第17話
朝、通学路の横断歩道で、信号が青に変わるのを待っていた。車が途切れ、静けさが一瞬だけ街を支配した。その静けさの中で、カラスの鳴き声が響いた。黒い影が空を横切ると、青信号の色さえ薄まって見える。色よりも、音のほうが強いのだ。さらに強いのは、形だろう。わたしは歩き出しながら、信号は目に従わせるが、鳴き声は心に従わせるのだと思った。
学校に着くと、まだ教室は半分ほどしか人がいなかった。窓際の席に座り、鞄を置く。窓の外では、掃除の人が落ち葉を集めていた。竹ぼうきで集められた葉は、抵抗するように、舞い上がる。けれど、最終的には、袋の中に収まる。逃げたり、散らばったりしながらも、最後には、どこかに収束してしまう。
一時間目の授業は化学だった。先生が、「物質は、保存される」と言った。その言葉を聞きながら、わたしは机の上に置いた消しゴムを眺めていた。消すたびに、ちいさくなっていく消しゴムは、保存されているのだろうか。
消えたカスが、どこかに溜まり続けているのなら、保存なのかもしれない。でも、その行方を誰も追わないなら、保存とは信じるための合言葉に過ぎない。真理の確かさとは、その真理が信じられている、という合意に依存しているのかもしれない。
休み時間、教室の隅で、掃除当番の子が黒板を消していた。白いチョークの粉が、彼女の動きに合わせてふわりと宙へ浮かぶ。窓際から射し込む光が筋をつくりだし、舞う粉をひとつひとつ照らしていた。消された文字たちは、粉となって散り、やがて床へと落ちていく。さっきまでそこに確かに存在していた何かが、いまはただ漂う粒子となって、光の中を泳いでいる。
粉は落ちる運命にあるのに、一瞬だけ、空を飛ぶ。その儚い軌跡が、どうしようもなくうつくしかった。まるで、自分の意思ではどうにもならない運命に抗うように、わずかな時間だけ輝く。落下の途中で飛翔するという矛盾、そのなかにこそ、世界の真理が隠れているような気がした。
落ちていくことと舞い上がることは、きっと、同じ一連の動きの中にある。たとえば絶望と希望。失敗と成功。死と生。どちらか一方だけを選ぶことはできず、すべてはひとつの流れの途中に過ぎない。
粉がゆっくりと、床に降り積もる。誰もそれを気に留めない。けれど、わたしの目には、そこにちいさな宇宙が見えた。消された言葉たちは、死んだのではなく、ただ形を変えて漂っているだけなのかもしれない。外から吹き込む風が、窓際のカーテンをふわりと揺らす。その動きに誘われて、いくつかの粉がまた舞い上がった。落ちても、また浮かぶ。消えても、また現れる。
その循環を見ていると、なぜだかすこしだけ、やさしい気持ちになった。きっとわたしたちも、ああやって生きているのだと思う。落ちて、飛んで、また落ちて。それでも、みんな光の中を通り抜けていく。
昼休み、廊下を歩いていると、掲示板に貼られた古いポスターが目に留まった。角がめくれ、テープが黄ばんでいる。『文化祭のお知らせ』と、大きく書かれていたが、日付は去年のものだった。なぜか誰も剥がさないから、そのまま残っている。
過去のイベントが、現在に居座る。記憶も、同じだ。過ぎたことなのに、剥がされずに残ってしまう。過去が、現在に影を落とし続けるのだ。わたしは、ポスターをすこしだけ押さえ、またそのままにして、静かに廊下を歩いた。
放課後、図書室に寄った。棚の間を歩くと、古い本の背表紙がずらりと並んでいる。その列を見ていると、まるで、墓標のように思えた。けれど、本は死んでいるのではなく、眠っているだけだ。開かれると、瞬く間に蘇る。人間の記憶も、本と同じように、"眠る"と"生きる"を繰り返しているのかもしれない。
