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闇に鴉  作者: みくも
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13 失する

13 失する


 直接話せばいいのに。

 そう思っただけだった。石の事件から、二日。午後、城内。執務室でのことだ。

 アルデアとウメルスは机で忙しくペンを動かし、俺はソファでぼんやりしていた。

「確認を」

 ウメルスが差し出す紙の束に、アルデアは目もくれなかった。手に持ったペンの軸で、机に積み重なった書類の上をトンと叩く。

 そこに置けと言うことらしい。でもこれは通常のことで、補佐役が声を掛けるのはいつも一応の形だけだ。しかし、今日は違った。

「確認を」

 もう一度言って、手の中の束をアルデアの前にある書類と入れ替える。何のつもりかと、琥珀の目がウメルスを見上げた。

 しかし、彼は答えない。アルデアも黙ったままで視線を戻し、手元に置かれた紙の束をぱらぱらとめくる。

 ぴたりと。止まる。

「――解ったわ」

 メモ用紙ほどの小さな紙を、束の中から抜き出して言う。実際、紙片には文字らしきものが書かれていた。ウメルスは小さくうなづいてそれを受け取り、席に戻る。

 机の上では、小型のランプが常に灯されている。封蝋を溶かすためだ。彼はその上にメモをかざして火を移し、暖炉の中に放り込む。

 暖房がいる季節ではない。それは自ら燃え尽きて、灰になって冷たい暖炉の底に落ちた。

 そのほかは、いつも通りだった。

 気にならなかったわけではない。でも鳥を見に行ったり、習い事を終えたリュンクスと遊ぶ内、メモのことはすっかり忘れてしまっていた。俺には、その程度のことだった。

 何でもないタイミングで、何でもないように。秘密のメモのやり取りを行わなくてはならなかったのだと、あとで知った。


   *


 姉だ、と思う。

 泣いている。また、男に振られでもしたんだろう。リビングの真ん中でぐすぐすと鼻を鳴らし、缶ビールを何本も飲み干して行く。

 相手を見てから好きになればいいのに。

 余りにあきれて、そう言ったことがある。そしたらアネキは、「馬鹿ね」と答えた。

「馬鹿ね、アキラ。どんな相手か知らなくても、気が付いたらどうしようもなく好きになってるものなのよ」

 歳の離れたアネキの言葉は、俺にはよく解らない。新しく開けたビールの缶を、こっちに勧めてこないかだけを心配していた。

 でもそれよりもっと解らないのは、一番年上の兄だった。涙と酒に酔い潰れ、寝入ったアネキに毛布を掛けてアニキは呟く。

「どうしてなんだろうな――」

 ああ、どうして。

 こんな夢を、見たりしたんだろう。

「あなたの夢は、いつも少し悲しいわね」

 囁くようなアルデアの声に、目を開く。

 暗い。窓がどこかも解らない。灯りは、アルデアが持つランプだけだ。それも火を小さくしぼってあるから、余り当てにならなかった。これなら、俺の額のほうが明るいだろう。

 彼女はひそめた声でボソボソと、まだ半分眠ったままの俺を促す。

「起きて。行きましょう」

「ど……」

 どこへ? まだ、朝じゃないだろう。

 そう尋ねようとする俺を、彼女はシーッと息を吐いて戒めた。

 人目を忍び、庭へ出る。が、どうして忍ぶのか解らない。先を歩くアルデアに、説明するつもりはないようだ。

 屋敷の敷地に、別棟の建物があるのは知っていた。役宅、と呼ぶそうだ。それが重臣のための住居だとは、中でウメルスに迎えられて知った。

 少し手狭な、書斎のような部屋に案内される。三人で入ると一杯の広さだ。しかしここなら、声が外に漏れないと言う。

「すいませんね、こんな夜中に」

 俺とアルデアに椅子を勧め、自分は窓際に背中でもたれた。厚いカーテンがきっちりと窓を隠すのは、音と灯りを外にもらさない工夫だろうか。

 それで――。とアルデアが口を開き、眠気がいっぺんに吹き飛んだ。

「ラーナ・ロートゥスが間者だ、と?」

 何を言っているのかと思うが、真剣らしい。ウメルスがそれを肯定する。

「間違いないかと」

「あのメモだけでは解らないわ。詳しく報告しなさい」

 それでやっと、俺は昼間のことに思い至った。あの、秘密めいたメモ。あれに書いてあったのは、このことだったのか。

 相手が間者なら、どこに潜むか解らない。細心の注意を払う必要があっただろう。

