16 惜しむ
16 惜しむ
クルースが吐き出したのは、毒薬だった。最初から、命を絶つつもりで罪を認めたのか。
「がっかりした?」
ヴェール越しの、くぐもった低音。
彼は黒光りする扇で、ひらひらと実に軽やかにあおぐ。でもこれ絶対、重たいはずなんだ。不審がるのに忙しく、問われた意味が解らなかった。
「死んだほうが、きみたちには好都合でしょ」
「ドゥクス=アーエール!」
青褪めたアルデアの隣で、ウメルスが諫める声を上げた。それは人の死を願うはずがないと言うことか、それとも身の潔白を主張してのことか。俺にはよく解らなかった。
しかし、元気だ。彼はまだ激しさを残していたが、こっちはもう感情が追い付かなかった。色々あり過ぎて、ほぼ無気力だ。
だけど「君はどう?」とでも言うようにヴェールの固まりが近付いてくるので、俺は頭を掻いて布の顔らしき部分を見る。
「俺、クルースが死ぬのは嫌ですよ」
「へえ」
「死んで許されようなんて、甘いんだよアイツ」
ウルススは、後半のセリフを聞いて首をかしげる。そして扇と言う名の凶器を閉じて俺に向け、胸の辺りをトンとつついた。
「こわいこと言う。気にいった」
何でだ。
クルースが医者の所へ運ばれ、俺達はアルデアの執務室に戻っていいことになった。
だが城からは出られず、見張りも付いている。それは、アルデアがまだ疑われていることを意味した。使用人が犯行を告白しても、それは主を庇ってのことかも知れないと。
ならどうして、クルースがいる広場への同行を許されたのだろう。俺が疑問を口にすると、アルデアがあっさりと説明した。
「わたくしたちがどんな反応をするか、それが見たかったのでしょうね」
あれも捜査の一環か。お陰で、人の顎が砕ける瞬間を目撃してしまった。
ぐったりとソファに座り込む。自分の足に肘をつき、うつむいた格好になって気が付いた。白いネクタイに、かすれたような汚れがある。血の跡だ。多分、あの扇からクルースの血が移ったのだろう。
ネクタイを外しながら、ふと気になる。
「あの歯さ、ちゃんと治るのかなあ」
「治らないわね」
「え、治んないの? 魔法とかあんじゃん」
「さァ……、治せる者もいるかもな。ただ、皇帝の魔術師が医術に長けているとは聞かないぞ。お前の世界では、治るのか?」
治る。自分の歯じゃなくて、差し歯とかインプラントとかだけど。
俺が語ると、彼等は見て解るほど驚いた。部屋の端で、見張りの兵も聞き入っているほどだ。そうかそうか、そんなに聞きたいか。俺がテレビで仕入れた、医療最前線情報を。
最もわいた話題は骨を印刷できるプリンターと、筋肉と連動して指までが動かせる技手。
それが魔法だ! と、総突っ込みを受ける。いや、違う。技術の粋だ。
当然か結局か。この日は屋敷へ戻ることを許されず、城に部屋が用意された。俺とウメルスが同室で、アルデアは別のどこかだ。
久しぶりに一人で使うベッドの上で、どうしても考えるのはクルースのことだった。
納得できない。
この都からガッルスが領主を務めるワースティタースまで、馬で駆けても丸一日。それは当然、荷物も同じだ。
ガッルスが死んだのは二日前。だとすると、クルースが毒虫の小箱を送ったのは遅くてもその一日前だろう。家督をよこせと例の手紙が屋敷に届いたのは、小箱を送るさらに前日。
あの日は珍しく、アルデアとクルースが書斎で言い争っていた。何かで、手紙の内容を知ったのだろう。理由はあった。けれども、ラーナのことはまた別だ。
ラーナの荷物は、屋敷にあった。手紙のための道具もだ。クルースなら簡単に、封蝋にロートゥス家の紋章を刻めただろう。
だが、アルデアを守るつもりでも、ラーナから守る理由がない。彼女がフェレス・アクアの間者だとはっきりしたのはガッルスが死んだ翌日で、それも深夜のことだった。
……それとも、理由なんかいらないのか?
