第一章 その四
道は完全に断たれた。ううん、もしかしたら私達はこの来界村に閉じ込められたのかもしれない。そう考えれば、この見えない壁が何処までも続いている説明が付く。でも……私達を閉じ込めてどうするつもりなんだろう。いったい誰がこんな事を。そんな風に思考を切り替える鈴音。なにしろ吉田がこれ以上は来界村から出る道を知らないからには、思考を切り替えて別の手段を考えないといけないからだ。
つまり鈴音達は思考の切り替えを余儀なくなれた。今までは平坂まで行けば増援が頼めて、それを切っ掛けに今の事態を収拾できると思っていたが、まるで村を隔離するかのように張られている見えない壁のおかげで鈴音達は来界村から出る事が出来なくなってしまったのだから。
そんな状況に困惑を示している沙希と吉田。そんな二人とは違い、鈴音は素早く思考を切り替えると別の事を考えていた。
今の状況から考えると……私達はこの村に閉じ込められたって事だよね。そうなると……私達だけで今の状況を何とかしないといけなくなるのかな? そうだよね、だって警察の主力は平坂にある訳だし、今の状態で警察で頼りになると言ったら吉田さんしかいない。う~ん、村長さんが生きていれば、村長さんの力で村人達をまとめて力を貸してもらえるんだけど、村長さんがいない今ではしょうがないよね。
確かに村長が健在なら村人を集めて一丸となって今の事態に当たる事が出来ただろう。けれども村長は数日前に殺されており、今では村長の代わりとなる者が居ない。村長の息子である学ならあるいはと鈴音は思ったが、今の学だと力不足で村人をまとめる事が出来ないだろうとすぐに結論を出した。
その理由として学にはこれと言った実績が無いからだ。村長や源三郎のように今まで村に貢献した実績がある人物なら村人をまとめて今の事態に当たる事が出来るだろうが、これと言った実績が無い学では村人をまとめるのは不可能だ。それは学が決して能力的に劣っているわけではない。今の現状が非常識すぎて村人をまとめるには、それなりの実績を上げた人物が必要というだけだ。
村人達も今の非常識すぎる現象に戸惑っている事だろう。そんな状況で村人をまとめる事が出来るのは村人の信頼を既に勝ち得た人物のみである。学はこれから、そのような実績を上げていく事は間違いないだろうが、今の状態では誰も学の意見を行かずに混乱を大きくするのは確かな事だ。だからこそ返って学に頼るのは危険だと鈴音は結論付けた。
もちろん、もう一つの理由があるからこそ鈴音は学を頼る事を避けたのだ。なにしろ村長は誰かに脅されてオブジェを建てた可能性が高い。その脅しの材料として家族を人質に取られている可能性が高いからだ。だからこそ村長は鈴音達と交わした密談も家の者に漏らす事が無いように注意深く密約を交わしたのだ。
まあ、結果的にはその密約が漏れて村長が殺される結果となってしまったが、そんな村長の家だからこそ鈴音はなおさら頼る気にはなれなかった。
そうなると残る人物は一人だけである。もちろん、その人物は沙希と吉田に反対されているのは分ってはいるが、今の状況から考えてそこを頼るのが一番手っ取り早いだろう。だからこそ鈴音は顔を上げると沙希と吉田に向かって話し掛けた。
「沙希、吉田さん。今の状況から言ってもう四の五の言えた状態じゃないから。だから……羽入家に頼ろう」
突然そんな事を言い出した鈴音に驚きの表情を見せる沙希と吉田。そんな二人を見て鈴音はやっぱりと二人が予想通りの反応をしてきたので、これから二人とも反論してくるも分っているので鈴音は二人の反論を潰すために、介入する隙を与えずに話を続ける。
「今の状況が普通じゃない事は二人も充分に理解したでしょ。空を見れば真っ暗で、全ての通信機器は使えない。それにこの見えない壁だよ」
