表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

音の向こうへ

夕陽が窓の外を橙色に染め、古びた木製の扉の向こうから、生徒会室特有の紙とインクの匂いが流れ出していた。


「──つまり、事故はあくまで安全管理の不備によるもので、誰か一人を責められるものではなかった、そういうことだな?」


玲於奈会長が、レポートの束を片手にゆっくりと問いかけた。

机の向こう、雷は背筋を伸ばしてうなずいた。


「はい。翔太も、真理も……あのとき、自分を責めていました。

 でも、彼らは最後まで仲間を思っていた。だから、俺たちも、彼らを守りたかったんです」


「ふうん。ま、青春だな」


玲於奈は苦笑し、書類をとんとんと整える。


「報告書には全部目を通した。安全対策の提言も、来年度のライブ実行委員会に回しておく。

 で──おまえら、反省したか?」


雷は思わず口元をゆるめた。


「……反省、しました。多分、ちょっとだけ」


「ちょっとだけか。ならいい。青春ってのは、半分反省して半分笑うもんだ」


会長は立ち上がり、カーテンを開け放った。

柔らかな光が差し込み、紙束が金色にきらめく。


「それとな。ライブの撤収手伝ってくれた草薙建設の特別班に、あとで礼を言っとけよ。

 あの人たち、プロでも怖がる現場を一晩で立て直したんだ。若(登夢)のおかげだな」


雷は深くうなずいた。


「……はい。ほんと、すごい人たちでした」


玲於奈は笑みを深めると、背中を叩いた。


「よし、じゃあ解散! あとは──昇竜軒だ。替え玉は青春の義務だからな」


雷は思わず吹き出した。


「会長、結局それが本題ですよね」


「そうだ。青春には塩とスープが必要なんだよ」


──数日後。

鳳学園近くの小さなラーメン屋〈昇竜軒〉。


湯気とスープの香りの中で、生徒会長の玲於奈がどっかりと腰を下ろし、肩を組んでにやりと笑った。

「お前ら、青春しすぎだ。反省して、ラーメン食え」


雷とシャケは顔を見合わせ、同時に吹き出す。

登夢は無言で箸を取り、冬華は涙を拭いながら笑った。


「青春に、ラーメンって合うのかな……」

「塩分も涙も多めでな」シャケの軽口に、店内が柔らかく笑いに包まれた。


湯気の向こう、翔太と真理の夢はまだ小さい。

けれど、確かに前へ進み始めていた。


雷が箸を置き、静かに言う。

「……守る。もう、誰も泣かせない」

その声は、湯気とともに夜空へ溶けていく。


シャケが窓の外を見ながら呟く。

「さあ、次は――レコーディングだな」

その言葉が、夜の街に小さく溶けていった。


――

店を出ると、夜風が冷たく肩を撫でた。

鳳学園の校門前。銀杏の葉がひらりと舞う。

五人の影が、街灯の下で長く伸びる。


誰かが呟く。

「……次はいよいよ、レコーディングだな」

その言葉を、今度は誰も笑わなかった。


真理は小さく頷き、涙をぬぐった。

「うん。みんなで作る音楽を、ちゃんと形にする」

その声は震えていたけれど、確かな“光”があった。


雷は拳を握り、まっすぐ前を見つめる。

「軽音部も、俺たちも。全力で支える。――誰も失わない」


登夢は短く息を吐き、夜空を見上げる。

「裏で支えるだけじゃない。今度は、正面から立ち会う」


冬華は真理の手を握り、微笑んだ。

「もう隠さなくていい。音も、想いも、全部」


その瞬間、銀杏の葉が風に舞い、街の灯りが揺れた。

――夜が深くなるほど、胸の炎は強く燃えていく。


彼らの決意は、確かにここにあった。

これから始まるのは、音を“形”にする戦い。

光と影、汗と涙、そして音楽のすべてを賭ける時間。


鳳学園の屋上で誓った“守る”という想いが、

今、音の世界へと動き出す。


―― レコーディング編、始動。

鳳学園養護日誌 観察記録第37号

――記録者:今沢 緑(養護教諭)

保存区分:校内限定・関係職員閲覧可

________________________________________

【記録日:文化祭明け/午後】

午前中、翔太の退院報告を受けた。

包帯の下の傷はまだ完全ではない。

けれど彼の表情は、痛みよりも“安堵”に近いものだった。

ベッド脇で微笑む真理の姿。

その瞳には、泣き疲れた跡と、新しい決意が同居していた。

人は時々、取り返しのつかないことをしてしまう。

けれど“赦し”というものは、誰かに与えられるものではなく、

自分で見つけ出すものなのだろう。

________________________________________

【観察:雷・登夢・シャケ・冬華】

雷――

冷静さの裏に、仲間を守る強い意志。

彼の目は時折、教師よりも大人びて見える。

「うやむやでいいんです」と言いながら、

本当は誰よりも真実の重さを知っている子。

登夢――

優しさと、危ういほどの正義感。

言葉を選ぶときの沈黙が長いのは、

その奥に“誰かの心を壊したくない”思いがあるからだろう。

シャケ――

感情を表に出さないが、心は誰よりも熱い。

あの夜、保健室の前で一人泣いていたのを見てしまった。

彼が泣くとき、それは他人の痛みのためだ。

冬華――

事実を記録しようとしながら、“友”として揺れていた。

友情と感情の狭間で迷う姿は、

私自身が若い頃に失った理想を思い出させた。

________________________________________

【観察:谷神静耶】

静耶は、双子の妹でありながら冬華とはまるで違う。

冷静で、観察者の距離を崩さない。

けれど彼女の記事の最後の一行――

「沈黙の奥で守られた真実」

あの言葉を書いたとき、彼女もまた涙を流したことを、

職員室の誰も知らない。

________________________________________

【観察:真理と翔太】

真理の耳は、医師の診断では一部回復の兆し。

けれど彼女自身は「聞こえるようになった」としか言わなかった。

その言葉の裏には、

“もう恐れたくない”という意思があったのだろう。

翔太は、罪悪感を抱えながらも、

「守りたい」という想いを最後まで曲げなかった。

彼の選択が正しかったかどうかは、誰にも断定できない。

だが確かに、彼の行動が“誰かの未来”をつないだ。

________________________________________

【職員備考】

事故の直接原因は、舞台設備の素人設置による安全管理不足。

しかし、それを“事件”と断ずるにはあまりにも脆く、

また“奇跡”と呼ぶには痛みが深すぎた。

校長には報告済み。

生徒会長・玲於奈の指示で、

この件は文化祭事故報告として処理される予定。

公には語られないだろう。

だが、私は知っている。

この出来事は、生徒たちの成長の節目であり、

彼らが“音”を超えて“祈り”を奏でた日だったことを。

________________________________________

【最後の記述】

放課後、夕焼けのグラウンドで翔太と真理が並んで歩いていた。

言葉は交わしていない。

それでも二人の影は、確かに重なっていた。

あの影がまた離れる日が来ても、

彼らの中には「Let It Be」が残るだろう。

あるがままでいい。

その言葉を信じて歩き出すことが、

人が“成長する”ということなのだ。

――今沢 緑 記

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