第14話
放課後の教室に残って、ノートを広げていた。窓の外では、グラウンドのサッカーボールが、まだ飛び交っている。
夕陽を浴びたボールは、昼間よりも赤くて、まるで太陽の使い走りみたいに見えた。太陽が、自分の分身を地上に投げて遊んでいるみたいだ。その放物線は、きっと子どもじみた笑い声の形であり、世界の大きな力と、純粋な感情が交差する、魔法のような夕暮れのひととき。
教室は、ほとんど空っぽだった。机の上に残った消しカスだけが、今日という日の証人みたいに散らばっている。
わたしはそれを指で集め、ひとつにまとめて丸めた。丸めると、ちょっとした雪玉に見える。黒板に向かって投げれば、消えるかもしれない。けれど、わたしの過ちまでは、消せない。
消しゴムは万能に見えて、実はなにも救っていない。跡を残さないようにするだけで、跡があった事実は、消してくれない。
罪は消せず、痕跡だけが、消える。表面的な痕跡を消すことで、あたかも解決したかのように錯覚はしても、実際には心の奥底に、その罪を抱え続けるのだ。そんなことを考えると、机に残る消しカスは、妙に正直だった。
窓辺に座り直すと、ガラスに夕陽が反射して、わたしの顔が二重に映った。ひとつは正面のわたし、もうひとつは、夕陽の色をまとった偽物のわたし。
鏡と違って、ガラスは曖昧だ。正しい顔と偽物の顔を、同時に重ねて映す。人間の心も、ガラスに似ている。本音と建前、意地とやさしさ、両方を重ねて映す。どちらも嘘ではないけれど、どちらも本当ではない。曖昧であることは、罪ではなく、存在の仕様なのだ。
廊下を歩く足音が近づいてきて、ドアががらりと開いた。予想通り、友人だった。彼女は当たり前のように、わたしのすぐ隣に椅子を寄せて座り、机に頬をのせた。眠そうに目を閉じて、まるで「ここが自分のベッドです」とでも言うみたいに。
わたしは苦笑しながら、ノートを閉じた。勉強は中断されたけれど、机の上に置かれた彼女の髪が、なぜか、わたしの世界に落ち着きをくれた。髪の重さは数グラムだろうけれど、心にはもっと重く響く。わたしというノートは、彼女の存在でようやく完成するのかもしれない。
夕陽がさらに傾き、ガラスに映るわたしたちの姿は、輪郭を曖昧にしていった。赤い光が、影を長く伸ばす。影は、正直だ。背を高くしてくれるけれど、顔の区別まではしてくれない。誰の影も、似たり寄ったりに見える。もしかすると、平等とは影のことを言うのかもしれない。名前も、点数も、容姿も、関係なく、光さえあれば、誰もが、似た黒い形になる。平等は、光と地面の合作だ。
チャイムが鳴り、部活の生徒たちの声が校舎の外から響いてきた。友人は、机に顔をのせたまま、動かない。眠ったふりなのか、本当に眠ってしまったのか、区別がつかない。
眠りは、境界をぼかす。演技と現実、ふりと本気を、区別できなくする。もしかすると、人間は一日のうち半分くらい、眠ったふりをして過ごしているのかもしれない。わたしも、そうだ。善良なふり、冷静なふり、興味ないふり、関係ないふり。ふりは嘘ではなく、生存の技術だ。
窓の外、太陽が、校舎の向こうに沈んだ。残った赤は、ガラスから消え、わたしの顔も、ひとつだけに戻った。正面のわたしだけが残って、偽物のわたしは、夕焼けに連れ去られてしまった。けれど、わたしは、すこしも寂しくなかった。
二重の顔が消えても、机に残っている彼女の髪が、ちゃんと曖昧さを補ってくれていたから。曖昧でなければ、生きていくには、不安で仕方がない。わたしは、不確かさを抱えたまま、安心して彼女に声をかけた。