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Wet Hands

 俺は気ままに流れてきたのさ。

 大陸西部はどこまで行ってもひたすら荒野。景色に色気なんてありやしない。あっちも茶色でこっちも茶色、人の住処すみかひなびた茶色だ。屋根から砂埃を被った、どれも似たような建物が並ぶ開拓者の街をいくつも渡り歩いてきた。

 左足は思い通りに動いてくれない。だから引きずりながら、えっちらおっちら。それでも旅は気楽なものだね。空が無限に広くて自由を独占している気分になれる。旅に少し疲れたなら、近くの街にふらりと立ち寄るだけのこと。


 金はない。ないから拾う。

 目抜き通りのど真ん中を、肩で風切り歩いてやれば、あっという間に人気者だ。ガラガラヘビみたいな笑い声と、連中のギラつく視線と。どいつもこいつも人間を、ぶっ壊していい玩具おもちゃかなにかと思い違えてやがる。ガンマン、ってのは、所詮しょせん人間の不良品だ。まあ俺自身その仲間なのだが、同族嫌悪というやつだ。だから対決しようと誘われたなら、躊躇ためらわずにぶち込めるのさ。鉛玉を。


 拾った金は俺のもの、俺の金は酒場のもの。俺はバーボンが大好きでね。店で一番高いやつをオーダーして、一人優雅に夜を過ごす。本音では浴びるように飲んでみたいのだが、アルコールにはとんと弱い。一途いちずに片想いなのだ。


 俺はほろ酔いの頭でうっとり、愛しいバーボンを讃える音楽を口遊くちずさんでいた。

 愛の波濤はとうに飲み込まれるとは露知らず。


「ミルクを混ぜれば美味しくなるのよ」


「そう、バーボンにはミルクを混ぜれば美味しく──」なるわけがない! それは邪道だ。バーボンにミルクを加えるなんて、バーボンを侮辱ぶじょくするだけの、陳腐な発想が生みだした大罪だ。

 俺は声の主をにらみつけた。隣に座るその女は、しかし俺にはとりあわず、ちょび髭のダンディなマスターに向かって熱心に話しかけている。

 カウンターを挟んだ先にいるマスターも穏やかな目で、酒に酔ったお嬢さんを紳士的な態度であやし、そこにあるのは二人だけの優しい世界、まるで割り込む隙がない。


「バーボンなんて苦いだけだもの、気分が悪くなってきたわ。ねえマスター、私は不幸のどん底にいるの。そんな客相手に苦い苦いお酒を飲ませるなんて、ちょっと辛辣しんらつすぎるんじゃないかしら?」

「これは失礼しました、お嬢さん。もしよろしければ貴女あなたの不幸を、私にも分けていただけませんか」

「私はね、不幸なの」

「ええ」

「今くらい泣いたって、きっと神様は許して下さるわ」

「泣いたっていいのですよ」

 マスターの言葉に素直に従い、お嬢さんの声が湿り気を帯びてくる。

「昔はずっと幸せだったの。裕福な家庭に生まれて、お父様もお母様も私を精一杯愛してくれた。でもね、永遠なんてないの。私は無法の、この荒野を憎むわ。お父様も、お母様も、下手な鉄砲で撃ち殺されちゃった。流れ弾だったのよ。私はね、ガンマンなんて大嫌い。みんなみんな勝手に殺し合って、地獄に堕ちればいいのに」


 しくしく泣きだした。隣の女が泣きだしたせいで酒の味が不味くなった。あるいはこれも流れ弾か。所かまわず涙を流し、無関係な男の楽しみまで塩辛くして台無しにする。

 身内が下手クソなガンマンの喧嘩に巻き込まれて死んだ。そいつは災難だ。もし俺が居合わせていたら、その場ですぐに敵討ちしてやってもいい。それくらい朝飯前だ。

 だがここで泣いて何になる。俺にまで不幸の異臭を撒き散らして何になる。


 酔いも手伝ってか、カウンターにグラスを叩きつけ、俺は勢いよく起立した。

「マスター」瞬時に注目を集めた。少しだけ誇らしい気分だ。「うへへ、おしっこ」

「まあ!」

 女は真っ赤になっていた。俺は大袈裟おおげさに足を引きずりながらよろよろと外に出て、ちょろりと生えた草を目がけ、用を足す。スッキリして店に戻りかけたところで、さっきの女が猛烈な勢いで店から飛び出し、俺を見つけるなり「ググ」とうなり声を上げた。

