第18話
朝の満員電車は、もはや移動手段ではなく、輸送される人体のパズルだった。駅員の笛と共に押し込まれた瞬間、わたしは自分の輪郭を失う。背中と背中、腕と腕、鞄と鞄が絡み合い、誰の身体がどこまでなのか、区別できなくなる。
制服のスカートの裾が誰かの鞄に挟まれ、身動きが取れなくなる。わたしの腕は知らない人の背中の下敷きになり、胸は自然と押し潰される。恥ずかしいなどという次元は通り越して、これはもう、生物学的な実験ではないかと思えてくる。人間は空間が奪われると、まず羞恥を忘れるのだ。他人の目よりも、安全や生存を確保することのほうが、優先順位が高い。
車内の揺れが加わると、全身が一斉にシーソーのように傾く。見知らぬ大人の腕が偶然わたしの肩に触れ、わたしの髪が見知らぬ学生の顔にかかる。こういう場面では、誰が悪いというわけでもない。不可抗力の連鎖は、もはやコメディに近い。わずかな揺れが、人間関係の境界線を容易く押し広げ、曖昧にしてしまう。
窮屈な状況の中で、わたしはなぜか笑い出しそうになった。息苦しさと滑稽さが紙一重で混ざり合い、胸の奥で泡のように弾けていく。笑ってしまえばすこしは楽になるかもしれないが、ここで笑えばたちまち異物として浮いてしまう。だから代わりに、呼吸だけをちいさく整えた。
窓ガラスに映る自分の姿は、押しつぶされたなにかだった。頬がすこしゆがみ、肩はぎゅっとすぼめられていて、背中は誰かのリュックに押されている。普段の鏡では、決して見られない顔。だが同時に、そこに映っているのは、社会の縮図でもあった。わたしたちは、互いの体温を無理やり共有しながら、ひとつの箱に収まることを強いられている。
境界とは、何だろう。
満員電車に乗ると、その問いが自然に浮かんでくる。わたしの腕と、隣の人の腕は、確かに別のものだけれど、押し付けられている間は、ひとつの塊のようだ。わたしの呼吸と、他人の呼吸は、混ざり合い、吐く息すら区別できない。
個人という輪郭は、通勤ラッシュの中で、いとも簡単に曖昧になる。わたしたちは個でありながら、社会という大きな箱に押し込められ、常に他者との境界を曖昧にさせられている。
車両がカーブに差しかかると、群れ全体が一方向に傾く。誰かの鞄の金具がわたしの腰に食い込み、息が詰まる。けれど、その痛みは不思議と、共有の一部になっていた。痛みすら、みんなで受け取るものになるとき、なぜかすこし安心する。
吊革を掴む余裕もなく、わたしはただ押されるがままに、立ち続ける。身体の自由が奪われているのに、心の中では逆に、無限の自由が広がる。何もできないからこそ、思考はどこへでも行ける。
次の駅で人がすこし降りると、空気が急に流れ込んできた。わたしは、大きく息を吸い込んだ。その瞬間、肺いっぱいに広がる酸素が、まるで世界そのもののご褒美のように感じられた。解放感は、閉塞があるからこそ輝く。自由は、束縛の記憶によって輪郭を得るのだ。
やがて目的の駅に着き、人の波と一緒に押し出される。改札を抜けたとき、わたしは自分の体温が、ようやくわたしのものに戻ったことを実感した。満員電車は、不快で窮屈だ。けれど同時に、それは、わたしがわたしであることを確かめさせる、奇妙な実験場でもあった。
放課後の階段に、腰を下ろしていた。人が通らなくなった三階の踊り場は、声の残響だけが漂っている。壁に貼られた掲示物の端がめくれ、カサカサと揺れていた。その小さな音が、校舎全体の心臓の鼓動みたいに、規則正しく響いていた。
ふと、床に鉛筆のキャップが落ちているのに気づいた。誰かが落としていったのだろう。拾い上げてみると、ほんのすこしだけ芯の汚れが残っている。持ち主は気づいていないのかもしれないけれど、この小さな破片は、今日ここにいたことを証明している。
わたしたちが痕跡を残すのは、忘れること、忘れられることを、恐れるからだ。自分の一部を落として、世界に存在を刻んでいく。あらゆる創造的活動の根底には、自分の存在が消滅することへの抗いが、すくなからずあるだろう。
キャップを指先で転がすと、軽い音がした。その音は、空っぽなのに確かに響く。中身があるから鳴るのではなく、空だからこそ、音が出る。空洞は欠陥ではなく、役割なのだろう。わたしも、自分の中の空っぽを気にしていたけれど、もしかするとそれが、最も響く可能性を持つ部分なのかもしれない。
窓の外に目をやると、夕暮れが、校庭を赤く染めていた。照らされた砂の上に、風が走って、線を描いている。誰かが遊んだ跡のようで、誰もいないのに、賑やかに見えた。風は、無人の遊び相手だ。砂と風が交わるだけで、遊びは成立する。そこに複雑さは、必要ない。人間も案外、その程度でいいのかもしれない。
ポケットにキャップを入れて、立ち上がる。持ち主に返すあてもないけれど、捨てる気にはならなかった。落とし物は、拾った人の時間に組み込まれる。持ち主が誰であれ、その人の一部はもう、わたしの一部になってしまったのだ。
階段を下りると、残響がすこしずつ薄れていった。けれど、キャップを握った指先にはまだ、軽い音の感触が残っていた。音は過ぎても、記憶に残る。空洞の響きは、消えるよりも、長く続く。
わたしの存在も、同じだろう。いつか消えるけれど、その空洞が、もし誰かの記憶の中でちいさく鳴り続けるのなら、きっとそれで十分である。