鈴音はそう言うと見えない壁を叩いて見せた。確かにそこからはまったく見えないが鈍い音が微かに響くのを沙希と吉田はしっかりと耳にした。鈴音としてはこうして実感させる事で自分の言葉に説得力を持たせたのだ。そんな事をしながら鈴音は話を続ける。
「つまり私達はこの来界村に閉じ込められた事になる。だから平坂の警察は頼りにならない。それなら村で頼りになる人を頼れば良い。村長さんがいない今では……もう源三郎さんに頼るしかないんだよ」
鈴音にそこまで言われると沙希と吉田も素直に反論できないのか黙り込むしかなかった。けれども沙希にはすぐに思い当たる疑問が浮かんだのだろう。沙希は顔を上げるとその事を鈴音に尋ねる。
「でも鈴音、村長さんも言ってたでしょ。羽入家は信用しちゃいけないって。羽入は来るべき時に兵となるって。その意味すらまだ分かってないのに羽入家に近づくのは危ないんじゃない。この非常識な現状から今が来るべき時なのかもしれないんだから」
「うん、その可能性もあるよ。だからすぐには羽入家には行かない」
「じゃあ、どうするの?」
鈴音がそんな事を言い出してきたので沙希は首を傾げた。鈴音は羽入家を頼ろうと言い出したのにすぐには行かないと矛盾している事を言って来たのだ。だから沙希が首を傾げても不思議は無かった。それは吉田も同じであり、鈴音が何を考え出したのか、その答えを聞く為に黙っている。そんな吉田を見習って沙希も鈴音の言葉に耳を傾ける事にした。そんな二人を確認した鈴音は話を続ける事にした。
「今の状況で私達ですら動いている状態だよ。もし羽入家がいつも通りに変わりが無いのなら、今の非常識な事態を収拾させようと村の様子を探っててもおかしくは無いよ」
「なるほど、つまり羽入家近くを探索する事によって、今の羽入家がどうなってるかを探るわけですね」
吉田がそんな事を言うと鈴音は頷いた。だが吉田の言葉は鈴音の意見とは少し違ったみたいで鈴音はそこを訂正してくる。
「でも羽入家の付近まで行く必要は無いと思いますよ。今の状況を羽入家が知って動き出していれば村には羽入家の人が原因究明の為に動き回っていても不思議じゃないですから」
つまり鈴音はすでに羽入家がこの非常識な事態を解決するために動き回っており。村に戻れば自然と羽入家の人間と出会えると訂正してきたのだ。確かにその方が羽入家に近づかない分だけ危険は少なくなる。もちろん、それは羽入家がこの非常識な状態と一緒で異常な状態になっていた時の事を考えての事だ。
そんな鈴音の考えを理解した二人は鈴音に向かって頷くと、沙希はとりあえず目的地を聞いてきた。村に戻るのは良いとして、ひとまず何処に向かうのかは決めておかないと何処に行けば良いのか分かったものじゃない。
そんな沙希の質問に鈴音は少しだけ考えるとすぐに結論を出した。
「ひとまず駐在所に戻りましょう。もしかしたら無線機が機能している場合があるし、そこなら村人からの情報も入っている可能性がある」
「そうですね。その可能性に賭けてみましょう」
鈴音の提案に真っ先に乗ってくる吉田。なにしろこんな非常識な状態だ。吉田としては駐在所が一番落ち着ける場所なのだろう。それに駐在所に残してきた金井が無線機を復旧させている可能性もあるからには鈴音の提案は妥当な物だと受け取ったようだ。そしてそんな鈴音の提案に乗るかのように沙希も頷いてきた。
これで話はまとまった。後は行動するだけだと鈴音達は再び車に戻ると吉田は駐在所に戻るために車を発進させるのだった。
闇を斬り裂くように進む車の車内では自然と会話が見えない壁について語られていた。やっぱり三人とも新たに現れた異変に興味を持っていかれたのだろう。だからそれは吉田の口から出た言葉を切っ掛けに始まった。