 唸り声を上げたのだ。


「ねえあなた空気を読むって知ってる? 知らないの? 親が殺されたんだよ、親が殺された女の子があなたの隣で泣いてるの、しくしく泣いてるの」

 大股で詰め寄ってくる女。襟元を締め上げてくる女。殺意があるのは明白だった。

「たしか、に、しくしく泣いていた、な」

「親が殺されたんだ。泣いて当たりまえっ」

「すす、すまなかったっ。死んだおとうさんおかあさんも、ごめんな、さい」

「そんなことどうでもいい!」


 けたたましいとはこの女のために用意された言葉だったか。俺の首は解放され、女はこの世のものとは思えないおぞましい奇声を上げながら地団駄を踏む。

 ああそうか、やっと冷静になれた、これは夢だ、俺はバーボンをいささか飲みすぎたようだ、飲みすぎたせいで眠りこけてこんなナンセンスな悪夢を見ているんだ──なんて甘い考えに逃避していると、強烈に酒臭い吐息を浴びせかけられる。


「涙は女の武器なんだよ」

「まったくその通りですね」

「私、女の子だから、涙を流すの」

「少し大人しくなりましたね」

「男の人って可憐な女の子の涙でころりといっちゃうものじゃない? ここのマスター渋いのよ。渋くてかっこいいの。でも恋愛事になると唐変木とうへんぼくなのかな。もうちょっとその気になってくれても、いいのにね」

「はは、同感です」

 面倒なやつにからまれた。

「ところでご両親は?」

「死にました」

「ご愁傷さま?」

「もう三年も前のことです。涙なんてとっくに涸れたわ」

「でも君は泣いていただろう」

「あれは嘘の涙だから」

「嘘の涙! 世知辛い涙だねえ」


 そろそろ満足していただけただろうか。俺はこの最低な事態からさっさと逃げてしまいたくて、ままならない足を懸命に動かした。

 すると女の目には俺の後ろ姿が健気けなげに映ってしまったのだろう。「あなたも、泣いてしまえばいいのにね」などと言う。酔っぱらいとはいえ、気に入らない憐れみだ。俺は窮屈きゅうくつな心持ちで振り返る。

「足か? それとも目のほうか?」

 どっちも、だと思う。

「やっぱり、左は見えてないんだね。足も不自由で。かわいそうな人」

「同情するのか?」

「ううん、それはあなたの自分勝手がもたらした因果なのでしょう? それに」

「なんだ」

「私、ガンマン嫌いなの。あなたは死に損なったんだね。かわいそう」


 正直で、嫌味な女だ。しかし本当に両親がガンマンに殺されているのなら、同類の俺もさぞかし憎いに違いない。ガンマンとはそういう生き物だ。憎まれるべき生き物だ。開拓の邪魔者、ただの人殺し、善良なガンマンなど俺だって会ったためしがない。


 酒を飲みに、一人で戻った。女は去ったことだろう。

 バーボンは甘い。それを苦い苦いと連呼して、あいつの味覚は狂っている。

「最悪な女だ」

 孤独な旅に慣れすぎて、俺は一人きりになった気でいた。

「いや、すまない。何でもないさ」

 マスターの目が怪しく光る。ちょび髭の男。ダンディなオジサマ。宿なしのガンマンごときでは一生かけても手が届きそうにない大人の余裕をそなえている。

 俺はいつからこんな下らない道を歩みだした? 生きていくのが苦しかった。いつもみじめな思いをした。銃を手に入れ新しい道を切り拓いた、でも、結局は惨めな人殺しになっただけ。


「君は若いな」

「マスターは……ダンディだな」

「ふふっ、いつかは君もこうなるさ。男はみんな、枯れればだいたいこんな感じだ」

「ははっ」

「でも君はまだ若い。挑戦してみたらどうだい? 面白い発見があるかもしれないよ」

 カウボーイ。バーボンにミルクを混ぜた得体の知れないカクテルだ。そのままで美味いバーボンに、白く濁った家畜の乳を注いで、まったく意味がわからない。

「ぐいといけ。若者よ」

「ひっ、不味いな、不味すぎる」

「仕入れたミルクが悪かったかもしれない」

「許せねえ」

「文句なら生産者に言うべきだ。ここよりさらに西の街にいるらしい」

 平然と不味いカクテルの責任を余所よその人になすりつけ、マスターは俺が残したカウボーイをぐいと一息に飲み干し、言った。

「これはこれは、相性最悪だったようだ」



       *



 西の街のさらに西。一攫千金を狙う開拓者たちは肩に鶴嘴つるはしを担ぎ、西へ、西へ。


 先日拾った酒代が思いのほか多く残っていた。たまには楽をしようと辻馬車に乗り込んでみたら、あとからあとから、土臭い、土竜もぐらよりも貧相な顔をした男たちが便乗しだした。銃の手入れの振りをして脅してやろうと試みたが、ガンマンなんて見飽きたのだろう、男たちは「うへへ」と下卑た笑みを浮かべ、パンを食い始める。硬い、味がしないと不平を漏らし、余ったパンが俺に回ってきた。仕方なく食べてみると、パンの味はしょっぱい。それに表面が湿っている。手のひらにはじわりと汗の粒が浮かんでいる。男たちは食べかけのパンを放り投げ、新しく発見された金鉱の話に花を咲かせる。


