第11話
放課後の校舎は、昼間よりもずっと広く感じられる。人の声が減ると、壁や床が、自分の存在を主張しはじめるせいだろう。階段を降りる足音が、普段よりも大きく響いた。まるでわたし自身の影が、音に変わって追いかけてきているみたいだった。
昇降口に着き、靴を履き替える。誰もいない下駄箱の列は、静物画のように整然としている。けれど、ひとつひとつの靴箱には、確かに誰かの一日が詰まっているのだ。持ち主の個性や、その日の出来事を封じ込めた、ちいさなタイムカプセルのように。汗のにおい、泥の粒、靴底のすり減り方。それらが無言で、今日を語っている。きっと言葉よりも、靴底のほうが正直だ。
外に出ると、夕暮れの風が、すこし冷たかった。校庭のフェンス越しに、まだ部活の声が響いている。ボールを打つ音や掛け声は、わたしとは別の時間に属しているように思えた。同じ空の下なのに、並行する世界を眺めている気分になる。
わたしはフェンスに近づき、指先で金網を軽く叩いた。カン、カン、と乾いた音が返る。それは、「わたしは、ここにいる」と、ちいさく叫んでいるようでもあった。
校門を出て歩き出すと、道端に一冊のノートが落ちていた。表紙は泥に汚れて、端がすこし破れている。拾い上げて開いてみると、中はほとんど白紙だったけれど、数ページだけ、誰かの字が残っていた。大きな文字で、『がんばれ』とだけ書かれている。
誰が誰に向けた言葉なのか、それは分からなかった。けれど、誰だかわからないからこそ、すべての人に当てはまるように見えた。匿名の励ましは、特定の励ましよりも、普遍に届く。
わたしはそのページを閉じ、ノートを元の場所に戻した。これは、落ちているからこそ意味を持つのだと、そう思ったから。
家へ向かう道の途中、ちいさな公園のブランコが目に入った。人影はなかったけれど、風に揺られてなにかがきしむ音がしていた。無人のブランコは、まるで「待っている」と言っているようだった。待つ相手が来なくても、待つこと自体が役割になっている、そんなふうな、結果に左右されない静かな存在感を漂わせていた。
わたしはすこしだけ立ち止まり、揺れるブランコを眺めた。座れば揺れるし、座らなくても揺れる。人間がいてもいなくても、世界は自分のリズムを続けている。
帰宅して机の椅子に座ると、昼間拾ったノートの文字が頭に残っていた。がんばれ、という言葉は、命令のようでいて、祈りのようでもある。命令は相手を縛るけれど、祈りは相手を自由にする。二つが混ざり合った言葉だからこそ、不思議に重く響いたのだろう。
わたしは、窓をすこし開けて、外の空気を吸い込んだ。冷たい風が部屋に流れ込み、カーテンを揺らした。その音が「がんばれ」と言っているように聞こえた。
夜、ベッドに入り寝る前に灯りを消すと、暗闇の中で、ブランコのきしむ音がまだ耳に残っていた。誰も座っていないのに鳴り続けるその音は、存在よりも強く、存在感を告げていた。