第2話
体育館に並べられた跳び箱は、積み木の化け物のように見えた。わたしの身長より高い段数に重ねられていて、挑戦しろと言われるだけで胃が縮む。
教師は、「恐怖を克服するのが大事なことです」と言ったけれど、恐怖を克服しなくても生きていけるように積み重ねてきたのが人類の進歩ではないのか、とわたしは心の中で反論した。
人間はもう、サーベルタイガーに追いかけられているわけではない。なのに、わたしは、木製のサーベルタイガーを飛び越えて、恐怖を克服しなければならないらしい。
跳び箱の横に並んで、順番を待つ。前の子が軽々と跳んでいくと、空気が「簡単だよ」と言いにくる。だけど、空気ほど信用ならないものはない。空気は、裏切る。だって、転んだときに助けてくれない。酸素は供給してくれるくせに、抱きしめてはくれない。
わたしは呼吸しながら、心臓がやたらと速くなるのを感じていた。どくんどくんと音がして、胸の内側でちいさなドラムセットが演奏会をしている。
「助走をつけて、手をついて、脚を開く」
体育教師の説明はいつも三拍子で、まるで呪文みたいだ。だけど呪文は、唱えるだけでは魔法にならない。跳び箱は、杖を持たない魔法使いに対して、冷たく突っ立っている。わたしは、杖のない魔法使い。だから、魔法をかける代わりに、ただの失敗を繰り返す。
いよいよ、わたしの番になった。助走をつける。床の木目が、走馬灯みたいに流れる。手をつく。木の匂いが、鼻を打つ。脚を開く。跳んだ。おしりがすれすれで通過した後に、肩が跳び箱の角にぶつかって、どん、と鈍い音がした。わたしは、マットの上に転がった。拍手は起こらなかった。笑い声も起きなかった。体育館の空気だけが、すこし重たく沈黙した。
それでもわたしは、不思議と泣きたくはならなかった。転ぶことは失敗じゃなく、重力に仲良く抱きしめられただけだ。わたしはきっと、重力と相思相愛なのだろう。
教師は、「もう一度やってみましょう」と言った。
二度目の挑戦を強いられることほど、人生に似ていることはない。一度では、終わらせてもらえない。何度も何度もやらされる。まるで人生が、体育教師そのものだ。わたしは、仕方なく再び助走を始めた。
今度は、なんとか全身が跳び越えた。ぎりぎり着地。マットが身体を受け止めてくれる。マットは重力と友達だけど、わたしとも友達だ。友達の友達だから、ではなく、わたしとも重力とも友達なのだ。重力がわたしを押し倒して、マットが「まあまあ」と慰める。結局、わたしの人生は、この二人の友達に振り回されている。
授業が終わると、体育館の窓から差し込む光が、跳び箱を照らしていた。さっきまでの木製サーベルタイガーが、急に穏やかな家具みたいに見える。跳び箱はただそこにあるだけで、わたしに敵意はなかったのだろう。
敵意を勝手に読み取ったのは、わたし自身だ。物は何も言わない。物はただの物。わたしが勝手に意味をつけて、怯えているだけ。人生の跳び箱はいつだって、意味をかぶせられている。
更衣室でジャージを脱ぐとき、鏡に映った自分の肩に、うっすら赤い痕があった。跳び箱に打ちつけた跡だろう。しかし、痛みよりも、その痕が、今日わたしが確かに跳んだ証拠になっていることの方が、妙に心地よかった。
わたしの身体はノートみたいで、毎日なにかしらの書き込みをされていく。擦り傷、日焼け、虫刺され。全部、わたしのページを埋める落書きだ。落書きは汚いけれど、真っ白よりは読み応えがある。
友人が、背後から肩をそっと撫でてくれた。「跳べたじゃん」と言いながら、ついでのように前の方に伸びてきた手をそっと払う。わたしの痛みを和らげようとしてくれたのか、彼女自身の欲望を満たそうとしただけなのか、あるいはその両方なのか。相手の意図が曖昧で反応に困るときには、沈黙を選択するのがわたしの標準仕様である。
その日の帰り道、夕焼けが西の空を燃やしていた。赤い色が、跳び箱でできた痕と似ていて、わたしはつい肩を触った。わたしの痛みと、空の色がリンクする瞬間。痛みは個人的なのに、空が勝手に共感してくる。夕焼けは、世界中で需要のある偉大なセラピストだ。診療時間は、晴れの夕方限定だけれど。
家に着いて、鞄を置き、靴下を脱いで床に倒れ込む。今日はよく跳び、よく転び、よく痕をつけられた日だった。わたしの人生は、失敗と痕でできている。でも、その痕は証拠品であり、物語のしおりでもある。痛みはしおり。しおりがあるから、続きを読む気になる。
跳び箱のことを思い出しながら、わたしは眠りに落ちた。夢の中でもまた、木製サーベルタイガーが待っているかもしれない。でも、夢なら転んでも痛くない。挑戦することも、やぶさかではない。夢の中でくらいは、マットのない世界を跳び越えてみたいものである。