 金貨、金塊、金塊王きんかいおう。いや、金塊王じゃない。成金王なりきんおうだ。あの方は、成金王と名乗っている。どこのどいつだ? どこのどいつだなんて恐れ多い、成金王だ。だから誰なんだ。今にわかるさ、フロンティアにいれば、成金王の威光からは逃れられない。


 まったく退屈な子守唄だった。目的の街はミルクの名産地と聞かされていた。ならばそれなりの見応えがある青々とした草原があるだろうと期待したものだが、いざ着いてしまえば、そこらの街と同じ量産されたようなつまらない茶色の風景が広がっていた。

 マスターは、保安官の家の前にはミルクを噴き上げる噴水があるとも言っていた。しかし現実はどうだ。でかい噴水はあっても垂れ流す液体はないようで、道行く人々が迷惑そうに避けるだけの、無用のオブジェになっている。近くに行けばかすかにミルク臭い。それだけだった。


 聞き込みによると、お尋ね者の不味いミルク生産者は街の外れに住んでいるらしく、俺は今さら自分の馬鹿げた行動力を呪わないよう、バーボン讃歌をうたいながら歩いた。

 実際目的地は街外れというより、離れ小島のように街から遠く隔たった場所、木柵もくさくによって区切られた伽藍洞がらんどうの土地にぽつねんと建っていた。いや、そのみすぼらしい小屋は至る所が不器用に補修されていて、建っているというより、まだ住んでいたい住人によって無理矢理立たされている印象だ。ババンババーボン。風がバーボンの旋律をさらい、寂寞せきばくの大地を吹き抜けていく。


「ひどい歌声」

「バーボン讃歌だ」

「歌のチョイスまでずれているのね」

「なあ」

「なに」

「ここのミルクはすごく不味いぞ」

「わかってる。でも安心していいよ。もう飲みたくても飲めなくなったから」

 昨夜の嘘泣き女は乾いた目つきで辺りを眺めまわす。

「あっちが放牧地で、あっちにはキレイな花畑があったんだ。開拓者たちは西の大地は未開拓なんて言ってくれるけど、ここにはさ、私たちの故郷があった。もう面影もなくなりそうだけど」

「なあ」

「なあ、じゃなくて、キオナよ。私の名前」

「キオナ。そうか。三文字の名前だな」

「そうね」

「俺は、キースだ」

「キース。素敵な名前ね」

「ふっ、褒めるのは女の作戦か? 嘘の涙だけではないんだな」

「別に口説こうなんて思ってない。素直に褒めたの。キース。なんだか好きな名前だわ」


 キオナに付いて小屋をのぞくと、屋内であるはずなのに、床板の破れたところからは無遠慮な雑草が背を伸ばしていた。その中の白い花を一つだけ摘み取り、また外に出て今度は小屋の裏側へ回る。ハルジオンという名の花だそうだ。五文字の名前。覚えられる自信はない。


「ねえキース、どうせバーボン持ち歩いてるでしょ、ちょっと分けてよ」

 懐からバーボンを差しだすと、本当に持ってたと言いたげな呆れ顔で受け取るキオナ。

「手のひら、れてるね」

「涙だよ。バーボンを分け与えるのがすごくつらい」

「うん、ただの手汗だね」

「深刻な手汗だ」



       *



 名の知れたガンマンをいとも容易く撃ち殺し、少年キースは荒野一帯に勇名をせた。


 狙い撃ちのトム、力任せのビリー・ベン、双子の隠し球『三人目』、五十九人の横揺れする荒くれ者たち──。挑戦してくるガンマンは容赦ようしゃなく返り討ちにした。俺のほうが強かった。軽い命ばかりで、奪った感触なんてなかった。自分は凄腕だと思い上がっている連中ほど、派手な衣装で身を守り、互いに銃口を向け合った刹那せつなには恐怖で顔面がゆがみ、小物の本性を露わにする。

 鈍い動作、重たそうな手袋。迎え撃つ俺は素手で銃把グリップを握り、わずかに、だが決定的にやつらより速い。


「若いやつらは反射がいいよな」そんな愚痴をこぼす年寄りがいた。「それに代謝もいい」


 その時相手したやつがどんな二つ名を持っていたか、覚えていない。もしかしたら敵の実力も測れないぼんくらだったかもしれない。その日は何人ものガンマンを相手していて、手のひらにべっとりついた汗を拭きとる習慣を忘れていた。


