第九章 その四
一つ……また一つと首を並べて行く。そう、これこそがわらわが完全に復活するための手段であり、長い長い道のりの途中。首の数はすでに半分以上も揃っている。だが……なんやのう、これは……わらわの中にある……この感情は……。
だが、そんな物はすぐに消えてしまう。そう、この御神刀がある限りは、わらわは断罪を行うために贄を集める。それこそがわらわの復讐、わらわが行うべき村への断罪。だから、わらわは迷う事無く、贄を集める。微かに浮かんでくる感情をまた沈めながら。
また一つ……また一つと。贄が増え、わらわに力を与えてくれる。恨むなら恨むが良いっ! 全ては村の犯した罪の所為だっ! だから恨むべきはわらわではなく、村そのものっ! さあ、わらわと一緒に断罪を下そうではないか。全ては、村が犯した罪を清算するためにっ! だからこそ、わらわは贄を集める。
一つ……また一つと。
「それにしても、この光の玉……一体何なの?」
洞窟から、そして川から出てきた光の玉は鈴音と先の元へ集り、まるで二人に力を貸すかのように、二人の体に入っていく。その度に沙希は傷の痛みが引き、傷が治っている。それどころか沙希は今までに感じた事が無いほどの力を感じていた。それは玉虫が放っていたのとは正反対な力のように沙希には思えた。
そして鈴音も同じように身体の中に入ってくる、数え切れないぐらい程ある光の玉を見ながら沙希に、これが何なのかを説明する。
「沙希、これが……玉虫の咎、玉虫によって生贄となった人達だよ。逆に言えば、玉虫に殺されて玉虫を恨んでる人達。その人達の魂は玉虫を復活させるために使われてきた。けど、完全に復活を果たした玉虫にとっては、千の首は最早不要な物。だからこそ、玉虫の犠牲なった千人の人達、そして仮の復活をするために依り代として使われ、仮贄とされて川に捨てられた人達。その人達が私達に玉虫の呪縛を解くために力を貸してくれてるんだよ」
鈴音はしっかりと立ち上がり、川から歩み出ると、そのような事を言いながら沙希の元へと行く。そんな鈴音に負けてはいられないとばかりに沙希もしっかりと立ち上がると、先程までの痛みが全く無く、今では自分の力とは思えないほどの力が溢れてくるのを感じていた。その力を感じながら、沙希は強く拳を握り締めてから思った事を口にする。
「これが……玉虫の犠牲になった人達の力。うん、分かるよ。この人達が私達を後押ししてくれる事も、そして玉虫の呪縛から解き放つ事を願っている事も、だから……私達に力を貸してくれる」
「そう、一人一人の力は小さいけど、これだけの力が集れば強大な力となる。この人達は、その事を教えてくれるのと同時に力を貸してくれている。だから、ここからの戦いこそが玉虫との決着をつけるための総力戦になる。沙希、覚悟は良い?」
「もちろんよっ!」
鈴音の問い掛けに元気良く返事をする沙希。どうやら沙希も完全に回復しているどころか、今では玉虫にも劣らない力を感じているようだ。そんな沙希の頭にふとした疑問が浮かぶ。
「そういえば、何で、この人達は私達に力を貸してくれるんだろう?」
そんな疑問に鈴音は微笑を浮かべながら答える。
「それは……私達が諦めなかったからだよ。最も、私は姉さんに叱られて、立ち直れたんだけどね。そんな諦めなかった私達に、玉虫の犠牲になった人達も力を貸すと決めてくれたんだよ。まだ諦めない私達に……村の未来を託すために、この人達は力を貸してくれてるんだよ。全ては、村を守るという意思を託すために」
「なるほどね、そこまで期待されたら、私達も応えない訳には行かないでしょ。ならやってやろうじゃない。絶対に諦めない心が、どれだけ強いか見せ付けてやるわよ」
「それと……村を守るために力を貸してくれた人達の意思を継ぐために。そして……未だに私達の帰りと勝利を待ってくれてる人達のために。今は……全力で戦うのみだよ」
「さ~て、玉虫っ!」
「あなたの咎を見詰めなさいっ!」
思い掛けない光景に玉虫はいつの間にか魅入られていたようだ。それほどまでに、先程の光景と全ての光り輝く玉を取り込んだ鈴音と沙希は神々しく見えるようだ。玉虫はまるで二人を睨み付けるどころか、顔の形が憎しみで変わるほどの憎しみで覆われた顔で、赤く光る瞳で鈴音と沙希を睨み付けるのだった。
先程までなら、そんな玉虫を見れば二人とも恐怖心で逃げ出したい気持ちにもなっただろう。けれども、今の二人は不思議と怨念に覆われた玉虫の顔と瞳を見ても恐怖を感じなかった。むしろ、逆に冷静でいられるほどだ。それだけ、鈴音と沙希に宿った力が作用しているのだろう。だからこそ、二人とも玉虫と対峙できる。
