17 擬する
17 擬する
皇帝自らが言っていた通り、ガッルス・イーグニスの暗殺はクルース一人の犯行と断定された。
調査を任じられたアーエール家の人達が、証拠と自白の裏付けを取るのに七日。その間ずっと留め置かれていたが、やっと放免になって屋敷に戻れた。ただし、一人で。
アルデアとウメルスも自由になったが、ヤツらはまだしばらく帰れない。今度は拘束中、完全に止まっていた仕事を片付けるために城から出られずにいるのだ。
城から帰った俺を、双子のメイドが出迎えた。その泣きそうな顔を見て、やっと彼女達の不安に気付く。
俺達は城で拘束されたが、この屋敷にもフルグルの部下がきたはずだ。そして実際、執事が連れて行かれた。頼りにできるはずのクルースもおらず、そのあとは双子達だけで恐い思いをしただろう。
「……ただいま」
「お帰りなさいませ」
「ほんに、ようお帰りくださいました」
オクルスとアウリスは、涙にうるむ緑の目で俺の帰りを喜んでくれた。
久しぶりに部屋に戻って、俺は何よりもまずベッドへ倒れ込んだ。少しのつもりが、そのまま眠ってしまったらしい。
気付くと、双子の一人が俺の顔を覗き込んでいた。
「……あれ」
「申し訳ございません。お呼びしても、お返事がいただけませんでしたので」
いつの間にか、部屋は夕暮れに染まっていた。夕食の時間らしい。食事をここに運ぼうかと言うので、眠い目をこすりながらそれにうなづく。用事はそれだったのだろう。
しかし彼女はすぐに去らず、ベッドの脇へ膝をつく。そして寝転がった俺のほうへ顔を近付け、ひそひそと言った。
「クルースさんが連れて行かれる前に、あずけられた物がございます」
「クルースに?」
どうしてそれを、俺に言うんだろう。そう思っていると、エプロンから取り出した封筒を手の中に押し付けられた。
「おわたしするよう、言付かっておりました。コルウス様に、たくしたい物があるのだと」
解らない。何を考えているんだろう。
受け取った封筒を、しばらく眺めていたことは覚えている。多分、また眠ってしまったんだと思う。
けれども次に起きた時、目に入ったのは双子達や、ましてアルデアの顔ではなかった。女みたいに肌が白く、優しい顔の――。
「……フェレス」
「目が覚めましたか? 良く眠って居ましたね」
肩の上でゆるく束ねた髪を揺らして、彼がこちらに振り向いた。優しく優しくほほ笑んで、フェレス・アクアは俺に言う。
「死ぬ事と、元の世界に戻る事。君なら、どちらを選びますか? コルウス君」
本当に、よく眠っていたらしい。ぐうすかと惰眠をむさぼっている間に、俺はどうやらこの男に拉致されてしまったようだ。
そう広くない、粗末な部屋だった。床板はささくれ、壁は古びたしみで汚れている。窓には擦り切れた布が下がっていたが、その隙間から外には夜が広がっていると解った。
俺は一応ベッドに寝かされていて、そのそばの椅子に蝋燭が灯されている。部屋の中にあるのは、それで全てだ。
ベッドとは言うが、板に毛布を敷いただけだ。その上で、あぐらを掻いて座る。
「何で、俺に選ばせるんだ? 勝手にすればいい。殺そうと、石を割ろうと」
でも、自分で去ることは選ばない。そう言うつもりでフェレスを見ると、彼は意外そうに見つめ返した。
「知らなかったんですか? ゲムマを割れるのは、それを所有する主とペットだけです。他の者では、例え魔術師でも割れません」
しかし、ペットを呼び出した飼い主が、それを戻すために石を割ることはほとんどない。だから、俺に自分で割って欲しかったのにと彼は呟く。……ああ、解った。
「アンタ、リュンクスに何か吹き込んだだろ」
ゲムマを割れば元の世界に帰れる。それを俺に教えたのは、あの幼い姫だった。
フェレスはあの子はのお気に入りだ。彼の言うことなら、信用しただろう。まして、俺のためと言われたなら。
薄青い瞳が、優しく笑う。
「折角、ゲムマを部屋にまで届けて差し上げたのに」
「あれもアンタかよ……。じゃあ、ラーナが金庫から出したんだな」
あの屋敷に長く滞在していた彼女なら、探し出すこともできただろう。そこで、あれ? と引っ掛かる。