 年寄りの恨み言が脳裏に蘇った。

「若いやつは代謝がいい」そんな簡単な話ではない。

「代謝がいいから汗をかく」そんな簡単なメカニズムではないのだ、手汗は。

 ホルダーから銃を抜く。荒野の空はまぶしい青空で、いつもと変わらない乾いた風が吹いていた。雨なんて降るはずもないのに、俺の手の中にだけ、しとしとと、ぬるい雨がいつまでも降り続けていた。銃把グリップがすっぽ抜け、宙を舞う。間抜けだな、と他人事ひとごとのように思い、大地がひっくり返る。


 左足も、左目も、その時を最後に機能を失った。



       *



「神様に見捨てられたんだ。もう、ずうーっとここだけ、雨降ってないから」

 バーボンと一輪の花を、肩を寄せ合う二つの墓の前に置いた。

 手を合わせ拝む。汗でべとべとだった。

「まさかガンマンがこんなところまで来るなんてね。父さんも母さんもびっくりしてるだろうな」


 静かな場所だ、なんて考えていたからだろうか。ふいに浮遊感があり、足元が激しく揺れ動く。キオナも俺もその場で踏ん張り、キオナの小屋の壁が一部、ぼろぼろとパンくずのように崩れ落ちる。

「地震かっ」

「いやっ、これは」

 束の間の出来事だった。まるで何事もなかったかのように揺れはすぐに収まった。だがキオナの小屋は見るも無残な有様だ。


「成金王の仕業よ」

「ああ、あの有名人か」

「知ってるの?」

「ああ、あの有名なやつだろ」

「成金王はね──」説明が必要だとキオナはすぐに察したようだ。ありがたい。「成金王はここらで幅を利かせている開拓者よ。キング・オブ・ナリキン。新しい金鉱が見つかれば莫大な資金で採掘権を買って、手荒な方法で掘り進めてどんどんもうけていく金の亡者。そこに住んでいる人のことなんて考えもしないご近所迷惑の嫌なやつ。この街だって、あいつのせいで滅茶苦茶めちゃくちゃの茶色づくしになっちゃった。昔は緑豊かでこんなじゃなかったのに」

「フロンティアの有名人なんて、だいたいそんなもんだ」

「他人事じゃないのよ! 成金王はガンマンに命を狙われたことがあってね、保身のためにガンマン狩りを始めたの。ひじ狙いのトミー・ジュニアや老獪ろうかいシュリンプも、実力者はみんな殺されたんだから」

「ふっ、実力がないからやられたんだよ」

「もうっ」キオナは牛のように鳴いた。「二つ名を持つガンマンは特に危ないんだから! キースだって、どうせそんなに偉そうなんだから二つ名の一つや二つや三つくらい持ってるんでしょっ」

「いや、俺は」

「どうなのっ」

「あれだな」

「あれってなによ」

「手汗のキース、って呼ばれてます」

「なにそれふざけてるの?」


 手汗のキース。そう、手汗のキースなのだ。

 神童キースとか、電光石火のキースとか、そういう如何いかにも強そうな二つ名が付けられるものだと、ずっと信じていた。だが噂好きのやつらは俺のたった一回の敗戦に着目したのだ。あいつは手汗で銃を滑らせた、と。あいつにも付け入る隙があるのだと。止めどなく流れ落ちる手汗が、俺のことを知りながら挑んでくる無謀な連中にとって、実力差を埋めるための一縷いちるの望みだった。


隻眼せきがんのキースとか、片足のキースとか、もっとかっこいい二つ名で呼んでほしい」

「目も足も両方ついてるじゃない」

「でも片方使えないし、これが俺の強い個性だから」

「傷ついたことが誇らしいの?」

「アウトローな響きに憧れるのさ」

「二つ名って、そんなにこだわりたいものなんだね」

 キオナは拳を口元にあてがい、しばらく思案顔でいた。

「じゃあ、片田舎のキース、なんてどうかな?」



       *



 ミルク臭い噴水の中は風よけにちょうどよかった。一夜を明かすため横たわり、夜空を仰ぐ。

 何もない田舎街、何もかもを、個性をすべて奪われた田舎街。あのパワフルな女はここで生まれ育ち、そしてこの場所は昔と変わってしまったと言う。

 地上の景色が変われば、空の見え方も変わるのだろうか。

 満天の星空がある。人が集まり灯りが増えた町では、夜でも地上が明るいばかりに、空まで白けて星明りは目に届かない。だがここには、まだ星明りが残っている。星明りだけが、残されている。