そんな二人が、鈴音は霊刀を、沙希は拳を構える。その気迫は先程以上と言っても良いだろう。それほどまでの気迫を力に変えて、二人とも闘志をたぎらせる。どうやら、今の二人には玉虫には負ける気がしないのだろう。それほどまでに二人とも自分達に託してくれた力と意思をしっかりと感じていた。だからこそ、二人とも一気に行動に出た。
先程とは比べ物にならないぐらい、いや、玉虫と同様に人間離れしたと思うほどのスピードで一気に玉虫に突っ込んで行く、鈴音と沙希。そんな二人の姿に玉虫も御神刀から更なる怨念をたぎらせると二人を迎え撃つように、右手に御神刀を持ち、左手は沙希の攻撃に備えるために、まるで猫のように構える。
そんな異様な構えに、二人ともちゅうちょする事無く、一気に突っ込んで行く。そして二人と玉虫の距離が一気に縮まると、三人同時に動き出す。鈴音と沙希は攻撃を、玉虫を防御を優先させた。そのため、霊刀は御神刀に受け止められ、沙希が放った拳は玉虫の左手によって防がれてしまった。
だが、二人に宿った力はこの程度では無い、と言わんばかりに二人とも攻勢に出続ける。鈴音は御神刀を押し返すように、沙希は玉虫の左手を押し戻すように、二人とも攻撃に渾身の力を込め続ける。
そんな二人がそれぞれに思う。
うわ~、さっきまでは御神刀の攻撃を受け止める事も出来なかったのに、今なら御神刀を押し返す事が出来そうだよ。
さっきは鎮魂の札さえも無視したのに、未だと鎮魂の札で痛みを感じながら私の拳を受け止めてる、それどころか、このまま押し切れそうだ。ここまでの力を託されたんだ、私達も全力で挑むのみよ。
それぞれに宿った力を感じながらも鈴音と沙希は攻勢を維持する。一方の玉虫は二人がここまでの力を発揮するとは思っていなかったのだろう。今では玉虫は驚くどころか、逆に二人への殺意が増しているようだ。だからこそ、玉虫も最大限の力を出してくる。
「沙希、離れてっ!」
逸早く危険を察した鈴音が叫ぶと鈴音と沙希は玉虫から離れて、玉虫の攻撃が届かない位置にまで後退する。その直後に玉虫の背後に浮かんでいた、玉虫の怨念そのものが、二人が居た位置に手を伸ばしていたのだ。
そんな光景を見た沙希が鈴音に尋ねる。
「鈴音、あの後ろにいるやつ。攻撃を受けたらどうなるわけ?」
その質問に鈴音は玉虫を警戒しながら、率直に答えてきた。
「知らないっ!」
「って! 知らないのに攻撃を避けたわけ?」
「うん、けど……一つだけ言える事があるよ。あの怨念は玉虫の咎、そのもの。そんなものに触れたら、こっちがどうなるか分からないよ。少なくとも、傷つくだけで済むならマシな方でしょうね」
「それはそれは、厄介な事で」
最後は嫌味で締める沙希の言葉に、二人とも玉虫の後ろに存在している怨念が思っていた以上に厄介である事を再認識した。なにしろ、あれは玉虫という存在を支える力、そのものだ。そんなものが具現化して襲い掛かってきたのだから、どんな力を持っていてもおかしくは無い。
下手をしたら触れられた瞬間に生命力を全て吸い取られても不思議ではないほどの力があってもおかしくは無い。つまり、触れられた瞬間に終わりと思っても良いだろう。そんな玉虫の怨念に警戒しながらも、二人とも次の攻撃について、それぞれ思案していた。
けれども、玉虫にとっても、いつまでも黙って攻撃される気は無いのだろう。再び玉虫の姿が二人の前から消えると、沙希は舌打ちする。
「また、その手ですか」
そんな沙希とは正反対に鈴音は霊刀を構えながら瞳を閉じ、精神を集中させて周辺の気配を探る。鈴音も先程までなら、そのような事は出来なかっただろう。だが、今の鈴音は自分でも出来るような気がしたからこそ、そのような行動に出たのだ。
そして鈴音の精神集中は見事な成果を見せた。
「そこっ!」
突如として鈴音は右側前方に跳ぶと、霊刀を一直線に振り下ろした。その直後、再び現れた玉虫が悲鳴を上げる。その悲鳴に呼応するかのように玉虫の怨念も苦しそうな仕草を見せた。なにしろ鈴音の霊刀は見事に玉虫の怨念だけではなく、玉虫の肩まで斬り裂いたのだ。
斬り落とされた玉虫の怨念は苦しそうな仕草で不気味な声を上げると、すぐに斬り落とされた場所を再生するために御神刀から新たなる力を得ると、そのまま斬り落とされた部分を再生させる。だが、さすがに玉虫の身体までは癒す事は出来なかった。
