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第27話

 図工室の隅に置かれた石膏像を、わたしは眺めていた。石膏の表面には、無数の細かなひびが走っていて、頭部の形を模したそれは、無言のままこちらを見返していた。

 人の顔をかたどっているのに、そこには血も肉もなく、生きていないのに、生きている人よりもじっと見つめてくる。静止は時に、動きより強い存在感を持つ。何もしていないからこそ、余計な雑音がなくて、本質だけが残るのだ。

 机の上には、木材の切れ端が散らばっていた。削り取られた跡が残る板を指でなぞると、ざらざらした感触が肌に引っかかる。誰かが手を加えた証が、まだ木の中に息づいている。

 人は物に触れ、削り、形を変える。けれど、変わっているのは木だけじゃなくて、触れたその瞬間、無言のままこちらの輪郭を逆に削ってくる。触れることは、一方通行じゃない。わたしが木を刻んでいるようで、木がわたしの思考を刻み返している。人が物を形作るのと同時に、物もまた、人の感覚や考え方を彫り直していくのだ。

 窓から射す光が、木屑の上でちいさな影をつくっていた。影は一瞬のもので、風が吹けば散ってしまう。けれどその儚さが、かえって確かに、いまを証明していた。永遠の影より、一瞬の影のほうが生々しい。

 石膏像の下には、落書きがあった。マジックで描かれた、ちいさな顔。無表情な石膏と、稚拙な笑顔の対比に、思わず口元が緩んだ。真剣さの隣に、そっと、おふざけが居座る。真剣だけでは、きっと耐えられないから。

 教室の隅に積まれた絵の具箱から、かすかに油の匂いが漂っていた。その匂いを吸い込むと、過去の授業の風景が蘇る。匂いは、記憶の鍵だ。視覚よりも先に、閉ざされた扉を開ける。思い出は頭に残るというより、たぶん身体のどこか——鼻腔の奥や喉元や、皮膚の裏側——に沈殿しているのかもしれない。

 机の引き出しを開けると、古いカッターナイフが出てきた。刃先は欠けていて、丸くなっている。切れ味を失っても、道具として捨てられずに残されているのは、切れない刃は役に立たない証ではなく、それまで使われてきた証だからなのだろう。道具は、使われなくなると死ぬのではなく、ただ形を変えて、痕跡の入れ物になるのだ。

 わたしは机に頬杖をつき、削りかけの木片をじっと見ていた。木の模様はひとつとして同じものがなくて、規則を拒んでいるように思えた。だけど無秩序の中には、かすかな連続があって、その木目の流れは、偶然に見えて必然なのだ。偶然と必然の境界は、じつは非常に曖昧なものだ。

 窓の外から、運動場の掛け声が響いてきた。勢いのある声が壁を震わせ、石膏像の沈黙と対照をなしていた。

 ふいに風が吹き込み、机の上の紙が舞った。

 石膏像の足元に落ちた紙には、誰かが書いた『未完成』の文字があった。ただの落書きなのかどうかは分からないけれど、その言葉は、この部屋に似合っていた。

 未完成であることは、欠陥ではなく、余白だ。

 完成すれば終わるけれど、未完成ならば、続いていける。

 しばらくそうしていると、教室のドアが開き、後輩らしい生徒が顔を出した。わたしに気づくと、ちいさく会釈をし、絵の具箱を抱えて出て行った。言葉は交わさなかったけれど、視線の交差だけで、この空間に、いまを共有できた。

 部屋に再び静けさが戻り、石膏像は変わらぬ顔でこちらを見つめ続けていた。けれど、その視線の奥に、さっき見た落書きの笑顔が重なって見えた。無表情は、想像の余地を与える。

 わたしは、削りかけの木片を、そっとポケットに入れた。完成しなかった欠片を持ち帰ることで、今日の時間のかけらを連れて帰れる気がした。終わらなかったものは、終わらないまま、生き続ける。未完成のまま残るものが、もっとも強く存在を主張するのだ。

 教室を出て扉を閉めると、内側の匂いと静けさが、背中にやわらかく貼りついた。外の廊下は明るく、生徒たちの声が軽やかに跳ねている。

 完成と未完成、沈黙と喧噪。

 その境界をまたいで、わたしは歩き出した。

 世界はいつだって、途中でできている。

 無論、わたしも、その途中のひとつだ。

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