01 出会う
01 出会う
そうか、夢か、とすぐに解った。
圧巻と言うのは、こんなことを言うんだろう。
一面の闇。一面の星。
無数の輝きが頭の上だけじゃなく、足の下にも瞬いている。踏んだらパリパリ音を立て、星を砕くことさえできそうだった。
その真ん中に、俺はぼんやり浮かんでいた。それとも、猛スピードで落下し続けているのかも知れなかった。
手足の感覚も解らない。思考さえ、自分のものではない気がする。
とにかくこの宇宙の中心みたいな場所で、俺と言うものの全部が溶けて行くような気がした。
それは何だか、心地よかった。ずっとこうしていたかった。
俺は星になったのだろうか。
――いや、違う。違う、と思う。
どちらかを選ぶなら、俺は闇のほうがいい。どこまでも深い暗い色の中、光を包むものになりたい。
「まぁ、詩人ね」
柔らかな声だった。
きっと若く、飛びっ切りの美少女が呟いたに違いない。そうに決まってる。そうでないなら、俺の眠りを妨げて許されるはずがないからだ。
自我を超越したような心地いい夢から抜け出して、それでもまだ目を閉じたまま、俺は一つ不思議に思う。
詩人だ、と彼女は言った。この夢のことだろう。
ならどうして、彼女は俺の頭の中身を知っている?
瞼を開く。
瞬間、目が眩む。光に覗き込まれているのかと思った。実際、それはまぶしく輝いていた。
ベッドに寝かされた俺を、興味深げに見下ろす人影。
甘くとろけそうなハニーブロンドは光を含んで腰まで届き、勝気そうな琥珀の瞳は本物の宝石みたいにきらきら光る。美少女だ。飛びっ切りの。
予想と願望が現実になって、嬉しく思う。その反面、言いようのない不安が胸を襲った。多分、彼女の顔がいたずらっぽいを通り越した邪悪なほほ笑みに染まっていたせいだろう。
「あなたの名前を決めたわ。コルウス――鴉と言う意味よ。髪も眼もまっ黒なあなたに、ピッタリだと思わない?」
綺麗な顔で、満足そうに笑う。
これが、俺とご主人さま。アルデアとの出会いだった。
*
「ほぅら、コルウス! 取ってらっしゃい」
輝くような笑顔で、優雅なフォームで、驚くほどの強肩で。
放り投げられた牛の大腿骨はくるくると回転しながら大きな弧を描き、落ちて行く。すんげえ遠い所に。
あれ、俺が取りに行くんだよなー……。
早朝の冴えた空気に一人重い息を吐き、雑草に下ろした腰をのろのろと上げた。歩き出そうとしたその背中に、容赦ない声が飛ぶ。
「お前、早くしないか。お嬢様をお待たせするとは何事か!」
見なくても解る。この声は、クソ執事だ。
クルースと言うこの執事は四十近い偏屈な男だが、特に俺に対して当たりが厳しい。朝昼晩の平均三回「ペットの分際で」とお薬よりもキッチリ責められ、今では声を聞くだけで尻尾を巻いて怯える日々だ。人間だから、尻尾ないけど。
――さて、気になる単語があったと思う。
そう、ペットだ。
アルデアに出会ったあの瞬間から、俺の肩書きは高校生からペットに変わった。
どうしてか?