なにしろ今の玉虫は美咲という依り代によって身体を得ているのだ。つまり、普通と同じ人間の身体だからこそ、斬り付けられたところを治癒する事が出来ないのだ。玉虫も長年、悪霊となっていたのだから、今になって身体の痛みを治癒する手段を持ってはいないのだ。むしろ、悪霊の半透明な身体なら治癒する事が出来ただろう。だが、ここまで来たからには玉虫も傷を負ったからと言って依り代である、美咲を解放して、悪霊の姿に戻ろうとはしなかった。
なにしろ、身体があるというだけで玉虫は今まで以上に、自分の手で攻撃が出来るのだ。その動きは、傀儡と比べるまでも無く、早くて力強い物だ。そんな身体を得たからこそ、玉虫は先程の攻撃で鈴音と沙希を追い詰める事が出来たのだ。そんな便利な身体を今頃になって手放す気にはなれないというのが玉虫の本音だろう。
だが、身体を得た事により、確実に傷を負ってダメージを喰らった事は確かである。だからこそ、玉虫はより一層、鈴音の霊刀を警戒するようになった。いや、既に怨念に支配されている玉虫だからこそ、怨念が警戒するように玉虫の心すらも操っているかもしれない。
元をただせば玉虫が自ら生み出した怨念だが、今の玉虫は、その怨念に支配されているようなものだ。復讐を心に決めた意志が暴走し、今では生み出した心を完全に支配している。復讐というものに支配された結果が今の玉虫かもしれない。だが、今となっては、どちらが元で、どちらが後なのかは分からない。けど、一つだけはっきりしている事は……今の玉虫は自ら生み出した怨念に自分自身が支配されているという事だ。
これこそが……復讐という想いだけに支配された結果かもしれない。最も、今となっては玉虫自身も、その答えが出せないだろう。それほどまでに玉虫の怨念は、生み出した玉虫さえも凌駕して、今では玉虫を支配している。そんな怨念に鈴音達は立ち向かわなければいけないのだ。けれども、玉虫の注意が鈴音に向いているだけでも沙希にとっては動きやすかった。
それでも、沙希は鈴音よりも先に動こうとはしない。その間に鈴音は既に玉虫から少しだけ距離を取り、数歩進めばお互いの間合いに入る距離を維持していた。先程の攻撃で玉虫は見破られて奇襲を受けるとは思ってもいなかっただろう。だが、今の鈴音は玉虫が姿を消しても、はっきりと気配を感じられるぐらいに神経が鋭くなっていた。
これも鈴音達に力を貸してくれている人達の力があっての事だろう。今の鈴音達は玉虫の怨念すらも凌駕する力を持っているかもしれない。だが、千年もの年月を掛けて育った玉虫の怨念だからこそ、その力は無尽蔵とも思えるほど蓄えており、発してくる力も人間離れしたものだと言えるだろう。だからこそ、鈴音は玉虫よりも玉虫の後ろに居る怨念、そのものを警戒しながら次の手を考える。
う~ん、何とか消耗させないといけないんだよね~。だから、玉虫の怨念ばかり攻撃してても意味は無いんだよね~。それどころか、怨念は千年の年月を経たからこそ、どれだけの力を有してるなんて分かったものじゃないよ~。そうなると……やっぱり、ここは沙希に頑張ってもらうしかないかな~。
そんな決断を下すと鈴音は沙希の方へと顔を向ける。そしてお互いに見詰めあうと、二人とも同時に首を縦に振るのだった。どうやら、沙希には鈴音が考えている事がしっかりと分っているようだ。だからこそ、沙希も拳を構えると鈴音ほどではないが、多少玉虫に接近する。
そんな沙希の動きと呼応したように鈴音が一気に攻撃を仕掛ける。そんな鈴音を待っていたかのように玉虫も鈴音に向かって駆け出す。お互いの距離が一瞬で縮まり、すぐにお互いの間合いに入った。
そんな状況だというのに鈴音は冷静に霊刀を横一線に振るい出す。どうやら、玉虫が間合いを縮めて来る事は予想していたようだ。だからこそ、鈴音は絶好のタイミングで霊刀を振るう事が出来て先手を取る事が出来た。
一方の玉虫は確実に遅れており、後手に回るために御神刀を横に立てると鈴音の霊刀を受け止めようとする。玉虫は自ら距離を縮めに来ながら後手に回ったのだ、それは致命的なミスに見えるだろう……普通なら。
刀の長さも、今では力すらも互角と言える二人がぶつかり合うのだ。普通ならお互いに、同じタイミングで攻撃を繰り出すのが普通に思えるだろう。けれども、玉虫はワンテンポ遅らせて後手に回った。そこに何かしらの罠があると鈴音は読んでいた。けれども、鈴音がその判断を下した時には既に遅かった。
いつの間にか腰を落とし、身体を屈めて鈴音の下を取る玉虫。そんな玉虫を見て、鈴音はすぐに次に起こる状況を理解していた。
しまったっ! いなされるっ!
