第13話
午前の曇り空は、教室の窓を淡い膜のように覆っていた。
外の光はまだそこにあるはずなのに、届くころには、どこか鈍く、かすんでしまっている。その濁りは、空にあるのか、それとも、わたしの中にあるのか。静かな教室の空気の中で、光と影の境目が、ゆっくりと溶け合っていった。
わたしはノートを開き、ただ、余白を見つめていた。白い紙の上に、まだ形を得ない言葉たちが、うっすらと呼吸しているように思えた。人は、書くことで語るよりも、書かないことで多くを残している。書かれなかった言葉たちは、沈黙の奥でひっそりと、けれどしっかりと存在を主張しているのだ。
余白とは、声なき言葉の海である。その静けさに耳を澄ますと、わたし自身の輪郭が、すこしずつ滲んでいく気がする。
ふと隣の席を見ると、友人がペンを走らせていた。ノートの端に、ちいさな星を描いては、その紙を指でぐしゃぐしゃに潰している。意味のない創造と、意味のない破壊。どちらも成立してしまうのは、不思議だ。わたしが覗き込むと、彼女は気づいて顔を上げた。
「見ないで」と、ちいさな声が聞こえた。
けれど、声よりも、その笑顔のほうが、情報としての割合が大きかった。禁止を言いながら、表情は歓迎しているようだった。
わたしは、余白にペンで、ちいさな点を打った。点は、無意味の象徴だ。けれど、隣の点と結ばれれば線になり、線が増えれば形になる。無意味は、連帯することで、意味になる。
友情も、きっとそうだろう。日常の中で出会う偶然の中に、新たな意味を与えるような、必然的な出会いが隠されているのかもしれない。単独では偶然、結ばれると必然。
昼休みになり、わたしたちは中庭へ出た。曇った空の下で食べるお弁当は、味が濃く感じられた。友人は、当然のようにわたしの卵焼きをつまんだ。抵抗しても無駄なので、わたしは、あえて何も言わなかった。言葉の省略が、すでに儀式のようになっている。
「……ありがとう」彼女は、そう言った。
奪っておいて、礼を言う。礼儀は、方向を間違えても成立するらしい。
午後の授業は、相変わらず眠気との戦いだった。黒板に並ぶ文字は、すぐに靄の中へと沈んでいく。まぶたを閉じると、教室全体が余白になった。雑音も説明も消えて、ただ、呼吸だけが残る。吸って。吐いて。
わたしは、夢の手前で、世界は休符でできている、と思った。音符よりも、沈黙の数が多い。活動や出来事だけが、重要なのではない。音楽も人生も、鳴っていない部分が、支配している。
放課後、昇降口で靴を履き替えていると、友人がわたしの隣にしゃがみ込んだ。
「今日は、寄り道しない?」
昨日と同じ提案だった。わたしは、首を横に振った。
「そっか」
彼女は、それ以上何も言わず、ただ軽く肩を叩いて立ち上がった。
校門を出ると、空はさらに暗くなっていた。重たい雲が垂れ下がり、風が髪を乱す。影はもう地面に伸びず、足元で溶けていた。影のない時間帯は、わたしが、自分の形を持っていないように感じられる。わたしは自分の輪郭を、実は影で確認しているのだろう。
帰宅してノートを開き、余白に書いた。
『余白も影も、存在の翻訳』
書かれなかった言葉も、映らなかった形も、確かに残っている。沈黙は、消えてしまうものではなく、むしろ輪郭を補うものだ。
ノートを閉じると、窓の外で、雷の音がちいさく鳴った。曇り空の余白に、稲妻が、一瞬だけ線を引いた。意味のない落書きのように見えて、世界全体の署名のようでもあった。
灯りを消して横になると、今日の曇り空が、まぶたの裏に広がった。曇天の中でこそ、言葉も友情も、輪郭をあらわにする。光ではなく、影が。