第12話
昼休みの中庭は、日向と日陰が交互に並ぶ将棋盤のようだった。石畳の白と木陰の黒が交互に続いていて、わたしはその上を歩きながら、自分が駒なのか、指している側なのか、分からなくなった。
わたしは、この世界という盤の上で動かされていると思い込んでいるけれど、案外ただの模様なのかもしれない。駒でさえなく、ただの飾り。けれども、そんな立場のほうが、気楽ではある。
ベンチに腰を下ろし、鞄からパンを取り出した。焼きそばパン。包装を剥がすと、風にのってソースの匂いが広がった。その匂いに誘われたのか、すぐに友人が現れて、わたしの隣に腰を下ろした。彼女は何も言わずに、パンを覗き込む。その視線だけで、一口、の意思表示になる。
「……すこしだけ」
仕方なくそう言うと、彼女は満足そうにうなずき、パンをかじった。
わたしは、残った部分を口に運びながら思った。共有というものは、奪い奪われる行為と、あまり区別がつかない。パンが減ったのに、なぜか気持ちは軽くなっている。減少というのは、必ずしも損失ではないのだろう。誰かに食べられたぶんだけ、関係は増える。不等式だらけの人生に、たまに現れる、奇妙な等式。
彼女はパンを食べ終えると、両手を広げて、空を見上げた。光に透ける指先が、樹の枝の影と重なって揺れている。言葉はなくても、その仕草が、台詞の代わりになる。見上げた空は特別な意味を持たないけれど、その仕草を共有することで、意味が勝手に発生する。
午後の授業は、退屈だった。黒板に数式が並ぶのを、ただぼんやりと目で追っていた。隣の席では、友人がペンを勢いよく走らせている。ときどき、落書きのような矢印や丸が混じり、ノートがどんどん埋まっていく。その余計な線を見ていると、なんとなく理解できた気になるからおもしろいと思った。
数学は証明を求めるけれど、友情は証明を拒む。拒んだままで成立する関係であり、むしろ、証明してしまうと、壊れてしまう気がする。
放課後、昇降口で靴を履き替えていると、友人が隣にしゃがみ込んだ。
「ねえ、今日寄り道しない?」
彼女の言葉は軽く、提案というより、独り言に近かった。わたしは、返事をしなかった。それでも彼女は、「じゃあ決まり」と笑った。沈黙が了承に変換されるのは、便利でもあり、すこしだけ不安でもある。
帰り道を歩きながら、夕暮れが影を長く伸ばしていくのを見ていた。影同士が重なると、二人はひとつの黒い形になる。影は、所有権を主張しない。勝手に混ざり合い、勝手にほどけていく。その自由さに比べれば、人間の関係は、ずっと不器用だ。けれど、その不器用さが、影にはない確かさを与えるのだと思う。
帰宅後、ノートを開いて余白に書いた。
『減ることで増える』
パンも時間も、影も沈黙も。奪われることが、むしろ存在の証拠になる。人は、"なくなる"ことでしか、"ある"と信じられないのだろう。
ノートを閉じ、灯りを消すと、焼きそばパンの匂いが、まだ鼻の奥に残っているような気がした。思い出の匂いは、わたしのことを裏切らない。