「それにしても、あの見えない壁は何の為に存在してるんでしょうね?」
そんな事を後部座席に座っている鈴音と沙希に尋ねる吉田。そんな吉田の質問に鈴音が真っ先に答えてきた。
「それは……もしかしたら私達をこの来界村に閉じ込める為じゃないですか」
そんな答えを返す鈴音だが、やっぱりそんな答えを聞くと気になる点が一つ浮かんでくる。
「いったい何の為に私達を閉じ込めたんでしょうね?」
再び質問をしてきた吉田に鈴音は口をつぐんだ。さすがに今の時点ではそこまで推測できないのだろう。いや、鈴音は心のどこかでその答えを出しているのだが、今の時点で口に出すだけの勇気が無いのだ。それほどまでに鈴音の出した答えは常識ハズレな答えだという事だろう。
そんな鈴音の心境を知ってか知らないかは分からないが、代わりに沙希が答えてきた。
「さっきも鈴音の話を元に話しましたけど、これで村人全てを虐殺する手段が整いつつあるんじゃないんですか」
そんな言葉を発した沙希に鈴音は驚きを隠せなかった。まさか沙希が現実から離れて、そんな非常識な提案に乗ってくるとは鈴音にも思っていなかったからだ。
けれども沙希には沙希なりに理由があったからこそ鈴音の話を聞き流したり、鵜呑みにしないで充分に検討するのだ。その結果として非常識な答えが出たとしても沙希としては鈴音がそれを受け入れるなら自分も受け入れる覚悟を決めたのである。そこにはやはり静音との約束が関わっていた。
確かに鈴音の考えは非常識な物としか言いようが無いのは確かなのよね。でも……私は静音さんと約束した。その約束を果たすために私は鈴音と一緒に行動して、鈴音の考えを充分に検討する必要があるはず。たとえ鈴音がどんな非常識な考えを口に出そうとも。そうですよね……静音さん。
沙希の考えがそんな方向に向いた所為だろうか、沙希は急に静音の事を思い出していた。それはやはりあの約束を交わした時の事だ。静音の言葉が沙希を救い、沙希はそのお礼として鈴音との友情を誓った。それこそが沙希の為になると静音は判断し、それこそが静音の願いでもあったからだ。
そんな事情を知らないままに鈴音は平常心を取り戻すと沙希の言葉を基準にして再び思考を巡らす。
確かに沙希の言う通りかもしれない。これで私達だけじゃない村の人達も閉じ込められた事になる。もう……誰一人として村から出る事が出来ない。そうなると……後は村人を殺す為の手段か。う~ん……あれっ? ちょっと待って、見えない壁を逆の発想で考えると……。
「村から出てない事は証明されたんですけど……逆に村に入る事は出来るのかな?」
突如としてそんな質問を口に出した鈴音に吉田と沙希は首を傾げる。もちろん、その質問にどんな意味があるのかまったく分からなかったからだ。そんな二人に鈴音は話を続ける。
「もし、外に連絡が付いて警察から応援が有ったとしても、あの見えない壁の所為で村に入る事が出来ないんじゃないかな。そう考えると応援を頼む事すら無駄になってくるじゃない」
「……最悪な展開ね」
鈴音の話に沙希はそんな感想を漏らした。それはそうだろう。なにしろあの見えない壁がある限りは外に連絡が付いたとしても、増援部隊が村に入れるとは限らないのだから。そうなると本当に鈴音達だけで動かなくてはいけなくなる。そんな状況を想像したからこそ沙希はそんな感想を漏らして、吉田は困ったように溜息を付くのだった。
「そうなると、あの見えない壁を排除するのが最優先になってくるかもしれませんね」
「そうしたいんですけど、私達はまず美咲ちゃんを見付けないといけないですから。村から出るのはその後ですね」
「そういえば、お二人は桐生のお嬢さんを探してたんでしたね」
