12 結わう
12 結わう
額の紋章と揃いの石は、拳ほどの大きさだった。俺をこの世界に留めるために、アルデアが持っているはずのもの。
なぜ、ここにあるのか。俺はこれを、持っていたくない。とにかく持ち主に返そうと、ゆらゆら赤く光る石を手に部屋を出た。
最初は、気のせいかと思う。
しかし食堂へと足を進める内に、自分が段々と近付いていると気付く。それは扉を閉じた書斎から、もれ聞こえているようだった。
廊下まで聞こえてくるのは、言い争うような声だ。内容までは解らない。低く響く音の調子が、そんな印象だっただけで。
声がやみ、扉を開いてクルースが出てくる。書斎は主人のものだから、中に残っているのはアルデアだろう。
この二人が争うなんて、初めてだ。反射的に身を隠し、手の中で光るものに目を落とす。まさか、これの紛失が原因じゃないだろうな。
どうしよう。そろりと書斎の前を通る瞬間、足が鈍った。そのタイミングで、ドアが開く。
「コルウス」
開いた扉に手を掛けて、呼ぶアルデアは俺の手の中に視線を注いだ。どうしたのかとも聞かれないから、先手を取って石をつき出す。
「部屋にあった」
彼女はそれを受け取るのも忘れ、くるりと背中を向けて書斎に戻った。書き物をするための机に飛び付き、引き出しを掻き回して真鍮の鍵を探し出す。
彼女は壁に作り付けた棚へ駆け寄ると、本を床に落として取り除いた。そうして空にした棚の奥、壁側の板を探るように押す。と、ある一点で奥の板がガタリと動いた。
特定の場所を押すと、浮き上がる仕掛けのようだ。板で隠されたその裏からは、頑丈そうな鉄の扉が現れる。隠し金庫だ。
ヒマに飽かして屋敷を調べたことがあったが、さすがにこれはノーチェックだ。凄い、けど。この緻密さは、多分あんまり意味がない。だって鍵、部屋の中にあったもんな。
防犯意識があるのかないのか。俺が内心あきれる間に、アルデアは鍵を使って金庫を開けた。中はそれほど大きくなくて、数枚の書類と重そうな革の袋があるだけだ。
石もここに入っていたのだろう。彼女は難しげな顔で革袋を調べるが、中の金貨は減ってもいないようだった。目的は、石だけ。
家の中に長くいようと、見咎められない自信でもあったのか? 本の移動は時間を食う。
一度開けられたはずなのに、主人や執事は違和感を持たなかった。なら金庫を隠す本の並びさえ、再現して戻したかも知れない。
「言っとくけど、俺じゃないからな」
金庫の中に石を戻して、一応無実を主張しておく。もしも素直に元の世界に帰っていたら、全部俺がやったことになっただろう。
そしてこれは、偶然か? ゲムマを割れと言われた夜に、それが俺の部屋にあった。多分、間違いない。これを盗んだ人間は、リュンクスをそそのかしたヤツと繋がっている。
アルデアは、しかしその扉を閉めなかった。鉄の箱の中、ゲムマの光を見つめて「帰ってもいいわ」と俺に言う。……急に、何だ?
「誤解してるよなあ。何でみんな、俺が帰りたがってるって思うんだよ」
「だからと言って、ここにいたいわけではないでしょう。なら、帰って。これ以上いると、死ぬことになるかも知れないわ」
「いいよ、別に」
言葉が口を離れた瞬間、頬が熱く痛んだ。アルデアが、思い切り俺を叩いたからだ。
「冗談でも、二度と言わないで」
腹を立ててることは多分、目じゃなくて肌で感じた。毛が逆立つんじゃないかってくらい、彼女は明らかに怒っていた。だけど。
「なあ、それだけか?」
「もっと殴られたいの? もの好きね」
「違うよ。イラついてるのは、俺にだけ?」
問うと、アルデアの息が止まった。ゆっくりとこちらに向いた目は、忌々しげに細められているようだ。
「……まったく」
薄紅の柔らかそうな唇が、大袈裟なため息をこぼす。それは、俺の確信を深めた。
ある意味で、自信があった。
いつも隣で眠るアルデア。悪夢に怯える子供のようだと、なぜだか守ってやりたくなった。身勝手で、きっと俺より強いのに。
彼女は俺に依存して、やっと自分を保っている。ずっとそう感じてた気がする。ペットに飽きて、だから捨てる。そんな理由で手放そうとするとは、どうしても思えない。
彼女は再び机に近付くと、筒状に丸まった紙を手に取る。それを、乱暴に投げて寄こした。さっき受け取った手紙だろう。一度目を通したらしく、蝋の封印は割れていた。
読めない、と言う前にアルデアが補う。