 何でもないタイミングで、何でもないように。言葉を交わさず、証拠を残さず、秘密裏に情報を伝えなくてはならなかった。

 思い返すが、それらしい会話は一切なかった。城でも、屋敷でも。この真夜中の待ち合わせも、メモに含まれていたのかも知れない。

 アルデアは確かに、本心を隠すことがうまい。そうなるよう、訓練されたのだと思う。

 ……それにしても。と、夕食の光景を思い出す。こんなことを知らされた日に、普通の顔でよく本人と談笑できたな。恐過ぎる。

「オレも迂闊でした。妙だとは思ったが、疑いはしなかった。気付いたのは、コルです」

「俺え?」

 思わぬところで名前が出て、素っ頓狂な声になる。

「お前が言ったんだ。ロートゥスが、フェレス・アクアの恋人だと」

「言ったよ。言ったけど」

「当りだった。あの後すぐに監視を付けたが、斬られたよ」

 自分の体が、強張ったのが解る。喉の奥で息を止める冷たいものが、大したケガじゃないとウメルスが付け加えるまで消えずにいた。

「賊と思ったと言われたらそれまでだから、証拠にはならない。だが、怪しくはある。そこで、もっと突っ込んで調べる事にした」

「フェレスの恋人ってだけで、調べたのか?」

「……ラーナ様と親しくなったのは、わたくしが当主になってすぐのころだわ」

 記憶を探ってアルデアが呟き、補佐役はそれにうなづいた。そして俺に言い聞かせる。

「あり得ないんだよ。ドゥクスと騎士の身分差で、友達なんて。ただでさえあり得ないのに、その騎士が他のドゥクスの愛人? そんなの、偶然ってほうがどうかしてる」

「それで?」

 主人に促され、彼は報告を続けた。

「ロートゥス家はあれが騎士となる折、養子に入った貴族の家です。詳しく出自を調べると、アクア家に仕える使用人の子でした。現当主とは歳も近く、同じ屋敷で育ったとか」

 それに、これは公式の記録には残っていませんが。そう前置きし、言葉を継ぐ。

「騎士として取り立てられたのも、ドゥクス=アクアの強い推挙があったからだと」

「そう。では、間違いないのね」

「ラーナ・ロートゥスは、フェレス・アクアの間者です」

 違和感は、あった。

 初めて会った時、ラーナはアルデアと懇意だと言った。あの時、ふーん、と思ったんだ。親しいと言う割に、彼女はドゥクスとアルデアを肩書きでしか呼ばなかったから。

 難しい顔で腕組みし、ウメルスが呟く。

「先代の件も、ドゥクス=アクアの謀略と考えるべきでしょう」

 慎重に問うアルデアは、美しく澄ました顔だった。しかしその裏に、動揺を隠す。

「……父様と母様を、毒殺させたと? ドゥクス=アクアが?」

「内密の手駒に、騎士まで持っている男です。他にも間者を潜ませていて、不思議はない。……事件後、信頼できる者だけを残して屋敷を空にしたのは、正しいご判断でした」

「ラーナ様の目的は、何かしら……」

「お嬢さんが、あれを気に入っていたのは知ってます。だが使用人の子が、アクア家の威光を利用して騎士にまでなった。賢しく、強かな女です。何だってするでしょう」

「そうかなあ」

 違う。そう思ったら、勝手に声が出てしまった。ウメルスが、怪訝そうに俺を見る。

「コル?」

「いや、間者じゃないって言うんじゃないよ。それはもう、俺には解らない。そうじゃなくて……、だとしてもさ。本当に、ラーナは頼るって感じがしないんだよ」

 これは前も思ったことだ。男に頼るなんて、らしくない。利用するとは、思えない。

 だとしたら、理由はどこにあるだろう。

 そう考えて、ふと思う。そうか、あの夢。

「前、言ってたんだ。アニキがさ、どうしてなんだろうな、って」

 どうして女は傷付くような恋愛で、恐いくらい綺麗になったりするんだろう。

 今は少し、解る気がする。

 強くて美人でかっこいい。そして優しく、けれどもひっそりと笑う人。それは、多分。

「ラーナはさ、フェレスのことがホントに好きなんだよ。そうだと思う。だから何だってできて、誰だって裏切るんだ」

 利害じゃなくて、理由は愛情だと思う。この意見に男はあきれ、女は同情に眉を寄せる。

 そうだとしたら、寂しいわね。そう言って、悲しげにほほ笑みさえした。憎しみも怒りもなく、アルデアはただ、ラーナのために。

 唐突に解った。

 彼女は、両親を殺した人間を知っている。

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