18 晴らす
18 晴らす
彼女は、騎士でいたかったのか?
憎悪めいて俺を責める男の姿に、そんなことを思う。
「なあ、浮気で騎士辞めさせられんの?」
「そうです」
「じゃあ、俺のせいじゃないじゃん」
全部、フェレスが招いた結果だろう。
「やっぱり俺、アンタが間違ってたと思う。ラーナは、使用人の子だったんだろ? どうして、そのままにしてやらなかったんだ」
腹が立つ。騎士になりたがる人間なら、ほかにいくらでもいただろう。
強いけど、穏やかで優しい。どうして、あの人でなければいけなかった?
「口を慎め」
ゲムマを持った男が、低く言う。沈黙して戸口近くに控えていたが、見兼ねたようだ。片方に傷のある目で鋭くにらむ。
「ウェルテックス、剣を」
「しかし」
フェレスは剣を下げていなかった。
ウェルテックスと呼ばれるその男は、武器を渡すことを恐れて見える。主を、罪から守りたいのかも知れない。
「剣を」
不承不承を顔に出し、彼はフェレスに剣を渡した。そうして知る。罪から守ろうとしたんじゃない。普通に心配だっただけだ。
「フェレス、落ち着け」
「君は黙って居て下さい」
「フェレス様、やはり……」
「黙れ」
俺とウェルテックスがおろおろと見守る中、フェレスは剣を抜こうとする。いや、している。結構前から。柄と鞘をそれぞれ左右の手に握り、ぐっと力を入れてぷるぷるした状態が続いていた。……どんくせえ。
「なあ、あれ……」
「フェレス様は、向いてらっしゃらないんだ」
それが逆に恐いと、ウェルテックスの言う通りだった。力任せに抜かれた剣は、勢い余って手を離れた。わあっと声を上げて屈んだ上を、白刃が飛んで壁に刺さる。
「だから落ち着けって!」
「フェレス様、お怪我をなさいます!」
大騒ぎで逃げまどう。途中、窓の布が引っ掛かってピリピリと裂けた。向かいの屋根に、大きな鳥が下りるのが見える。空が白み、朝の色になり始めているとそれで気付いた。
ひたり、と。
鋭さに濡れたような切っ先が、俺の頬に背後から触れる。
冷たさが、肌からしみ込んで内臓をぎゅっと縮ませた。言われるままに振り向くと、フェレスの静かな目に出会う。
「……殺すのか?」
「そうしたいと思っています」
一瞬、迷った。それでもやっぱり問うために、俺は薄青い目を見つめ返す。
「最後なら、教えて欲しい。あの人は、アンタのことが本当に好きだ。だから何でもするって、俺にだって解る。それを、利用しただけなのか? アンタはラーナのこと、どうでもよかったのか?」
最後だと言うのに、知りたいのはそんなことかと。驚いたのか、下ろした剣がカツリと当たって足元の床に埋まった。
「わたしは……」
フェレスのわずかに眉を寄せた表情に、薄く痛みが滲む気がする。
「最初から、跡継ぎでした。ドゥクス=アクアとして生きる事が、生を受けた瞬間からの定めです。心のままに伴侶を選ぶ自由も意志も、持つ事さえ許されはしませんでした」
ラーナは、メイドの娘だった。子供の時は一緒にいられた。しかし年頃になればほかの男の妻となり、家庭を持つ。
それは、嫌だ。
「騎士としてなら、わたしの物になります」
「選ぶなら、ラーナだったのか……?」
そう聞こえる。何だそれ。連れて逃げろよ。
――言いたくて、でも言えなかった。俺は少し、それを知ってる。多分、同じなんだと思う。自分を殺して、あの家を守ると決めたアルデアと。同じに胸が潰されている。
何だか、もういいや。
「アンタも、結構おもしろいね」
人間くさいと言うべきだろうか。俺は少し笑い、バンッと思い切り窓を押し開いた。
「飛び下りるつもりですか? 二階でも、足を挫いてとても逃げられませんよ」
「いや、窓から出入りする趣味ないから」
俺はね。
軽やかに駆ける、助走の足音。そのままトトトッと、登った男が窓からぬっと現れる。
「妙な場所にいるな、ジュリエット」
にやりと笑い、俺仕込みの地球ジョークを披露するのはウメルスだ。彼は素早く室内に飛び込むと、剣を抜いて身構えた。頭にいつもの派手な布はなく、乱れた髪が見えていた。
「ドゥクス=アクア、どんなつもりかは知りませんが……あの」
