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第26話

 体育館の裏手に回ると、風が強く吹き抜けていた。表の喧噪が嘘のように静まり返り、古い倉庫の壁がぎしぎしと鳴っている。

 わたしは、そこに置かれている木製のベンチに腰を下ろした。表面のニスは剥げ、ところどころに雨の跡が染み込んでいる。人が使った痕跡は、傷と同じように残ってしまう。新品のベンチはただの木だけれど、古いベンチには、だれかの時間が詰まっている。

 風が砂を巻き上げながら、足元に散らばっていた落ち葉を転がした。葉の一枚一枚が、見えない指で次々と弾かれているようだった。落ち葉は地面に縛られているのではなく、風に誘われて移動している。定位置にいるようでいて、実は居場所を持たない。わたしも知らず知らずのうちに、風の気分次第でどこへでも流されているのかもしれない。

 ベンチの足元に、古びたバスケットボールがひとつ転がっていた。色はすっかりと褪せてしまい、表面はひび割れている。ボールとしての役目を果たすには、もう弾みも弱いだろう。それでも形は崩れず、丸いまま、そこにある。役割を失っても、存在は失われない。

 ベンチに座ったままボールを足で軽く転がすと、コトンと乾いた鈍い音が響いた。役目を終えた物の音は、どこか寂しげでありながらも、落ち着きを帯びている。役割から解放された物は、ようやく自分自身になれるのかもしれない。わたしも、何かを果たさなくなったときに、本当の姿を取り戻すのだろうか。

 体育館の窓がすこし開いていて、中からバスケットシューズのきしむ音が聞こえてきた。ドリブルの音が床に響き、それが一定のリズムを刻んでいた。倉庫の壁を伝って届く、その生き生きとした音は、さっき転がした古いボールの音と対照的だった。どちらもボールが奏でる音なのに、いまを生きる音と、過去を生きる音だった。その違いだけで、物語になる。

 わたしは、空を仰いだ。雲がちぎれ、鮮やかな青が顔を覗かせている。雲は形を変えるけれど、空は変わらない。変わり続けるものと変わらないものが重なって、ひとつの景色をつくる。

 しばらくすると、倉庫の扉が軋みながら開いた。冷たい音の余韻が空気に滲み、そこから用務員さんがモップを抱えたままゆっくりと姿を現した。こちらに気づくと、すこし驚いたような顔をしたけれど、何も言わずにモップを干し場へ持っていった。無言の確認ほど、強い会話はない。

 あたりに再び静けさが戻ると、不意に風が一段と強くなり、落ち葉が空へと舞い上がった。空へ押し上げられるように回転し、薄金色の輝きをまとって宙を漂うさまは、まるで物語の主人公に選ばれたかのようだった。

 上昇する葉は自由に見えたけれども、風がやむとすぐに落ちてくる。その一瞬の自由が、かえって鮮やかだと感じた。永遠の自由なんてものは、存在しない。自由は刹那だからこそ、心を震わせるのだ。

 季節の風にすくい上げられた落ち葉みたいに、わたしもほんの刹那、どこかへ浮かんでいけたらいいのに。

 そんな思いが胸のなかでふわりと揺れ、ひと呼吸ぶんだけ、世界は澄み渡って見えた気がした。

 古いボールをもう一度足で転がし、ベンチから立ち上がった。鈍い音はさっきよりも軽く響いた。ほんのすこし、空気の中に余裕ができたのかもしれない。きっと音というものは、その場所の息遣いのようなものに左右される。同じ言葉でも、聞く場所によって重さが変わるように。

 歩き出しながら振り返ると、ベンチとボールと落ち葉が、まだそこにあった。どれも役割を外れたような存在だったけれど、それぞれの仕方で世界に居座っていた。役割は消えても、居座り続ける。きっと、役割よりも、居座ることのほうが先なのだ。名付けられた意味が剥がれ落ちても、その意味を宿らせることができるもとになるもの、いわば核はそこに残る。居座ることは、ひそやかに世界を支える根幹なのかもしれない。

 体育館の裏手から表に回ると、喧噪が一気に押し寄せた。歓声と、ボールが床を弾く乾いた衝突音と、笑い声が渦を巻いて混じり合う。薄い壁一枚を隔てただけで、空気の密度がまるで違う。

 裏側の静寂と、表側の喧噪。

 役割を終えた存在と、役割を演じている存在。

 同じ場所なのに、世界が二重に走っているように思えた。まるで見えない鏡を挟んで、お互いを透かし合わせているかのように、どちらも偏らず、互いに影を映し合っている。

 わたしは、その境界を通り抜けながら思った。たぶん、わたしの一生も、これとよく似ている。表では役を演じ、誰かへの応答として振る舞い続ける。裏では、言葉にも名前にも還元されない「ただいるわたし」として、息をし続ける。

 どちらが本物か、という問いは、じつは意味を持たない。どれも、本当のわたし。ふたつは切り離せず、両方を抱きしめてやっと、ようやく、わたしはわたしになる。

 演じることと、ただ在ること。その往復のなかで、わたしは立ち上がる。役割と存在、その二重奏が揃わなければ、この舞台はきっと成立しないのだ。

 きっとわたしたちは、どこかひとつの場所に落ち着くようには造られていないのだと思う。裏か表か、本音か建前か、自由か役割か、そのどれか一方に決めてしまった瞬間、生きものとしての呼吸が止まる。だから迷うし、揺れるし、定まらない。

 そして、定まらないこと自体が、たぶん、生きている証なのだ。

 ただここにいるだけで足りる瞬間と、誰かのために何かを演じて届かせたい瞬間と、そのどちらも持っているからこそ、世界とつながる場所が失われない。

 そう考えることで、わたしはすこしだけ救われる。どちらも、偽物じゃない。揺れている途中のわたしも、途中だからこそ完成なのだと、そんなふうに思うことができるから。

 わたしは、一度だけ息を深く吸い込む。

 その呼吸の重みが、わたしをこの現実に留めている。

 あり続けるということは、完成ではなく、連続だ。

 だから、今日のわたしもまた、途中でいい。

 途中のままでも、ちゃんとここにいる。

 それだけで、もうじゅうぶん、だよね?

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