第4話
小テストの日、机の上に置かれた答案用紙を見て、わたしはまず、その白さに圧倒された。
印刷された問題文よりも、その余白の方が、ずっと大きな存在感を放っている。余白は、まだ何も書かれていない未来だ。けれど、未来はだいたいのところ、書き損じで埋まることになる。
だから、わたしは最初から、余白を墓石みたいに感じてしまう。名前を刻む前から、もう墓場の静けさが、そこに漂っている。
ペンを握りながら、心臓が無駄に元気よく動き出す。教室の静けさの中で、わたしだけが騒音を発している気がした。静けさは、凶器だ。誰もしゃべらないのに、わたしの中の音だけが膨らんでいく。カンニングよりも、心拍数の方がばれるんじゃないかと本気で思った。
隣の席の子は、シャーペンの先を走らせる速度が速すぎて、もはや工場のベルトコンベアみたいだった。わたしは、比べるまでもなく遅い。わたしの頭の中では、まだ問題文の『問』の字が、"問い?"、"問い詰め?"、"遠い爪?"と勝手に変換されていた。国語でもないのに、言葉遊びをしている自分が恨めしい。
一問目、わたしは分からなかった。二問目も、あやふやだった。三問目にたどり着いたとき、ようやく答えられそうな気がした。けれど、その瞬間、脳裏に、正解したら次は間違えるだろう、という冷たい予感が走った。
人生は、正解と不正解の交互ゲームだ。まるで、白黒の市松模様。たとえ黒マスに立ちたくなくても、順番が来ればそこに立たされる。
などとどうでもいいことを考えているうちにも、時計の針は規則正しく終わりに向かってカウントを刻む。時間が経つにつれ、余裕がなくなってきたわたしは、とりあえず必殺何か書く戦法に出た。答えが正しくなくても、文字を並べれば、余白は埋まる。墓石に、落書きを刻むように。
落書きの墓石でも、空白よりはましだと思った。白は眩しすぎて、わたしを突き放す。黒いシャーペンの線は不格好でも、わたしの存在をかろうじて主張する。
結局、答案用紙の半分は、疑問符と空想と妄想で埋まった。知識ではなく、文字数で勝負している気分だった。
テストが終わり、用紙を回収されるとき、わたしはすこしだけ惜しい気持ちになった。自分の失敗や迷走の跡が、紙ごと先生の机に運ばれていく。まるで、心の一部を差し出すみたいだった。
答案用紙は、弱さの提出物だ。人は、強さは見せびらかせても、弱さは隠すものなのに、学校はそれを、堂々と提出させる。教育とはつまり、弱さの収集活動なのかもしれない。
休み時間、友人に「どうだった?」と聞かれたわたしは、「まあまあ」と答えた。実際は「まあまあ」どころか「まったく」だったけれど、「まったく」より「まあまあ」の方が軽い。
言葉には、重さがある。重い言葉は人を沈ませるし、軽い言葉は人を浮かせる。わたしはとりあえず、軽く浮かんでいたい。
彼女は、「簡単だったよね」と笑った。
その笑顔を見て、わたしの「まあまあ」は、ますます嘘の色を濃くした。けれど、嘘は意外とコミュニケーションを滑らかにする。砂糖みたいに、溶けて全体を甘くする。だから甘い嘘は、悪いことばかりではない。
放課後、答案が返ってくるのは来週だと言われた。まるで、未来に借金を残したような気分になる。借金は、返すまで心を重くする。答案返却の日は、全員が同時に借金取りに会う日だ。
わたしはすでに、未来の自分が机の上で肩をすくめる姿を想像してしまった。その想像だけで、今から肩が重くなる。未来というものは、勝手に肩こりを送りつけてくる。
帰宅途中の電車で、窓に映る自分を見た。頬に、すこし赤みがさしていた。テストのせいか、それとも夕焼けのせいか、分からなかった。どちらでもいい。赤い頬は、生きている証拠だ。答案の点数よりも、今この瞬間に赤くなれることのほうが大事だと、無理やり思うことにした。
人生の答案は、白紙で返ってくることがない。失敗も迷走も、全部自分の身体に書き込まれていく。跡が残る限り、墓石ではなく、日記になる。そう信じて、わたしは今日も、生き延びる。