「でも、どうするんだ? ラーナは、まだ城から出れないって聞いたぞ。石、取ってこれないじゃん」
だったら選ぶも何もない。赤く輝くあの石は、今も屋敷の金庫で眠っている。ここにないなら、割ることもできない。そのはずなのに、フェレスはにこりと笑って指さした。
「ご心配なく」
そこには開くときしむ扉がある。今まさに耳障りな音を立て、男が入ってくるところだ。その手には柔らかな布がぐしゃりと握られ、開くと炎のように揺らめく輝きが現れた。その石にあるのは、俺の額と同じ紋章だ。
ウメルス、正解! これは完全に、ラーナ以外の間者もイーグニス家の中にいる。そうか、それに。俺を連れ出すことだって、内通者がいなければさすがに無理だ。
「何で俺が邪魔なんだよ」
こんなにも手間を掛け、いよいよとなったら殺すつもりでさえもいる。俺なんか、取るに足らない人間だろうに。
「――半年前、イーグニス家の当主が代られました。新しいドゥクス=イーグニスは賢く、可憐で、そして幼い程にお若い方でした」
これでは、皇帝に仕えることはできない。王宮は利権と陰謀で動く場所だ。彼女はすぐに潰れてしまうと、フェレスは感じた。
「ですが、それでは困るのです。ドゥクスの位を許されるのは、わずかに四家。その一画が崩れれば、他の全てが傾くでしょう。安寧とは、均衡の上に成り立つものです」
「解らない。それはアルデアと、国の話だ。俺じゃない」
「わたしは、ドゥクス=イーグニスをお助けしたいのですよ」
「助ければいい」
アルデアだって、頼りにできる人間が欲しいはずだ。
「本来ならば、ラーナがそうなるはずでした。ドゥクス=イーグニスに気に入られ、ああも深く懐へ入り込んだのですからね。あれの忠告なら何なりと、素直に聞き届けて下さった事でしょう」
……それは、助けるって言うのか?
ラーナは、フェレスの手駒だ。だとしたら、忠告は全て彼の意向だろう。どうしてだ? 危ない気がする。それは、あやつると言うことに聞こえる。
「普通には助けられないのかよ」
「普通では足りません。勝手をされては困ります。ですから絶対に、ラーナを裏切る事がないように、あれの他に頼る者があってはなりませんでした」
クルースがいた。メイド達や、ウメルスも。そばにいるのは、俺だけじゃない。
しかしそれには、「いいえ」と言う。
「それは、主従で結ばれた者達です。友人ではありません」
「友人だったら、どうなんだよ」
「裏切る事ができません。期待を、愛情を、そして善意の忠告をです」
意外だった。
アルデアをあやつろうとするフェレスが、そんなことを信じることが。もしかすると、彼にもそう言う相手がいるのだろうか。
しかし彼の計画は、すでに破綻している。
ラーナだ。
「アルデアは、もう知ってる。ラーナがフェレスのものだって、知ってるよ。だから、それは無理だ。そんなふうには戻れない」
「……ラーナが何故、城から出されないのか知っていますか?」
「え?」
フェレスは、唐突に問うた。
腕組みした肩で窓枠にもたれて、擦り切れた布の間からどこか遠くに目をやっている。
確かに、妙ではあった。
だって俺達はもう解放されたのに、ラーナはまだ城で拘束を受けている。ガッルス殺害関与の疑い。これは同じだったはずだ。そして、彼女は名前を使われたに過ぎないのに。
優しげな横顔が、優しい声で俺に教える。
「領主殺害の罪ではありません。妻子ある男と、関係を持ったからです」
騎士には品格が必要とされる。だから、それは許されない。ドゥクスは不問とされるのに、彼女は罰を受けるのだ。
「今回の件で改めて身辺調査が為され、暴かれました。ですがわたしとあれの事を、最初に気付いたのは君だそうですね」
何で知ってんだよ。
静かな声が恐かった。背中がドンと壁に当たる。無意識に、体が逃げていたようだ。硬いベッドの、いつの間にか端にいた。
「称号を剥奪され、騎士としては終わりでしょう。終らせたのは、君です」
自らの感情に戸惑ってでもいるように、フェレスは眉を寄せて俺を見る。
「わたしは……だから、君に死んで欲しいのかも知れない」