風の中のステージ
体育館の空気は、熱気で震えていた。
手のひらが汗ばみ、息が浅くなる。
ステージ下でケーブルをまとめながら、雷は観客の歓声を聞いていた。
「いけー!翔太ーっ!」
「真理ちゃーん!!」
スポットライトが白く踊る。
その中心――富永翔太がベースを抱え、マイクへ身を預けていた。
汗と光の中で、彼の表情は自由そのものだった。
隣では、百合園真理がマイクを握る。
唇を震わせ、そっと息を吸う。
だが――その瞳は、どこか遠くを見ていた。
(真理……?)
雷の胸がざらついた。
嫌な予感が喉の奥に残る。
それが“異変”の始まりだった。
鳳学園文化祭・最終プログラム――軽音部ライブ。
翔太のボーカルが終わり、ラストは真理のソロ。
イントロが流れ始めた。
……が、ほんの一拍、音がズレた。
「っ……!」
雷の背中を冷たい感覚が走り抜けた。
次の瞬間――
翔太の指が弦を外し、音が途切れた。
そのまま、膝が崩れる。
ベースが床に落ち、金属音が鳴り響いた。
「翔太っ!?」
観客の歓声が、悲鳴に変わる。
雷の体は、反射で動いていた。
登夢とシャケも、同時にステージへ飛び込む。
真理の手が震えている。
何かを掴もうとして――掴めない。
雷が翔太を抱き起こした瞬間、
鼻を刺す、鉄の匂い。
(……血?)
見間違いじゃない。
脇腹に深い刺し傷。
雷の心拍が一瞬、止まった。
翔太の瞳がわずかに開き、雷の手を掴む。
その眼差しは、苦痛ではなく――意志。
「……あと一曲だ……真理の……歌で、終わらせたい……」
「馬鹿言うな。止血しないと――」
「やめろ……このステージは……真理の……!」
雷は歯を噛んだ。
救急車を呼べば、ライブは終わる。
翔太の夢も、真理の想いも、ここで止まる。
(……なら、俺が止める)
雷は深呼吸を一つ。
掌を翔太の傷口に押し当てた。
血の流れが、指先で止まる。
――雷流古武術・止血術。
「行け。最後まで歌わせてやれ」
雷の声に、翔太が小さく頷く。
弦をつま弾く音が――かすかに響いた。
「演出だ、演出だからぁぁっ!!」
シャケが観客に叫ぶ。
ざわめきが引き、再びライトが点いた。
真理は震える手でマイクを握り、瞼を閉じる。
涙が頬を伝う。
それでも、歌った。
泣きながら、最後まで。
そして――
音が、止んだ。
静寂。
一瞬ののち、誰かが拍手をした。
その音が波紋のように広がり、体育館を満たした。
雷は翔太を抱えたまま、息を吐く。
「……よく持ったな、バカ野郎」
真理は崩れ落ち、涙をこぼした。
照明が最後に、ひときわ強く光る。
――鳳学園軽音部ライブ事件。
すべては、この瞬間から始まった。
◆幕の裏
幕が閉じる。
観客のざわめきが遠ざかり、
残るのは、真理の荒い呼吸と、機材の擦れる音だけ。
「……はぁ、はぁっ……!」
歌い切った――歌い切れてしまった。
その事実が胸を締めつける。
(どうして……どうして歌ってたの……?翔太が倒れたのに……!)
足がふらつき、真理はステージ袖に崩れ落ちた。
「真理!」
谷神冬華が駆け寄り、肩を支える。
「大丈夫、落ち着いて……!」
一方、楽屋では雷が冷静に動いていた。
止血を終え、呼吸は安定。
その手際は、まるで医者のようだ。
「律臣、水とタオル!」
「う、うん!」
翔太が目を開く。
「……真理……」
「翔太っ!?」
「……歌、よかった……」
真理の目からまた涙が零れる。
「バカ……! なんで倒れるまで……!」
「だって……真理の声、好きだから……」
その言葉を最後に、翔太の意識が遠のいた。
◆静かな判断
「全員、道をあけてください!」
鋭い声が響く。
保健教諭・今沢緑が駆け込んできた。
その顔は、いつもの穏やかさとは違う。
傷口を一瞥して、短く息を呑む。
「救急車はまずい……騒ぎになる。登夢君、判断を」
登夢が息をのむ。
「……祖父が、来ています」
「そう。なら――学校としても“静かに最善”を選びましょう」
照明が落とされ、観客の視線を遮るよう手配される。
そして、静かにドアが開いた。
杖をついた紳士――草薙明。
鳳学園理事長であり、登夢の祖父。
「登夢」
「……爺様」
明の視線が翔太に向かう。
「救急車は使えぬ。……登夢、運ぶぞ」
「……はい」
今沢が頭を下げた。
「理事長。生徒の未来を守るため、学校として動きます」
「君がそう言うなら安心だ、今沢君」
黒スーツの護衛、篠塚玄馬が前に出た。
「若、担ぎます。止血の維持を」
「頼む」
登夢は翔太を抱えながら、今沢を見る。
視線が交錯する。
(……本当に大丈夫なんですか?)
今沢は小さく頷いた。
「――君たちが守るなら、私も守る。それが“大人の責任”です」
玄馬がドアを開け、翔太を静かに運び出す。
翔太がかすかに笑った。
「……すみません、先生」
「謝るのは、治ってから。恋もケガも、治るまでが青春よ」
明が杖を鳴らす。
「行くぞ。友を守る覚悟を――誤魔化すな」
車が夜の闇に消えていく。
今沢は深く息をつき、職員たちを振り返った。
「……まだライブは終わっていません。生徒たちの未来は、私たちが守ります」
淡々とした声の奥に、確かな決意があった。
(――守れなかった過去は、繰り返さない)
誰にも聞こえない呟き。
その瞳の奥に、登夢の影が一瞬だけよぎった。
この夜、誰も知らない“幕”が静かに上がる。
友情と罪と祈りが交わる、鳳学園の新たな物語の始まりだった。




