第9話
昼休みの教室は、食堂の代用品みたいにざわざわしていた。わたしは弁当箱を開けて、卵焼きをひとつつまんだ。
黄色い長方形は、わたしにとって、数学のプリズムよりも、ずっと分かりやすい。噛めば甘い。計算は、噛んでも甘くならない。だから、卵焼きの方が偉い。すくなくとも、今日のわたしの世界では。
友人は、隣の席からじりじりと距離を詰めてきた。蛍光灯の光に照らされた彼女の影が、わたしのお弁当箱にまで侵入してくる。影の不法侵入である。
しかも彼女は、平然とわたしの肩に頭をのせてくる。この肩は無料休憩所ではないのに、彼女にとってはそうらしい。さらに図々しいことに、わたしの胸に顔を埋めようとする動きを感じた。わたしはそっと、卵焼きで防御した。防御率ゼロでも、気持ちの上では盾になる。敵に食べられてしまったけれども。
彼女のほうが立派なものを持っているのに、どうして人のものに興味が湧くのだろう。自給自足すればいいのに、と思う。とりあえず、わたしの身体を、公共財みたいに扱うのはやめてほしい。だけど、彼女の無邪気な笑顔を見ると、抗議の言葉は舌の上でとろけてしまう。卵焼きよりも早く。
わたしはふと、クラスのざわめきを聴いた。笑い声、机を引く音、パンの袋を破る音。全部がごちゃ混ぜになって、昼休みという交響曲を作っている。指揮者はいないけれど、妙に調和している。
わたしは、その交響楽団の中で、弁当箱の端にご飯粒を見つけた。それは、白い星みたいに孤立していて、ひとつの宇宙を勝手に始めている。どんなに取るに足らない存在であっても、それぞれが固有の価値と意味を持ち、自律した世界を生きている。
窓の外を見ると、グラウンドでサッカー部が走っていた。人がボールを追いかけ、人が人を追いかけ、影が彼らを追いかける。追いかけることだらけの風景に、わたしは追いつけなかった。
わたしが追いかけるのは、たいてい思考とか空想とか、形のないものばかりだ。サッカー部に混じったら、ボールではなく雲を追いかけてしまうことになるだろう。
卵焼きを食べ終わると、弁当箱の中に、ちいさな残骸が散らばっていた。人間の一日も、最後はこうして、残骸みたいな記憶で埋まるのかもしれない。記憶の断片は、歯にくっついたのり弁の海苔みたいに、取れにくい。しかも、自分ではなかなか気づけない。わたしの心にも、きっとたくさんの海苔がついているのだろう。
チャイムが鳴り、昼休みが終わった。弁当箱を閉じると、宇宙のふたを閉めるみたいな気分になった。中に広がっていた空想の銀河は、もう次の昼までお預けだ。
教科書を開くと、さっきまでの交響曲は一転して、シャーペンのざらついた合奏に変わる。わたしは、ノートの余白に小さく『たまごやき』と書いた。意味はない。意味がないことは、だいたいおいしい。
午後、廊下を歩いていると、誰かが水道の蛇口を締め忘れていた。ちょろちょろと水が落ち、金属の音を立てていた。わたしは手を伸ばして、静かに回した。
無意識の誰かの置き土産を、わたしは勝手に片づけたことになる。けれど、その瞬間、蛇口が「ありがとう」と言ったように感じた。ただ、音が止んだだけ。それでも、沈黙は、確かに感謝の形でもある。静寂を取り戻した世界と、わたしとの間の、誰にも邪魔されない絆。
帰り道、街灯が点く瞬間を、偶然見た。昼と夜の境界は、案外カチッとした音を伴ってやってくるのかもしれない。日常の切り替えスイッチは、意識していないところに隠れている。
わたしは立ち止まり、その切り替えを目撃した証拠を、心のどこかにそっとしまい込んだ。