「ええ、いろいろな事がありすぎて忘れちゃってたけど」
鈴音は誤魔化すように笑いながら頭を掻く。沙希はそんな鈴音とは反対の方向へ顔を向けていた。どうやら沙希も完全に美咲の事を忘れていたようだ。
けれども二人が美咲の事を忘れてもしかたない。なにしろ非常識な現象がここまで続いているのだから、その状況に翻弄されて美咲の事が蔑ろになっていてもしかたないだろう。だが思い出したからには鈴音達は美咲を見つけるために動かないといけないだろう。それがどんな危険な状況であったとしてもだ。
なにしろ鈴音達は美咲を見つける為に桐生家を飛び出してきたのだ。だから鈴音達の目的は美咲を見つける事にある。けれどもこんなにも非常識な現象が続く中で鈴音はどうやって美咲を探したら良いものかと思案を巡らすが答えなどは出てこなかった。第一に美咲がどうして居なくなったのかも分っていない。それなのに美咲を手掛かりも無しに探し回るのは今の状況下では危険すぎるだろう。
なにしろここまで非常識な現象が続いているのである。次のどんな非常識な現象が起きても不思議ではないのだ。それでも鈴音は美咲を見つける為に思案を巡らすが、その前に沙希が口を開いてきた。
「ねえ鈴音。もしかしたら……美咲ちゃんは静音さんに関係がある場所に向かったんじゃないかな?」
突然そんな事を言い出して来た沙希に鈴音は当然のように尋ねる。
「どうしてそう思ったわけ?」
「美咲ちゃんが体調を崩した時の事を思い出してみて、私達は静音さんの話をしてたのよ。そこに美咲ちゃんが急に体調を崩した。それだけ精神に負荷が加わったんだと思うけど、美咲ちゃんは少しでも心の負荷を取り除くために静音さんに関係がある場所に向かったとは考えられない」
「確かにそういう考えもありかもね」
つまり沙希は美咲がトラウマを少しでも解消させようと、もしかしたら静音の事を思い出してじっとしていられなかったのかもしれない。どちらにしても静音の事を思い出す場所に向かう事によって少しでも心に圧し掛かった負荷を回復させて、心を穏やかに戻したかったのだろう。そう考えればいきなり美咲が居なくなった事も説明が付く。
けれども鈴音はそんな沙希の言葉を聞いて違和感を覚えていた。正確には鈴音の勘に過ぎないのだが、例え勘でもその可能性があるのだとしたらと鈴音は決断すると自分の考えを口にした。
「でもさ沙希、その割にはタイミングが良くない?」
「タイミングって?」
さすがにその一言では鈴音が何を言いたいのか分からなかったのだろう。沙希はその言葉をオウム返しに尋ねてくる。そんな沙希の問い掛けに鈴音は少し考えるような仕草を見せながら答え始めた。
「美咲ちゃんが居なくなるのと同時にこんな異常事態になった。まるで美咲ちゃんが関わっているかのようなタイミングで」
「それはさすがに考えすぎでしょ」
そんな言葉を鈴音に掛ける沙希。確かにそう考えればタイミングが良いとも思えるが、偶然という事も充分にありえる。けれども鈴音にはそれだけは無く、他にも理由があるからこそそんな言葉を口にしたのだ。
「ううん、それだけじゃないよ。姉さんが居なくなった時も美咲ちゃんが居なくなってる。そして美咲ちゃんだけが帰ってきた。つまり私達は大きな勘違いをしていたかもしれないって事だよ」
「どういう事よ?」
鈴音に大きな勘違いと言われても沙希にはまったく検討が付かなかった。それは車を運転している吉田も同じようで、吉田は運転しながらも鈴音の話が良く聞こえるように座りなおした。そんな二人を見ると鈴音は自分の考えを話し出した。