本を借りずに図書室を出ると、夕焼けが校舎の壁を、赤く染めていた。赤は燃える色なのに、冷めたような静けさを伴っていた。炎よりも夕焼けの赤のほうが、人を落ち着かせる。炎は破壊の赤だけれど、夕焼け空は帰宅の赤だ。意味を変えるのは、色そのものではなく、場面なのだろう。
帰り道、夕暮れの街は、オレンジ色の光をゆっくりと溶かしていた。空の端が茜に染まり、遠くの雲は金色の縁取りをしている。そんな光の下で、電線にスズメが数羽並んでいた。規則正しく、まるで誰かの指揮に従っているかのように、一定の間隔で止まっている。その姿は、五線譜の上に並ぶ音符のようだった。
風が吹くたび、彼らの羽がわずかに震え、電線が細かく揺れる。そのたびに、音符がすこしだけ動いたように見える。世界全体がひとつの楽譜のようで、夕焼けが背景を映しだす照明になっていた。
スズメたちは、それぞれ勝手に鳴いていた。まったく調和していない。けれど、遠くから眺めると、それが不思議と心地よいリズムを作っているように思えた。音は乱れても、形が整っていれば、音楽に見える。
人間関係も、きっと似たようなものなのだろう。近くで聞けば、意見は食い違い、感情は衝突し、リズムは乱れる。だけど、遠くから俯瞰すれば、それも一枚の譜面の上で奏でられる旋律のように見える。たとえ不協和音でも、全体の中では欠かせない一音になる。
電線の上のスズメの一羽が、ぱっと羽を広げて飛び立った。残された仲間たちは一瞬だけその空白を見つめ、それから自然に間を詰めた。ひとつ抜けても、列はすぐに形を取り戻す。まるで楽譜の中の休符が、次の音へと続くための静けさであるかのように。
夕陽が沈むにつれて、電線の影が地面に長く伸びていく。その影の上を歩きながら、わたしは自分もまた、どこかの旋律の一部なのかもしれないと思った。誰かと調和できなくても、遠くから見れば、それも音楽になっているのかもしれない。
家に着き、制服を脱いで、ベッドに横になる。窓の外で、カラスが鳴いた。朝と同じ鳴き声なのに、夜に聞くと、また別の意味を持っていた。朝は合図、夜は予告。始まりと終わりを同じ声で告げるのだから、世界はけっこういいかげんで、わりとユーモラスだ。
眠りに落ちる前、今日一日の光景が、静かに頭の中で折り重なっていった。目を閉じても、瞼の裏に光の残像がちらつく。昼の白、夕方の橙、夜の藍、それぞれの時間が、層のように重なっていく。思い出というよりは、映像の断片。ふとした拍子に心の中へ滑り込んでくる。
カラスの声、落ち葉の舞い、黒板の粉、古びたポスターの角、そして電線に並んだスズメの列。どれも、ひとつひとつは取るに足らない光景だ。あえて誰かに語るほどの出来事ではないだろう。けれど、それらがひとつの線に繋がると、まるで世界が自分のために構成されていたかのように思える。何も関連のなかった点が、ゆっくりと線を描いていく。その線が、いつの間にか物語になる。
物語とは、きっと壮大な事件や運命的な出会いだけでできているわけではない。むしろ、こうしたちいさな断片が集まって、ようやく輪郭を持つ。誰かの笑い声、風に揺れた紙片、夕暮れの匂い。そんな些細なものの中にこそ、日々の核心が隠れている。
黒板の粉が光に溶ける瞬間も、スズメが列を作って止まる姿も、ただのほんの些細なことだった。でも、その一瞬が記憶に残るのは、そこに意味を見出そうとする心の働きがあるからだろう。人は、無数の出来事の中から、自分に必要な形を拾い集めて、ひとつの今日を紡ぐ。
思考がゆるやかに沈んでいき、意識が浅い眠りの手前で漂う。遠くで、誰かの笑い声のようなものが聞こえた気がした。物語は大きなイベントよりも、きっと些細なものに支えられている。今日という一日も、そんな連なりのひとつだった。そう思いながら、呼吸がゆっくりと均一になり、静かな眠りが、そっとわたしを包み込んだ。