 今の俺はセンチメンタルな気分だ。バーボンの歌より、ロマンティックなポエムを詠みたい気分だ。

──満天の星空。君の瞳にも星空。星空にきらり涙の光。

──嘘泣き女のホントの涙はれてしまってあっぱらぱー。


 俺はセンチメンタルの海のかなり深いところまで潜っていた。感性が研ぎまされている。夜明けの予感がする。地響きと共に東の大地がひび割れ、地中から地上へと黄金の太陽が昇る。どでかい金の卵だ。金の卵は二つに割れ、黄金をまとった兵士たちがぞろぞろと隊列を組んで湧いてくる。黄金の兵隊がひとところに集まる。密集する。重なる。積み重なる。積み上がっていく。人間のピラミッドだ。黄金のピラミッドの頂点にひときわ輝く金塊の男が君臨した。


「太陽の輝きが如何ほどのものか」


 託宣が、大河のように悠々たる語り口で下される。星空の儚い光は黄金の輝きによってすでにき消されていた。

「フロンティア。広大無辺の未開の大地。太陽によって統治されるこの世界の常識を覆すほどのまばゆい金塊が、この沃野よくやにはまだまだ眠っている。可能性の大地だ。だがしかし、愚かな神は人々の反逆を恐れ、物の値打ちもわからぬ蛮族にこの大地を与えたもうた。しかし、しかし、今世紀私という至高の輝きがこのフロンティアを開拓し、眠れる金塊は覚醒し、富む者も富まざる者も皆平等に旧時代の支配から救われることとなる」


 高慢な男の演説を頑張って理解しようとつとめているうちに、黄金の兵隊にすっかり包囲されていた。何だコイツは、という渾身こんしんの疑問を込めて、俺は男をめつけた。すると男からも鋭い眼光が返ってくる。あれは人殺しに慣れた目だ。人殺しを躊躇わない目。

「成金王だ」

 しゃらりと金の腕輪を鳴らし、手下に簡潔な指示を飛ばす。

「そいつを連れてこい」


 黄金の卵は内部が幾層いくそうにも分かれ、巨大な船舶のようになっていた。片田舎を中心に放浪するガンマンでは普通お目に掛かれないような未知の技術が、四方八方を取り巻いている。

 俺は円卓の間に通された。黄金の椅子に座らされ、円の中央にそびえる絢爛けんらんたる座具に成金王が腰を据える。金ピカの毛皮がぐしゃりと音を立てて縮んだ。

 円卓には、俺以外にも数人のガンマンがいた。崇敬すべき成金王を直視しないよう目を伏せている、そんな印象だ。腹の内にどす黒い感情を隠しているやつもいるだろうが、忠犬よろしく身動みじろぎひとつしない。


「たとえ敵でも有能な者には手を差し伸べる。それが成金王の流儀だ」

「そいつは見上げた心掛けで」

「お前は手汗ガンマンのキースだな」

「そう呼ぶ人もいるようで」

「ふむ。ガンマンなのに手汗がひどくてかわいそうともっぱらの噂だが、かなり腕が立つとも聞いている。どうだ? 私の護衛として働いてみる気はないか? 欲しいものならなんでもやれるぞ」

 そう言ってしゃらりと金の腕輪をちらつかせた。

「願ったり叶ったりで。でもですね、ご存じの通り手汗が酷くて、護衛しようにも手のひらから銃が逃げちゃうかもしれません」

「馬鹿を言うな。お前が負けたのはたった一回だけと聞く」

「一回負ければガンマンは死にます。俺はたまたま運よく生きているだけで」

「運も立派な実力だ」

「戦績を見れば一回負けてるので、死んでいるも同然です」

「そうか、ならば口説き方を変えよう」


 嘘泣きでもするのかと思った。中性的な顔立ちのやつだ。おいおい泣けば多少の同情はけるだろう。しかし成金王は人情もへったくれもない奇妙に上擦うわずった声で勧誘を続ける。

「私は、私をおびやかそうとするガンマンが嫌いだ。私の配下になれば巨額の富を得られるというのに、多くのガンマンは計算が苦手なようでな。勝算がどれほどのものか理解せず、私に銃口を向けたがる。私は見くびられているのだ、愚かなガンマンたちに。お前もそうだろう、キース。お前は百戦錬磨のガンマンだがたった一度のミスをしたばかりに、不名誉な二つ名で呼ばれるようになった。実力のないやつほど強者の欠点を気に入り、あげつらうものだ。そういう小物には腹が立つだろう? お前をわらったやつに復讐したいだろう? 私に協力すれば効率よく徹底的に裁きを下せる。口先だけの弱者には、己の無能を受け入れ、強者の足元にいつくばってもらわないと困るよなあ」