「姉さんの事があったから、私達はいつも姉さんが事件の中心に居ると思い込んでた。でも、実際に事件の中心に居たのは美咲ちゃんかもしれない。姉さんが居なくなった時も美咲ちゃんが切っ掛けになってる。そして今回も美咲ちゃんが居なくなったのと同時に異常事態が発生している。確かに美咲ちゃんがこんな事を引き起こしてるとは考えずらいけど、なんらかの形で関わっていて、美咲ちゃんが何かの……なんて行って良いんだろう? なんというか……スイッチのようになってるんじゃないかな」
そんな鈴音の話を聞いて沙希も吉田も口をつぐんだ。さすがに何て言って良いのか分からないのだろう。
確かに来界村での静音が注目されていたのは確かだ。そんな静音がいきなり失踪したのだ。そこに鈴音達がやってきた。そうなれば皆の思考は自然と静音や鈴音に向かって当然だろう。けれども冷静に思い返してみると切っ掛けは美咲である。美咲が夜に家を飛び出したからこそ、静音と静馬は美咲を探しに出かけたのだ。そして二人はそれっきり戻っては来なかった。
ここで少し整理してみよう。
まず静音と静馬が失踪するまでの経緯を説明すると次のようになる。最初は夜に寝たと思っていた美咲を確認するために琴菜が美咲の寝室を覗いたのが切っ掛けだ。いつもならベットの上で寝ているはずの美咲なのだが、その夜に限っては美咲はベットにはおらずにどこかに行ってしまった。
そこで琴菜はすぐに静馬に美咲の事を尋ねたが、静馬も美咲を見てないと答えるとうろたえる琴菜を静馬は安心させると静音に声を掛けて一緒に美咲を探してくれるように頼み、二人は家中を探し回るが見つける事が出来ずにいた。そこで静音が美咲の靴を確認すると、いつもならそこにあるはずの美咲が履いていた靴は無く。美咲が夜にどこかに出かけたのが分かった。
そこで静音と静馬は琴菜に美咲を探しに行くと伝えて桐生家を後にした。それを最後に二人は戻る事が無く。美咲だけが泣きながら戻って来たというわけだ。そんな美咲が泣きながら静音と静馬が消えた事を琴菜に告げて、美咲を落ち着かせて再びベットに美咲を寝かしつけると琴菜は静音と静馬を探しに出かけるが見つける事が出来なかった。
けれども二人の事だから、そのうち戻ってくるだろうと琴菜は早々に二人の捜索を打ち切ると家に戻り、静音の手紙を発見したというわけである。
つまり二人が失踪の原因となったトラブルは美咲が夜に家を出た事による物だったのだ。鈴音はその事をあまり重要視していなかった為に、あまり静音が失踪した時の状況を詳しくは聞いてはいたものの、すっかり忘れていたようだ。
だが今になって思い出してみると、静音が居なくなった状況と今の状況は似ているのではないのかと鈴音は思い始めた。どちらも美咲が居なくなった事から始まっている。だからこそ今回の異常事態も美咲が関わっていると鈴音は考えたのだ。
そんな鈴音の話を聞いて沙希は複雑な感情が芽生える。美咲はまだ十歳だ。そんな歳で静音の失踪に関する事で心に傷を負っているというのに、そんな美咲に追い討ちを掛けるかのような事態が発生しているかと思うと沙希は美咲が不憫でならなかった。そんな沙希とは違って吉田は冷静に鈴音の話を分析して質問をしてきた。
「つまり鈴音さんは桐生家のお嬢さんが事件の引き金となっていると思っているわけですか?」
そんな吉田の質問にさすがの鈴音も少し顔を暗くして答える。
「その可能性が高いという事です。美咲ちゃんが居なくなった事で姉さん達は失踪した。そして今回も美咲ちゃんが居なくなった事で異常事態が発生した。つまり今回の出来事で中心に居たのは姉さんじゃなくて……美咲ちゃんだと私は思ってます」
そんな鈴音の答えを聞いて吉田は溜息を付いた。吉田も今の異常事態に慣れてきたというものの、さすがに十歳の美咲が何らかの形で今の異常事態を引き起こしているとは考え辛いのだろう。やっぱり警察官としての吉田はどうしても考えが常識からあまり外れるという事が出来ないようだ。
