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闇に鴉  作者: みくも
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15 遠退く

15 遠退く


 アレナモスカと言う虫がいる。

 異国の砂漠にいる小さな虫で、羽虫のくせに熱い砂の中に住む。これを無理に掘り出すと、大きな動物を殺すまでの猛毒を吐いた。

 毒は空気中に拡散し、虫が死んでも毒性が消えるまでには相当の時間が必要と言われる。その性質は暗殺の道具に都合よく、ある市場では高値で取り引きされるそうだ。

 ラーナが身柄を拘束される二日前、ガッルス・イーグニスの手元に小包が届いた。

 差出人は、ラーナ・ロートゥス。それは荷物の包みを封じた蝋に、ロートゥス家の紋章が印されていることでも確かだった。

 砂漠からの暗殺者はそのように、片手ほどの小箱によって訪れた。

「領主の部屋で発見された遺体は二つ」

「ふたつ?」

 男の言葉に、アルデアが声を上げる。

「コメス=イーグニスと、駆け付けたメイドが巻き添えに」

「……運のない」

 舌打ちするのはウメルスだ。

 現場の床に打ち捨てられた小箱には、少量の砂と脆く砕けた薄いガラス。ガッルスの靴の裏からは、潰れた羽虫が見付かった。

 箱を開けると、虫入りのガラス瓶が砕ける仕掛けだったと言う。これにより、領主の死はアレナモスカを使用した暗殺と断定された。

 ラーナとガッルスは直接親交を持たなかったが、騎士のラーナが本家当主のアルデアと懇意であるのは有名な話だ。小包に違和感は覚えても、警戒まではしなかっただろう。

 また同時に、その事実はアルデアの暗殺関与についても可能性を示した。親族でありながらガッルスの件が一切知らされなかったのは、それが理由だ。

 嫌疑を受ける両名が皇帝近くに仕えるドゥクスと騎士であることを考慮し、捜査は城内でも極秘とされた。内々に探って二日。その間に判明した事実は、三つだ。

 ラーナが現在滞在するのは、イーグニスの本家であること。小包が届けられた経路をさかのぼると、同じくこれもイーグニス家に行き着くと言うこと。

 そして、もう一つ。

「コメス=イーグニスは領主の地位に飽いて、ドゥクス=イーグニスの家督を欲しがっておられたとか」

 そう尋ねるのは、フルグルと言う熊みたいな大男だ。軍服だから、余計に恐い。アーエール家当主の補佐と、同時に騎士の位を持つためにこう言う格好でいるらしい。

 直立する彼の横に、部屋の主の机がある。その席に着くのがドゥクスの一人、ウルスス・アーエールだ。これが、よく解らない。

 体中にふわふわと巻き付けてあるのは、ヴェールのような薄い布。正直、歳も性別も判別不能。柔らかそうな全身の印象と不似合いに、黒光りする扇を持つ手さえ布の中だ。

 ウメルスによってガッルスの死が伝えられた直後、執務室にフルグルが現れた。脅すと言うふうではないが武装した部下を控えさせ、アルデアに事情を聞くために。

 だから俺達が今いるのは、ウルススの執務室だ。同じ城内のことだからそう変わらないと思うのに、部屋の印象はまるで違う。

 ウルススの執務室は、あらゆるものがよく飾られていた。夕暮れを映す窓にはレースのカーテン。壁にはタペストリー。暖炉の上には陶器の人形が置いてあり、稲妻を矛のように掴んだ男がいかつい熊を追い立てている。