「従兄弟からよ。イーグニス家の家督を譲れと言ってきたの」
吐き出して、彼女は窓際のソファへ乱暴に座った。肘掛けに腕をのせ、髪を揺らして傾く頭をほっそりとした指が物憂げに支える。
「もしも争うことになったら、あなたはわたくしの弱みになるわ。きっと脅しの道具にされて、最後には、殺されるでしょうね。要求をのむわけには行かないもの」
「ああ確か、家潰したほうがマシな人だっけ」
「そうよ。そうでないなら、譲ってもいいの。本当に愚鈍だわ。時機を逃して、今ごろになってこんなこと。最初から言えばよかったのよ。そうすれば、わたくしだって……!」
熱を帯びかけた言葉を、はっとしたようにアルデアは止めた。
思えばいつも、こうだった気がする。わがままなようで、しかし実際の彼女は本心をほとんど見せようとしない。
聞きたかった。本心を。
多分、俺なら。解る。解るんだ、俺は。
根拠はない。ただ強く、直感した。
「そうすれば、何?」
誘う。
「……そうすれば、当主としての責任を知る前なら。わたくしだって逃げ出せたのよ」
全てを捨てて。先の見えない、無限によく似た日常から。
――ああ。
「解る気がする」
胸の奥を震わすような、共鳴とでも呼ぶべきものが俺に言わせる。それはしかし、アルデアのプライドを引っ掻いた。
「なにが、解るの。あなたに? なにが」
ひそめた顔を上げ、立ち上がる。ドレスの裾をもどかしげに乱しながら詰め寄って、俺を壁ぎわに追い込んだ。
「この家だけではないわ。わたくしの失敗で、数え切れない人たちが人生を失うの。時には、命まで。この責任が、解るかしら。息もできないくらい恐ろしいの。いつも、胸が潰れそうになるわ。ねぇ! あなたに、解る?」
アルデアは詰め寄って非難しているのに、俺の胸に置いた両手はまるですがり付いているかのようだ。間近から見上げる大きな両目が、涙をこぼさないのが不思議だった。
抱きしめたかった。抱きしめる代わりに、甘く輝く頭に手を置く。
「いや、ごめん。それは解んない」
言った瞬間、アルデアの手が拳を作って胸を叩く。結構痛い。再び、ご立腹の様子だ。
「……怒んないでよ。そうじゃなくて、俺達の魂が繋がってるって、あの話。今なら、解る気がするよ。似てるんだ、俺達は」
それとも、同じと言うほうが正しいか。
「ずっと、逃げたかったんだ。全部置いて、全部捨てて。逃げるべきものは何もないのに、ただ逃げたい。――そうだろ? アルデア」
俺の言葉に、琥珀の目が色を深める。
理解した。理解されたと、強く感じる。
「……愛されなかったわけではないの」
解るよ。
「ここにいていいって、知ってたわ。でもきっと、わたくしでなくてもよかったの。たまたまそこに空席があって、最初に座ったのがわたくしだっただけなのよ」
だってそれは同時に、俺のことだ。
特別な不満があるわけではない。家族として、大事にさえしてくれる。それでもこんなふうに思う俺は、何て人間なんだろう。
だけど苦しい。答えはない。ただの偶然だけじゃないか。俺が息子であり、弟であり、クラスメイトである必然は何もない。
まるで何も見えない暗闇の中。俺が俺だと言うことを、知っているのは俺だけだ。俺が俺だと言うことに、価値があるのは俺だけだ。
ここにいてもいい。だけど、ここにいてはいけない気がした。逃げ出したかった。
「かなっちゃうんだもんなー」
「責めているの?」
強い口調と反比例して、アルデアは心配そうに俺を見上げた。
自分の願いは卑怯な望みだと、俺達は知っている。だから苦しい。異世界に呼ぶことで、俺の願いをかなえたのは彼女だ。
「俺は、これでよかったんだ」
「必要だったの。わたくしには」
アルデアは、逃げられなかった。両親を失い、その責任を受け継いだために。さっき自分で言っていた通りだ。一度託されたものを、見捨てることはできなかったろう。
けれどもそのことは、彼女の心を潰し掛けたに違いない。だから、逃げる代わりに。
最も近しい魂の、互いが互いでなければならない唯一の相手。それが彼女に必要だった。
「解ってる。俺達は、同じだから」
「そうね。わたくしたちは、似ているわ。きっと、だからね。どうしようもなく愛しいのと同時に、なんだか傷付けてみたくなるの」
花のように笑って、物騒なことを言う。
それでも愛しいって部分は賛成だから、やっぱり俺もどうかしているんだろう。