そんな吉田とは違って沙希はすぐに思考を切り替えていた。そして鈴音の考えを冷静になって考えてみる。
確かに鈴音の言っている事には筋が通ってる。でも……十歳の美咲ちゃんがどうやって、こんな状況や静音さん達の失踪に関わる事が出来るんだろう。……ちょっと待って、もしかしたら反対なんじゃないの? そんな事を思いついた沙希は鈴音に顔を向けるとその事を口に出す。
「でも鈴音、美咲ちゃんが静音さん達を失踪させたり、今の異常事態を引き起こしているとは考えられないでしょ。むしろ逆に美咲ちゃんは巻き込まれたと考えるのが良いんじゃない?」
「というと」
「鈴音は美咲ちゃんが居なくなった事で事態が起きてるって考えてるみたいだけど。私は異常事態が起こったからこそ美咲ちゃんが居なくなったと思ってる。さすがに美咲ちゃんがこんな事が出来るとは思えないし、誰かが裏で美咲ちゃんを利用していると考えれば更に筋は通るんじゃない」
沙希にそう言われて改めて自分の考えを確かめてみる鈴音。
う~ん、沙希にそう言われるとそんな気がしてきたな~。確かに美咲ちゃんにこんな事が出来る訳ないし、美咲ちゃんが何かに巻き込まれたからこそ、今の異常事態が起きていると考えた方が良いのかな? 沙希の話を聞いて少し混乱する鈴音。確かに美咲が今回の事に関わっていると言う意見では鈴音も沙希も同意見だろう。だが鈴音は美咲が切っ掛けで事件が起きていると思っており、沙希は美咲が何かに巻き込まれたから事件が起きていると思っている。
この二つにはあまり違いが無いように思えるが、考えようによっては大きな違いが生まれてくる。それは美咲の意思だ。鈴音の考え通りなら、そこには美咲の意思があり、美咲の行動自体で事態が大きく変わってくるだろう。
そして沙希の考え通りなら美咲に意思は無く。美咲がどんなに足掻いたとしても、今の事態を収拾する事が出来ない。つまり美咲は拘束されているのと同じであり、どんなに抵抗する意思を示したとしても何も出来ないという事だ。
そんな二つの意見が出た事により鈴音は混乱してうまく考えがまとまらなくなってきた。それは沙希も同じであり、鈴音の考えと自分の考えを比べてみるが、どうしてもまとまった答えは出なかった。
そんな状況に今まで黙って聞いていた吉田が口を開いてきた。さすがに二人の意見を鵜呑みには出来ないが、どちらにしろ美咲を見つけるのが鈴音達の目的であり、例え美咲が事件に関わっているならどうしても美咲を見付けないといけないからだ。
「どちらにしても、ここに来て桐生家のお嬢さんが重要になってきましたね。まあ、私としてはさすがにそこまで信じる事が出来ないんですが、こんな状況ですからね。今更十歳の子供が何かしてても不思議には思えなくなってきましたよ」
そんな言葉を口にする吉田。言葉だけを聞くと少しバカにしたようにも聞こえなくも無いが、煮詰まった二人には吉田の言葉は思考を和らげるのには充分に役に立った。
どうやら吉田も二人とも考えに煮詰まり、これからどう考えて良いものか迷い始めたのを肌で感じたのだろう。だからこそ少し冗談染みた言葉を口にする事で二人の思考を引き戻して、迷い込んだ思考の迷宮から一旦外に出したのだ。
そんな吉田の言葉を聞いて鈴音も言葉を返す。
「そうですね。さすがにこんな状況ですから私もいろいろな方向へ考えちゃって、もうどうすれば良いのか分からなくなっちゃいましたよ」
そんな鈴音の言葉に吉田は軽く笑ってから答える。
「それは私も同じですよ。まあ、こんな状況ですからね。いろいろな考えが出てきて当たり前でしょう。けれども一つだけ忘れてる事がありますよ」
「なんですか、それは?」
