第30話
わたしの部屋は、六畳のちいさな箱だ。机と本棚とベッドが押し込まれていて、床には脱ぎ散らかした靴下がひとつ、ふたつ、と転がっている。ひとり部屋としては、平均的で、散らかし気味で、それでいて居心地がいいと思う。ここは、わたしだけの王国であり、それと同時に牢獄でもある。
宿題を広げたまま机に向かっていたけれど、参考書の文字が目の前で波打ち始めた。眠気はいつも、こっそり忍び足でやってくる。まるで、背後からそっと抱きしめられるように、気づいたときにはもう逃げられない。
仕方なく、わたしは机に突っ伏した。頬がノートに押しつけられて、その感触ですら気持ちがいい。おそらく、居眠りという罪を証拠づけるスタンプみたいに、ノートに書かれた文字の跡がうっすらと皮膚に写し出されていることだろう。
眠りに落ちる瞬間、部屋の空気がすこし変わる。蛍光灯の白い光は現実を映し出していたはずなのに、瞼を閉じると、光はただの背景に成り下がる。音も同じだ。外の車の走行音や、廊下を歩く家族の足音も、夢への伴奏に変わる。居眠りは、世界を一時的に無効化する操作なのだ。
どれくらい眠っていたのだろう。目を覚ますと、ノートのページが、わたしの頬でしわくちゃになっていた。時計を見ると、数十分しか経っていないのに、身体はまるで半日眠ったみたいにだるかった。短い居眠りは、時間の長さを自由に編集する。
のっそり立ち上がるとベッドに移動して横になり、わたしはあらためて眠ろうとした。制服のまま布団に潜り込むと、スカートがすこしめくれて落ち着かない。けれどその落ち着かなさがまた、妙に心地よかった。部屋での居眠りは、他人の視線がないからこそ無防備になれる。鏡や窓ガラスに映る自分すら気にせず、ただ眠ることだけに身を任せられる。
夢の中で、わたしは教室にいた。黒板に向かって板書を写していると、突然書いている文字が水のように流れ出し、ノートが濡れてしまった。慌てて顔を上げると、教室がいつの間にかわたしの部屋に変わっていた。
夢の構造は曖昧で、現実と同じ形を装いながら、簡単に裏切る。居眠りとは、世界のコピィを不意に改ざんする行為なのだ。
目を覚ますと、布団の中に沈んでいる自分の身体が、やけに重く感じた。重力に引きずられる感覚が、心地よさとだるさを同時に運んでくる。腕も、胸も、腹も、太ももも、全部が、地球につながれているという実感を主張していた。眠ることで、あらためて物体としての自分を思い知らされる。
天井をぼんやり見つめながら、わたしは考える。わたしは机に突っ伏して、数十分のあいだ、わたしであることをやめていた。その間、宿題も時間も世界も、わたしを必要としていなかった。
それは、死となにが違うのだろうか。
もしかすると居眠りとは、意識のちいさな死なのかもしれない。わたしは、いったん死んだのだ。にもかかわらず、目覚めればすべては再び続いている。世界は、わたし不在の時間を、平然と乗り越えるのだ。
それでも、この部屋での居眠りには安心がある。なぜならば、学校や電車での居眠りが、"無防備さの危険"だとするなら、この部屋での居眠りは、"無防備さの権利"だからである。頬にノートの跡をつけても、スカートがすこし乱れていても、ここでは誰も笑わない。部屋という空間は、世界のなかで唯一の恥を保護する器なのだ。
わたしはもう一度あくびをして、布団に潜り込んだ。宿題はまだ山積みだし、机の上は散らかったまま。でも、そんな現実の責務すら、まあ後でいいやと思わせてくれるのが、居眠りの魔力だ。
居眠りとは、世界へのささやかな背徳である。
まぶたを閉じるたび、わたしは現実の譜面から一音分、沈黙を盗む。
もし人が眠りを知らなかったら、時間は切れ目を失い、永遠に鳴り止まない鐘のように、自らの響きで崩れてゆくだろう。
眠りとは、時間の余白である。
居眠りは、指先でこっそりちぎるように、その余白を勝手につけ加える。
わたしはもう一度、その罪を犯すように眠りに落ちる。
六畳の箱の底で、わたしの呼吸だけが、静かに世界を刻んでゆく。