「はあ、あなたの考えにはおおむね同感です」


 成金王はニタリと笑う。

「逆らう弱者には人道的な教育が必要だ。銃口を向けてくる馬鹿がいれば、脳天をぶち抜いてやればいい。仕事をサボる鉱夫がいれば、腕を切り落としてやればいい。不味い飯をつくるコックがいれば、舌を抜いてやればいい。泣き止まないガキがいれば、感情を壊してやればいい。実家を離れたがらない年頃の女がいれば、頼りの親を殺してやればいい。足元に金塊が眠っているのに立ち退かない愚民がいれば──」

 長い指を一本伸ばし、すっと真下を指し示すと、笑顔はさらに邪悪になった。

「住めない土地にしてやればいい」



       *



 ぼろ小屋の扉をノックすると「はぁい」と快活な返事が返ってくる。キオナは訪問者の正体を認めるなり、深い溜め息をつき露骨に落胆してみせた。

「なあんだキースか。ミルク配達の人かと思った」

「キオナもカウガールだろう」

「うちは廃業したの。ミルクは配達してもらってるんだから」

「そうか」

「そうよ」

「そうか」

「まあいいわ、上がって。ちょうど朝ごはん作るとこだったから」


 床に穴が開き壁も崩れかけていて、とてもくつろげる場所ではない。俺は床下からすくすくと闖入ちんにゅうしてきている五文字の花をつつきながら、じれったい時間を過ごした。キオナは芋を焼いてくれた。味のない芋。二人で分けるとすぐになくなる。

「食べたら出てってよね。それともミルクが来るまで待つの? 私これから仕事だから、あんまり構ってあげられないよ」

「牛を追うのか?」

「だから廃業したんだって。午前は鉱夫の弁当作り。午後は金持ちの家で雑用係」

「キオナの時間を俺にくれないか」

「どうしたの急に」

 キオナは目を見張った。

「意味わかんない。キースって軽い男なんだね」

 身振り手振りで俺を追い払おうとするキオナ。ほおの緩みはまんざらでもなさそうだ。



       *



 人は恋をする。西部開拓のこんな無秩序な時代でも、人は自由気ままに恋へと落ちる。老若男女、平民貴族、善玉悪玉、ガンマンにカウガール。自分に与えられた役割など忘れ、人はロマンティックな恋の坩堝るつぼへ飛び込んで身を焦がし、恋愛成就を勝ち取るためなら恥を忍んで、死に物狂いで右往左往する。


 キオナはダンディなオジサマに恋をした。ダンディの気を引こうと躍起やっきになって、酒の席にて嘘の涙を零した。


 そしてあの成金王にも恋の物語がある。牧草の香りがするその乙女は、たった一目でやつの初心うぶなハートを射抜いてしまった。事の詳細は割愛しよう。男の恋心ほど観賞に堪えないものなどないのだから。

 恋の始まりは単純なものだ。しかしいくら大金を積んだところで、本物の恋は決して手に入らない。成金王はキオナに百回告白して、百回撃沈した。普通に気持ち悪い記録だと思う。俺は百一回目のプロポーズに挑戦すると言う成金王の覚悟を計りたかった。

 うっかり恋の奈落に足を踏み外したなら、男は、男の中の男に進化を遂げなければならない。古い殻を破り捨て、はるかな蒼穹そうきゅうへ飛翔しなければならない。


 俺は約束通り、キオナを連れ出した。

 不自然に人の姿が消えた街。ほのかにミルク臭い噴水広場に待ち受ける、黄金の男。

「キース。あなたたち仲間だったのね」

 色をなくした声で、キオナは静かに言った。されど絶望に屈しないしたたかな意志は、乾いた眼差しに表れ、たゆまず真っすぐに、成金王をとらえている。

「ご苦労だった、キース。これでもう、この田舎に未練はなくなる」

 成金王は声高に言う。これまで築き上げてきた、そしてこの先も疑いようのない輝かしい実績を純粋に信用し、好いた女をやつだけの恋心に巻き込もうとする。


「キオナよ。私の女になれ」

「いやよ」

「私の女になれば何でも与えてやろう。地位も、黄金も、懐かしい味のミルクも。何でもだ。それにこんな場所でいつまでもくすぶっていても未来はない。すぐに死ぬぞ」

「ならさっさと殺しなさい。死んでもあんたの物にはならないんだから」

 百回失敗したやつは百一回目も工夫できない。自覚がないのかもしれないが、成金王はもう百一回死んでいるのだ。どれほどの幸運がやつの自尊心を生かしているのか知らない。だが、そろそろ敗北を認めるべきだろう。