まさか吉田からそんな事を言われると思っていなかった鈴音は首を傾げた。確かに鈴音は様々な可能性を考えて、いろいろな事を思い出して、様々な事を提示してきた。そこに忘れている物があるとは鈴音には思えなかったからだ。
けど吉田にとってはそれが一番重要な事であって、バックミラー越しに首を傾げている鈴音を見ると吉田は少し笑ってから答えた。
「それはもちろん……証拠ですよ。確かにお二人は様々な考えを提示して来ましたが、それを証明する物が一つも出て来ていません。何かしらの証拠が無ければ、どんな考えも机上の空論ですよ」
そんな吉田の言葉を聞いて鈴音は誤魔化すように笑う。確かに言われてみれば鈴音達が示してきた考えには何一つとして証拠が無い。それは鈴音達の考えを証明する手段が無いということだ。つまりは全ては異常事態から推測しただけであって、証拠といえる物も異常事態による状況証拠という頼りない証拠だった。
だからこそ鈴音は笑うしかなかった。確かに鈴音達の議論に証拠は無いが、そうした可能性を考えるだけでも有効ではあるが、何一つ証拠が無い限りはどんな考えも証明されないのだ。つまりここでどんな考えを示しても、それは考察の一つであって結論として出せる物ではないという事だ。
鈴音達はいつも間にかすっかり議論に夢中になりその事を忘れていたようだ。それも鈴音は自分から自分の言った事を考察の一つにしてくださいと言っているのだから、本末転倒も良いところだろう。
だがそうなると美咲が今回の異常事態に関わってくるという考えも怪しくなってくる。なにしろ美咲が居なくなった原因が究明できていないからには、美咲が事件の中心に位置しているという確証は無いのだ。それなのに美咲を中心に考えを進めるのも危ないだろうと鈴音は考えを改める事にした。
そんな鈴音と同じく沙希も車の外で起こっている異常事態に冷静さが欠けていた事を改めて認識せざる得なかった。だからこそ鈴音の考えを参考に様々な考えを提示したのだが、それを証明する手立ては何一つとしてない事を改めて心に刻む。
けれども鈴音達が提示してきた考えは決して無駄では無い。鈴音達の考えは証拠が無いだけでその考えが間違っているとも言えないからだ。それは鈴音達の考えを否定できる証拠が出てきていないからだ。だから吉田も鈴音達の考えを否定する事無く、まずは証拠を見つけるのが大事だと言って来たのだ。
そんな吉田が話を本来の目的に戻してきた。
「お二人が時間を持て余して想像の翼を広げるのも大事な事ですけど、これからの事を考えるのも同じぐらい大事だと思うのですけど、どうですかね」
「そうですね、それは確かに」
「けど今の状況で次に何をやれば良いのかなんて……どうすればいいんだろう?」
吉田の話にすぐに肯定してきた沙希に対して鈴音はすぐに次に何をやれば良いのかを考えていた。なにしろ村が閉鎖されて応援が求められない状況だ。例え連絡が付いたとしても増援が村に入れなければ意味が無い。だからこそ鈴音はやっぱり羽入家に行くべきだとも考えるが、羽入家が安全だという事が証明されない限りはうかつに近づけないのも確かだった。だから鈴音は吉田に尋ねる。
「どうにかして、羽入家の人に気付かれないように羽入家の近くまで行けないですかね?」
「そうですね~、羽入家の人間ならそんな裏道も知っているでしょうが、私はそこまで知らないですね」
「そうですか」
吉田の答えを聞いてがっくりと肩を落とす鈴音。村長の遺言があるからには羽入家を頼るのは羽入家が通常に機能しているか確かめてからの方が安全なのは確かだ。けどあの源三郎がそう簡単に村人を殺戮するような命令を出すようには鈴音は思えなかった。なにしろ羽入家は源三郎が動かしているのだから。