 どんな趣味だよ。稲妻男がウルススで、熊がフルグルと言うことだろうか。そう思ったが実際は逆で、ウルススが熊。フルグルが稲妻と言う意味の名前だそうだ。

 そしてまた、解る気がする。クロスが掛けられた主の机はすっきりと片付き、端にペン立てやメモがある程度。今は、ティーセットものっている。

 その代わり、補佐役の机はひどいことになっていた。何かこう、苦労がしのばれる。

 そっと寄せた同情には気付かぬ様子で、彼は並んで椅子に座らせた俺達を見る。

「ドゥクス=アルデア・イーグニス。今回のコメス=ガッルス・イーグニス暗殺に関し、貴殿には十二分な事由が存在すると考えます。何か、言い分はお有りか」

 ガタリ、と。椅子を鳴らして立ち掛けたウメルスを、背後に控えた兵士が抑える。彼は不服そうに、浮かせた腰を再び下ろす。

「バカな事を言ってくれる。お嬢さんが、家督を譲る訳がない。あのコメスには、当主に見合う能力がないからだ。フルグル。そんな事、うちのメイドだって知ってるぞ」

 腕組みしながらにらみ付け、イライラと足を揺らす。彼は腹を立てていた。疑われていることと最初に剣を取られたのが気に入らず、もうずっとこんな調子だ。

 挑発なのか、八つ当たりなのか。とにかく落ち着けと言いたくなるその態度を気にもせず、もう一人の補佐役は逆に問う。

「では、クラーテール。貴公はこの一件を、事前に主から聞き及んでいたか」

 足が、イライラとした動きを止めた。ぐっと息を詰めるのが解る。答えは、ノーだ。

 どうせ殺してしまうのだから、家臣に明かすことはない。そう言う理屈ではないかと、彼等は疑っているようだった。

「ドゥクス=イーグニス。言い分は」

 席に着いたウルススの前に、並べられた椅子は三つ。

 その真ん中にアルデアは座って、やんわりと指をからめて両手を膝の上に置いている。そこに視線を落としたっきり、見下ろすフルグルも正面のウルススも気にしない。

 ――たまに、こう言うことがある。

 ちょうど、今のように。アルデアが何を考えているのか、俺には解ることがあった。

 言葉や声が、頭に飛び込んでくるわけではない。でも解る。心が近付くとは、きっとこんな感覚だろう。彼女が何を感じ、どう考えるか。俺はそれと全く同じことを、考えているだろうと確信するのだ。

 だから、解った。アルデアは今、考えている。どうやって犯人を庇おうか、そのことを。

 俺も多分、ソイツのことを知っていた。そして心のどこかで、仕方ない、と思う。

 仕方ない、アルデアには。彼女はすでに一度そうやって、真実を裏切っているんだから。

 質問を重ねるためにフルグルが口を開くのと、執務室の扉を開いて彼の部下が飛び込んできたのはほとんど同時のことだった。

「ドゥクス=アーエール、フルグル様! 名乗り出ました。イーグニス家の執事が、コメス=ガッルス・イーグニスを暗殺したと告白しました!」

 椅子を倒して立ち上がるのは、アルデアだ。

 家を忘れた子犬のような、親とはぐれた子供のような。琥珀の瞳が揺れている。その中に張り裂けそうな気持ちを感じて、俺は思わず目を閉じた。


   *


 日没は過ぎていた。大きなかがり火がいくつもたかれ、明々と闇を掻き分ける。

 何本もの巨大な柱が、重い石の屋根を支える城門。そこを入ってすぐにある、どこまでも続きそうに白い石畳の敷かれた広場だ。

 上着やネクタイは、持たせないものらしい。シャツの上に、縄が打たれていた。いつもきっちり整えられている髪が、ぱらぱらと乱れて額に掛かる。

 武装した兵士がずらりと並び、その男を囲んでいた。ひざまずく、クルースを。

「間違いないか」

 真正面から男を見下ろし、フルグルがただす。クルースが口頭で罪を認めるのを確かめて、軍服の補佐役はそばのウルススにうなづいて見せた。その間に。

「お嬢様」

 優しい声音がアルデアを呼ぶ。

 俺達はそれを、壁となった兵士達の後ろで聞いていた。引き込まれでもするように、彼女のつま先がクルースに向いて伸び掛ける。

 行って、どうするんだ。

 俺とウメルスが肩を掴んでそれを止めると、はっとして薄紅の唇が息を飲んだ。我に返ったように見えて、瞳はまだ揺れていた。

 クルースは、まだ語ることをやめてない。

「勝手を致しましたが、必ずやご理解下さる事でしょう。私は、信じる正義を為しました」

「控えよ!」

 罪を正義と言った瞬間、フルグルが一喝を浴びせる。ウルススは興味深げに首をかしげ、その男に二歩三歩と近付いて眺めた。

「今日この日までお仕え出来ました事、身に余る誉れで御座いました。これより先も、お嬢様のお幸せだけを願っております」

 クルースは、ほほ笑みさえして頭を下げる。深く深く、影が彼の顔を覆うほど。

 いきなりだ。

 深く伏せたその顔を、ウルススが扇を振り抜いて一刀の勢いで横殴りにした。

 毛の逆立つような悪感が走る。生理的な拒絶でだ。多分俺、この音一生忘れない。

 相当な力だったと、それで解る。俺の耳が拒絶したのは、砕けて潰れる骨の音だ。

 黒光りするあの扇。普通じゃない。もっと重く、もっと硬い。鉄ででもできているのか。

 吹っ飛びながら崩れた男の、赤い唾液と白く小さな固まりが石畳に散らばった。

 慌てて駆け寄る兵士の一人が、ふと屈み込んで散らばる中の一つを拾う。白い粒。

「毒薬……だと思われます」

 たった今、人の顎を砕いたばかりだ。その鉄扇をヴェールに隠れた口元へ寄せ、ウルススは「ほうら」と声を上げて馬鹿にした。

「だから、おまえたちは考えがたりない」

 ああ、嫌だ。この人恐い。

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