 女と男の決着はついた。なら次は、男が男を振る番だ。

「成金王、お前の覚悟は見届けた。だからもういいだろう」

 成金王はどこまでもにぶい男のようだ。今の一言に、俺が裏切ったものだと思い込んでいる。俺はやつの味方ではなかった。ただ順番待ちをしていたにすぎない。

「次は俺が男の権利を行使したい」

「私を裏切る愚か者に、なにか権利があるとでも」

「あるさ俺にも。玉砕する権利がな」

「くはは、馬鹿者が。なにが言いたいのかわからんな」

「理解しなくていい。だがお前は成金の王だ。金の王だ。金玉の一つや二つや三つくらいぶら下げているよな?」

 成金王は言い返さなくなった。沈黙の中、眉間みけんに刻まれた深いしわが、やつの高すぎるプライドを物語る。

「決闘しようぜ。おとこと漢の。命をけた決闘をよ」



       *



 この荒野に雨は降らない。奇跡が降り立つ場所でもない。どいつもこいつも空を見上げ夢を語らずにいられない土地柄とちがらで、現実の光景は果てしなく、悲しい。

 俺はポエムを詠みたくなった。一陣の風が砂塵さじんを巻き上げ、頬を強かに打っていく。相対あいたいする成金王は余裕の笑みを顔に張りつけ、ゆっくり、懐の中へ手を差し込む。

「まさか決闘を申し込まれるとはな。よくぞ私をガンマンだと見破った」

「ふっ、お前の目は人殺しの目だ。遠くから、慈悲の欠片かけらもなく生きてるやつをごみくずにする人殺しの目。俺と同じだよ」

「光栄だな」


 ガンマンは卑怯者ひきょうもの。フェアな殺し合いなんて約束してくれない。建物や噴水の陰から四対よんついの視線が突き刺さる。やつらは殺気のこもった無骨な指で、今か今かとトリガーを引きたがる。確認するまでもなく成金王の手下どもだ。俺は無性にポエムを詠みたい。弾丸に愛を込めて、道を踏み外したあいつらにエンジェルの微笑みをプレゼントしたい。


 五対一だ。遠慮なく先手は取らせてもらった。

 電光石火の早業はやわざで銃をさばき、ひょっこり顔を出した間抜けな一人に最初の愛を届ける。ゆらりと二歩、そよ風に揺れる麦の穂のように、飛来する弾丸の軌道から身をらし、返礼の鉛玉を二人目に捧げる。

 手の中に雨が降る。恵みの雨が。俺にも死の祝福をもたらそうと、だから命を手放せと、しとしと、塩辛い雨が降る。

 俺は握力を強くする。


「調子に乗るなよ手汗ボーイ」

 三対一になった。せわしく弾丸が飛びう。次に誰を連れて行こうかささやき合って、無邪気なエンジェルが賽子さいころを転がす。

 生き残った二人の手下はしっかりと食いついてきた。だがガンマンは犬になれない。番犬にもなれないし、まして忠犬になどなりえない。芸を仕込まれお手をやってのけても、腹の内ではいつか噛みついてやろうと企んでいる。手下の一人が成金王に銃口を向ける。ほんの一瞬の慣れた動きだった。「仕留めた!」と思った。そいつは最期までそう思っていたはずだ。悪党らしく破顔したまま仰向けに倒れた。成金王の所作は素早く、何よりさり気なかった。──誰が殺したか見当もつかない。黄金の弾を眉間にぶち込んでおきながら素知らぬ顔をする。いっそ清々しく感じられる殺しの腕前だった、成金のガンマンは。


「どいつもこいつも信用ならんな。お前も死んでおくか?」

 イエスもノーも答える時間を与えず、最後の生き残りにささやかな黄金の弾を贈った。そいつは混乱に陥る余裕もなく、むしろ戦闘の最中さなかの勇ましい死に顔をしている。

「どさくさまぎれのアレン。昔に捨てた、私の二つ名だ」

 俺と睨み合ったまま、成金王はあらぬ方へ射撃した。決闘を見守っていたキオナの足元の土がえぐれ、微かな砂埃が舞う。威嚇いかく射撃にもならないさり気ない攻撃。当のキオナも何が起きたか気づいていない。


「私の早撃ちは凡愚ぼんぐのとろくさい目では追えない。二つ名こそ持っていたが、私がガンマンだと気づけるやつはほとんどいなかった。気に入らないやつはすぐ殺せるからな。相手に悟らせる暇なんて私にはないのだよ。いつでもどんなところでも、どんなやつが相手でも、手軽に殺してしまう。保安官だろうが貴族だろうが、ばれずに殺せば面倒はない。そうだな、例えば──」

 嫌な予感はしていた。俺は嫌な予感もよく的中するのだ。「例えば、れた女が実家を離れたがらない。いい女だというのに、いつまでも両親の好意に甘え、寄生している。女はいつか男の元へ巣立たなければならんのに見ていて惨めだった。私が何とかしようと思った。折よく街中でガンマンの決闘があり、女の両親が近くにいたものだからな、利用せずにはいられまい。まあ、あくまで、例えばの話だが」