「コル、妙だと思わないか?」
俺はあお向けに瞼を開いて、天井があるはずの暗い場所を見つめていた。部屋の灯りは落とされていいて、どこかで燃えるかがり火が夜空の窓から忍び込むだけだ。
返事を待たず、声は続く。
「コメスが家督を欲しがっていると、知ったのは手紙がきてからなんだろう? アレナモスカは、遠い砂漠の国にしかいない。しかも暗殺用の虫が、そうすぐ手に入ると思うか?」
「解らない」
「なァ、コル。クルースは、先代の……」
「ウメさん、やめよう」
「あれは、半年前だ。ちょうど、お嬢さんの結婚話が出た頃だった」
思わず、跳ね起きる。床に足を下ろして声のほうへ体を向けると、ウメルスがベッドの縁に腰掛けているのが薄く見えた。
テッラ家との縁談と、両親の死。それぞれの話は知っていたが、同じタイミングだったとは初めて聞いた。
そうか。なら、当然だ。こうなってしまったら、クルースがアルデアのために殺人を犯すと解ったら。誰でも関連を考える。
信頼され過ぎたんだ。忠実な執事であり、先代には兄弟のような友人。彼なら簡単に、毒入りのワインを供することができた。
「先代のために用意した毒を、まだ持ってたんじゃないか」
「……ウメさん、聞こえる」
部屋の外に、見張りのための兵がいる。
「気付いてるだろ、さすがにもう」
「それでも、駄目だ。この話はやめよう」
「どうして。クルースが捕まった今、決着は付いたも同然だ。……それとも」
本当に、アルデアが殺しに関わっていると? ウメルスの沈黙は、それを問い掛けた。
違う。それはない。アルデアに、人を殺してまで何かを欲しがる熱はない。
でも、それだけとも言えなかった。
アルデアは気付いてた。間違いないと知りながら、それでも切り捨てられなかった。
十六歳の今も脆く、まして当時は十五だった。彼女は当主として賢く強く、家とそれに関わる人々を守らなくてはならなかった。
誰かの支えが必要だった。例えそれが、両親を殺した男だとしても。重責に押し潰されそうな状況で、もう一人の父親みたいな人間まで失うことは耐えられなかった。
それは彼女に取っては仕方なく、そしてまた、許されないことも知っていた。先代殺しのクルースを庇えば、自分が家臣から信頼を得ることは永遠にないと知っていた。
執事とメイド達の三人を残して、屋敷を空にしたのは何のためだ? 使用人に混ざる犯人を、遠ざけるため? いいや、逆だ。犯人を、危険と真実から遠ざけるために。
使用人を遠ざけ、家臣を遠ざけ、クルースが犯人だと知られないよう手を打った。
確かめたわけじゃない。でも、解る。彼女が何を感じ、どう考えるか。俺はそれと全く同じことを考えているだろうと、確信した。
「……ちくしょう」
思わず呟く。別のほうに気を取られて、簡単なことに気付かなかった。
ベッドから飛び降りる。ブーツを履く間さえも惜しく、はだしのままドアに向かった。
部屋を出ると、見張りの兵士が俺を止める。
「アルデアの様子を見に行くだけだよ」
「オレも行く。それなら、ここに監視は要らないだろう。付いて来ればいい」
わけが解らないだろうにウメルスがとりなし、なかば強引に押し切ってくれた。
部屋はすぐに見付かった。廊下に何人も兵士や侍女が控え、開かれたドアの中には皇帝にはべる魔術師の黒い姿もあった。余りに目立って、注意を引いた。
ベッドと小さな机があるだけの、簡単な寝室だ。アルデアがベッドに、皇帝がそれと向かい合わせの椅子に腰掛けている。
「完璧な証拠を用意して、罪を告白したと聞く。あの男は、優秀だな。まだ調査は続けさせるが、あれの単独犯で片が付くだろう」
「……そう、でしたか」
「しかし、家中からあの様な者を出した責は免れまい」
覚悟をしておけと言い残し、ティグリスは席を立った。部屋を出るためにめぐらせた目が、戸口に立った俺を見つける。その視線。
ああ、そうだ。支えてやれ、と。そう言って、あの目で見つめられたことがある。
思い出すと、自然に頭が下がった。そのそばをすり抜けて皇帝が去り、俺は入れ違いに部屋の中へ足を踏み入れた。
「一人にしちゃ、いけなかったな」
「わたくしを? どうして?」
何も感じないと言うふうに、琥珀の目はふっと逸らされた。
だけどそれは、嘘だろう?
罪に目をつむり、庇いさえした。そうまでして、頼りにしていた男なんだ。
失えば痛いに決まってる。
揺らめく火影に甘く輝くその少女を、俺は素早く掴まえて抱いた。腕の中で息を飲み、華奢な体が強張るのが解る。でも、離さない。
「アイツとは違う。アイツにはならない。だけど、いる。俺はずっと、ここにいるよ」
ここに、アルデアのそばに。
きつくきつく、抱きしめて言った。
――この言葉を。いずれ自分が裏切ると、俺はまだ知らずにいた。