。
やはりこの日もアルデアは遅く、それでもラーナは帰りを待っていたようだ。俺もそうすべきかと思わなくもないが、睡魔には勝てずいつも先に眠ってしまう。
少し眠り、不意に目覚めた。
ベッドから窓を見ると、空はほんの少しだけ夜明けの予感を漂わせていた。けれどもまだ、夜の内だ。空気までが暗いようで、ものの形も影でしか解らない。
そっと体を起こし、自分の隣を確かめる。ぴかぴか光る悲しい額に照らされて、浮かび上がるのはご主人さまのかわいい寝顔だ。
……ホント、勘弁して欲しい。
寝る時は、いつも一人だ。それがなぜか、朝近くには二人に増える。執事に知れたら寿命が縮むこのイベントは、今のところ毎日だ。
そのため俺は肩に担いでも起きないこれを、未明の内に本来のベッドに戻す隠滅作戦を連日遂行し続けている。
細くあたたかな体を抱き上げると、いつも胸の中がざわついた。心底思う。こんなギャルゲーみたいな状況は、思春期男子には実においし……。
――由々しき問題だ。