 今度ははっきりと銃口を相手に向ける。成金王の殺意が俺の眉間に吸い込まれる。不思議と嫌な気はしない。今までは銃口を向けられるのが不快だった。だが成金王の行為は、俺に対する明確な敵意であり、敬意だと思えた。

「キオナ、私の女になれ。もう二度とこんなセリフは言わんぞ」

 キオナの涙はずっと前から涸れている。だから俺は──。


 まだ雨が降っている。手の中に、激しく生暖かい雨が。この雨を、生きている証を、俺は、キオナと分かち合いたい。

 頭の中で年寄りの声がする。

「若いやつらは汗かきだ」

 銃把グリップを握る手のひらから雨の雫がしたたり落ちる。

「汗をかくのは代謝の証!」

 滝のような雨。視界もにじむ。意識が手から滑り落ちそうだ。

「代謝がよければ反射もいい。はやい! はやい! はやい!」

 豪雨の彼方かなたに晴れ間が見えた。キラキラと美しい七色の光が、荒れた大地に降り注ぐ。

「そうだ。俺は、速い! 光よりも!」


──ガンマンの決着は、いつも紙一重だ。手汗をぬぐう暇もない。



       *



 金は自ら光れない。太陽が眩しく光るから、金は自分の輝きに気がつけるのだ。

 孤高のガンマンが膝をついた。俺は彼に手を差しだす。

「握手しようぜ、ガンマン」握り返す手はなかった。どさくさ紛れのアレンは地にひれ伏すことをよしとせず、片膝で身体の重みを支えたまま静かに息を引き取った。


 もう敵はいない。手汗を拭けば、俺は次の旅に出る。その旅が一人旅になるかどうかはとても瑣末さまつな問題だ。俺は生き残った男として、たった一度の挑戦をしよう。自分勝手な、甘く苦い挑戦を。


「なあ、キオナ」

「なに? 今忙しいんだけど」

 彼女は雨に濡れていた。流れ落ちる雨粒を、華奢きゃしゃな両手で必死になって拭っていた。

「ダンディな男は好きか?」

「好きよ」

「ミルクは好きか?」

「好き」

「じゃあバーボンは」

「苦いから嫌い」

「旅はどうだ」

「旅より定住派なの」

 やれやれ相性最悪だ。俺とキオナの相性は、初めからバーボンとミルクのようだった。

「五文字の花は?」

「花による」

「ガンマンなんかは」

「大嫌い」


 難攻不落の大敵だ。付け入る隙もありゃしない。どうにも俺は攻めあぐねていた。玉砕覚悟で挑むつもりが、たった一度の敗北を想像しただけで手足が戦慄わななく。尻尾しっぽを巻いて逃げ出したい気分だ。特上のポエムを詠めれば幾ばくか勝算もあるだろうに、キオナの前に立つだけで頭の中がこんがらがる。


「意気地なし! 男のくせに。偉そうなキースはどこ行ったのよ」

面目めんぼくない」

「男なんてどいつもこいつも。女の子が泣いているのにハンカチも差しだしてくれないわけ? いつもいつも手汗ばっかりかいてるくせに、どうやって拭いているのよ」

「手汗が染み込んだハンカチがほしいのか?」

「そんなものいらないっ」

生憎あいにくハンカチは持ち歩いていなくてな。いつもズボンや服の袖で拭いている」

「サイテー」

「すまない」

「謝んなっ」

「ロマンティックな告白もできない、こんな男で、すまない」

「はあぁ?」

 中途半端に秘めた恋心を漏らしてしまった。失態だ。俺はキオナが好きなだけで、この好きな気持ちを何とか伝えたいだけなのに。君と涙を分かち合いたいだけなのに。ありふれた言葉しか思いつかない。

「好きだ! 俺はキオナが大好きだ!」

 ああ言ってしまった、シンプルすぎてかえってくさい言葉だ、背中がむずがゆくなりそうだ。

 キオナは何て言い返してくるだろう。ドキドキと心臓の音がうるさすぎて聞き逃してしまうかもしれない。


 だが俺の心配を余所に、キオナはとっておきの鉛玉を撃ってきた。泣きらした目は未来を見据え、前に進む覚悟が固まっている。涙に濡れた手のひらが差しだされ、俺はその小さな手のひらを、そっと優しく包み込んだ。


「キース! 私をフィアンセにして!」


 西寄りの風が吹いた。ほのかに潮の香りをのせて。

 旅人たちは、西へ、西へ。じきに一面の青い滄海うみと出会うだろう。




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