だからもし、羽入家が兵と化して村人を殺戮するような真似をするような事になったとすれば、その指揮を取るのは源三郎しか居ないだろう。けど、鈴音は源三郎ならどんな状況になろうともそんな命令は出さないと確信していた。それだけ鈴音は源三郎の事を信頼しているのだろう。
鈴音がそこまで源三郎を信頼するには一つの理由があった。それは静音の事があったからこそ鈴音は源三郎を信じようと決めたのだ。だからこそ鈴音は今まで源三郎を信頼してきた。その信頼が今でも通じる物だと鈴音は信じようと決めた。
鈴音がそんな事を考えている時だった。吉田が車を操りながら話しかけてきた。
「どうやら想像の翼を広げるのはここまでのようです。もうすぐ駐在所に着きますよ。まあ、これからどう動くべきかは駐在所の中ででも話し合いましょう。お二人は今すぐに桐生家のお嬢さんを探したい気持ちも分かりますが、今の状況では何も出来ないでしょう。それにすでに桐生家に戻っている可能性も有りますからね」
「そうですね」
吉田の話を聞いて鈴音も軽く笑みを浮かべながら返事を返した。もちろん鈴音には笑うだけの元気は無いが、ここまでしてくれた吉田に少しでも感謝し、あまり心配を掛けないようにと空元気を示したに過ぎない。
そんな鈴音とは違って沙希はすでに考える事を止めたのだろう。視線を窓の外に移して頭を休めている。確かに二人ともいろいろと考えすぎて疲れているのかもしれない。鈴音は沙希を見て自分も疲れているかもしれないと思ったのだろう。それからは一言も発する事無く、沙希と同じように視線を窓の外に向けた。
外は相変わらず真っ暗で良くは分からないが、民家の明かりがちらほらと見える。そんな中で鈴音は一際大きな明かりを見つけた。それはかなり遠くにある羽入家なのだが、どうも様子がおかしい。
通常の明かりだけでなく、何かが点滅しているような。まるで一瞬の光が連続しているように。そんな不可思議な光を目にした。さすがに何かが燃えているようには見えないが、微かに見える点滅するような光に鈴音は不安を覚えた。羽入家に何かがあったのでは無いのかと思うが、さすがにここからでは確認できないし、今の状況と先程の話を照らし合わせても今の羽入家に行くのは危険すぎる。だからこそ鈴音は不安を胸の奥に閉じ込めて、黙ってその光景が過ぎ去っていくのを見ているだけだった。
そしてそんな光景が見えなくなって少しの時間が経つと車は駐在所に到着する。座り疲れたとすぐに車を降りる三人は、何か駐在所の中が騒がしい事に気が付いた。その事に三人はお互いに顔を見合わせると、駐在所の中に駆け込んだ。
そこで三人は固まったように立ち尽くす。なにしろそこには……血まみれで座りこんでいる千坂氷河の姿があったからだ。
さてさて、そんな訳で第一章はここで終わりです。続きとなる第二章ですが……まあ、なんとか、一ヶ月ぐらいで上げようかと思っております。
ちなみに、第二章では一気に真相が解明されて行きますのでお楽しみに~。まあ、第一章は序章に近い物がありましたからね~。ほとんど真相に触れる事が無く終わります。まあ、それだけに真相が分ってからの話が楽しみになってくると思ったのでこんな形となりました~。そしてそういう形にしていくつもりです。
そんな訳で第二章ですが……うん、分ってるよ、なるべく早く上げるから。だから少しの猶予をっ!!! まあ、今度も数話を一気に上げますからね。時間が掛かるのはしょうがないでしょう。そこはご了承ください。
さあ、これで読者の了承を勝手に勝ち得たと思い込んだところで締めますか。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、コーヒーとタバコが無いと小説が書けない葵夢幻でした。