異変を知って、武器を持った男達がバラバラと部屋に入ってきた。それに守られながら、しかし当のフェレスは床に刺さってしまった剣を抜こうと四苦八苦している。
ウメルスが、遠い目をして眉をひそめた。何か、ごめん。意外と、ああ言う人なんだ。
しかし部下達は、さすがに油断なく周囲を固めた。武器を手に、じりじりと俺達を追い詰める。……ウメルス一人では、無理だ。
ふと、その一番後ろに厳しげなウェルテックスの姿を見付ける。俺は深く考える間もなく、手を上げて思い付きを口に出した。
「ウェルテックス、退いてくれ」
えっ、と言う顔をしたのは、俺以外の全員だ。しかし彼はいち早く立ち直り、理解した。傷あとの下で目を細め、部下達に命じる。
「退く。フェレス様をお連れしろ」
「ウェルテックス! 駄目だ!」
「行け」
余程信頼されているのだろう。部下達はドゥクスではなく、撤退の命に従った。
ウェルテックスは部屋を出て行く前に、ベッドの上にゲムマを置いた。それからこちらに向き直り、姿勢を正す。拳を胸に当て、ダンッと強く靴を踏み鳴らした。
迫力のあるこの動作は、軍人が敬意を表したものだそうだ。混乱気味にウメルスが教えてくれた。
ウェルテックスがどうして退いたか、そのことも納得行かないらしい。「乗り気じゃなかったんじゃない?」と俺が言うと、彼はぐしゃぐしゃの髪を掻くように頭を抱えた。
でも本当に、そうだと思う。
だって、フェレスは最初から負けていた。俺がいなくなっても、ラーナはアルデアから信頼される友人には戻れない。それに騎士としての処分も、なくなるわけじゃない。
それでも、こんなことをした。そうせずにいられないって解るから、ウェルテックスも止められなかったんじゃないかと思う。
終わらせたのは俺だと、フェレスが責めたのは一体どのことだったんだろう。
建物から出ると、悲鳴みたいな鳴き声がしてデカい鳥が舞い降りる。ケロリンの鷲だ。
鳥番の鳥は人を覚えて、それを探せる。しかし公文書しか届けないし、そもそも城には俺を覚えた鳥がいない。だから俺を探すために、コイツを貸してくれたんだろう。
「見付けてくれてありがとなー」
言ってなでた鳥の足に、派手な布が結ばれている。向かいの屋根にこれを見付け、彼が近くにいると知った。もっと助けが早くてもいい気がしたが、鳥は夜飛べない。だそうだ。
一人できたのかと思ったら、ウメルスは鳥を追う内に入り路地で部下達とはぐれたらしい。確かに俺も、迷いそうだった。細い道や人の家の庭みたいな場所を迷路みたいに通り抜け、やっと見覚えのある大通りに出られた。
遥か上空に、真っ直ぐ伸びる水道橋。これを辿ると、先に白く巨大な城が見える。
何だ、街の中だ。いつも馬車で、歩いたことがないから気付かなかった。
はぐれた人達と合流し、馬車に乗せられて屋敷へ向かう。途中、一緒に乗ったウメルスに言われた。フェレスのことだ。
「よく許したな。命まで取られ掛けておいて」
あの状況で退かせたら、もう責任は問えないと言う。また、証拠も残してないだろう。
「いいじゃん、別に。生きてるんだし」
そうだろうか。彼は言って、顔を曇らす。
「お前は、自分を軽んじ過ぎるよ」
*
目が覚めると、テーブルに食事が用意されていた。ベッドからソファに移動して、もぐもぐと口を動かしながら窓を見る。どうやら、昼食を寝過ごしてしまったようだ。
戻ると、涙の目で迎えられた。俺の不在に気付いたのはメイド達で、心配させたらしい。
早朝だったが軽く朝食を食べ、少しのつもりでまた眠った。まさか、ここまで寝るとは。
用意された食事を終えて、やる気なくソファの上に寝転がる。視線が低くなり、向かいの椅子の下に何かが落ちているのに気付いた。
受け取ってすぐに寝てしまい、さらに拉致されてすっかり頭の中から消えていた。でも、覚えがある。クルースの封筒だ。
少しの間それを眺めて、俺は部屋を出た。
渡したいものは屋根裏のトランクだと、封筒と一緒に伝言を聞いていた。封筒の中身は、古びた鍵だ。屋敷の一番上に上がり、少し探して見付けた鞄に鍵を使う。
ああ、そうか。
頭の端で、納得するようにそう思う。
フタを開けると、薄いガラスがカシャリと砕けた。こぼれる砂と、かすかな羽音。
きっとこれが、アレナモスカだ。