そんなの、俺にだって解らない。
嘘みたいな美少女。……ってだけじゃなく、アルデアは嘘みたいな特権階級の貴族だった。
彼女が当主を務めるイーグニス家は帝国創成の頃から続く名家だとか、しかも十六の若さにしてすでに皇帝からの信頼も篤いとか。
そんなことを何やら色々聞かされたが、正直ちっともピンとこない。貴族なんか、見たのも初めてだからなあ、しょうがないよなあ。
現代日本に育った俺などはこう思うのだが、クルースには絶対許せないことらしい。毎日毎日小言のついでにイーグニス家の成り立ちから始まって、アルデアがいかに素晴らしく優れた人間かを延々と聞かされる。
ほどなく気付いた。これは、アレだ。親子みたいに歳の離れた若い主を、クルースは病的に愛してる。
アルデアに対する娘とも妹とも違うあの感じは、ヤバイ気がしてちょっと恐い。もっとほかに恐がるべきことがある気もするが、とりあえず今は変態が恐い。ロリコンめ。
心の中でそっと執事の人格を否定しながら、木の根元に落ちた大腿骨を拾う。そのまま倒れ込んで眠ってしまいたかったが、どうにかあくびを噛み殺して腕と背筋をぱきぱきと伸ばした。
イーグニス家の朝は早い。俺がくるまではそうでもなかったらしいんだが、登城前にペットを構ってやりたいと言うどちらかと言うと迷惑なご主人さまの意向により、こうなった。
毎朝毎朝放り投げられる骨を追い、俺は思う。この遊びを喜ぶのはドSの飼い主と犬だけだ、と。
現代っ子らしく運動不足にたるんだ体を引き摺って、アルデアの元に戻る。するとそこに、見知らぬ男の姿があった。
見た瞬間、息を飲む。
身なりはちゃんとしてるのに、何だこの軽薄な空気。執事らしく地味にまとめたクルースと並べると、ある意味異様だ。
ベストまでがそろいのスーツは、スカイブルー。しかも色んな所がひらひらしている。花の形のチェーンで飾ったベルトには、重く豪華な装飾で今にも折れそうな細い剣が吊るしてあった。最高におもしろいのは、膝まであるピカピカに磨かれたブーツ。何と玉虫色に輝いていた。
ただ者ではないと、俺の本能が強く訴えている。
必死で笑いたいのをガマンしていると、男はほがらかそうに話し掛けてきた。
「やぁ、キミがアリーの新しいペットだね。名前は? あるのかい?」
最後の部分はアルデアに問い掛けて、男は俺の頭にぽんぽんと手をのせた。くやしいことに、あっちのほうが頭一つ半背が高い。まず一つ、ここにムカつく。
「コルウスと申します」
「へぇ、似合いの名だね。鴉は不吉な鳥だと言うけれど、ボクは気にしないよ。アリーのペットなら、また会う機会もあるだろう。宜しく、コルウス」
アルデアの返事を聞くと、男は笑って俺の顔に目を戻した。
これが二つめ。戻ってきた視線は、俺の額に注がれていた。その瞬間、侮蔑だと解った。
頭にのった手を、殴るように払い落とす。
薄く浮かんだ額の汗を服の袖でゴシゴシと拭き、ふんっと鼻から息を吐いて胸を張った。ムカつく。ついでにうなって吠えてやろうかとも思ったが、今日のところはこれで勘弁してやろう。
にらむ俺に、何を言おうとしたかは解らない。何か言い掛けたのを遮って、アルデアが先に口を開いたからだ。
「リーノケロース殿、そろそろ参りましょう。皇子をお待たせしては申し訳ありませんもの」
「そうでした。城へ急がなくてはね」
今思い出した、と言う様子で同意を見せる。どうやら邪魔が目的ではなく、城からの呼び出しにアルデアを迎えにきたらしい。
ひらひらスカイブルーの腕を軽く上げると、ガタガタと揺れながら馬車が近付く。その、車を引く馬に絶句する。ピンク地にミントの斑。悪夢に出てくるダルメシアンみたいだ。……いや、この配色は夢にも見ないな。
「じゃあ、アリーを少しお借りするよ。なあに、心配はいらないさ。ちゃんと返すからね。もっとも、本心はずっとボクのそばにいて欲しいものだけど。はっはっは」
馬に合わせてか悪趣味とファンシーが融合してこじれたような馬車にアルデアを乗せ、高笑いして去って行く。凄え。最初から最後まで、一ミリも好きになれなかった。
クルースは黙って主を送り出したが、内心穏やかではないだろう。愛するお嬢さまを、あんな男に預けざるを得なかったのだ。同情はしないが、ムカつきは察して余りある。
汗が引いた自分の額に、指先で触れた。熱くはない。冷たくもない。でこぼこもしてないし、ただ皮膚の感触があるだけだ。しかし、そこには紋章が刻まれていた。あの男はさっき、これを見て蔑んだのだろう。
隷属の証しだ。奴隷とペットはちょっと違うかも知れないが、まあ、そんなもんだ。
これは契約の印であり、この世界に俺を固定する杭であり、そしてこちらの言語を理解させるものだ。俺がアルデア達と問題なく会話できるのは、これのお陰らしい。
俺は地球にある小さい島国、日本に生まれた。家族はいた。学校にも通っていたし、友達と呼べる知り合いもいた。
それがある日突然見知らぬ――ピンクとミントのダルメシアン柄の馬がいる――世界に召喚されて、美少女貴族のペットになった。
難しい話しは聞き流してしまったが、まあ大体、そう言う話だ。