そう、鈴音は横一線に刀を振るったのだ。一方の玉虫はそれを縦に受け止めた。それだけなら問題は無いだろう。だが、玉虫は鈴音の攻撃が勢いを完全に死んだ瞬間を狙って、反撃に出てきたのだ。その証拠として今の体勢がそうだと言えるだろう。
十文字に交わる二つの刀。だが、玉虫は身体を屈めて鈴音の下を取っている。一方の鈴音は完全に攻撃の勢いが無くなり、今では霊刀に斬り裂くだけの勢いは残っていない。いわば、そこに刀を置いている状態だ。玉虫はその瞬間こそを狙っていたのだ。
完全に霊刀が勢いを殺し、次の行動に出るまでの刹那を狙って玉虫が一気に行動に出る。完全に置物と化している、その霊刀ごと鈴音の腕を上に勢いを付けて押し上げたのだ。そんな事をされれば、鈴音は霊刀を持ったまま両手を上げる状態となってしまう。それこそが玉虫の狙いだったのだ。
正に後の先を取られたと鈴音は自分がしくじった事を感じていた。なにしろ、今の鈴音は両手を上げられた状態で、前がガラ空きである。これでは、玉虫にいつでも斬ってくれと言わんばかりの体勢だ。もちろん、玉虫もそれを狙っての行動である。だからこそ、最初はワンテンポだけ遅れたのだ。全ては後の先を取って、鈴音に完璧な一撃を入れられるように。
まさか、玉虫がここまで達人的な行動に出るとは鈴音も思ってはいなかっただろう。いや、今までの玉虫がが力任せだっただけに、心に少しだけ油断があったのかもしれない。だからこそ、玉虫に見事にやられてしまったと言えるだろう。そして玉虫も、生じた刹那の隙を見逃す事無く、御神刀を横一線に振るいだそうとする……が、玉虫は刀を振るう事が出来なかった。
いつの間にか接近していた沙希が御神刀の柄頭、つまり柄の先頭部分に蹴りを入れて、刀の動きを完全に止めていたからだ。まさか玉虫も沙希の足裏が柄頭を抑えて来るとはは思ってもいなかった事だ。それだけ、玉虫の意識が鈴音に片寄っていたのだろう。
玉虫は確かに沙希の事も警戒していた。だが、玉虫の怨念が警戒したのは鈴音の霊刀だけだった。なにしろ、鈴音が持っている霊刀しか玉虫の怨念を斬る事が出来ないからだ。それが分っているからこそ、玉虫の怨念は自然と霊刀だけを警戒し、沙希への警戒が薄くなっていたのだ。
沙希も自分自身がそんなに警戒されていないと感じたからこそ、一気に玉虫に接近して、いつでも鈴音のフォローか、玉虫に攻撃できるチャンスを狙っていたのだ。そんな油断とも言える沙希への警戒心が少なかった事により、このような結果を招く事になってしまった。
だからこそ、玉虫は苦々しい顔し、後ろの怨念は悔しそうな顔をしていた。
そんな玉虫とは正反対に鈴音と沙希は笑みを浮かべている。それはそうだ、沙希のおかげで鈴音は完全に反撃の好機を得たのだ。沙希が作ってくれたチャンスを、そのまま見逃すほど鈴音は愚かではない。そして、沙希も鈴音が、これから最大の好機を作り出してくれると確信しているからこそ、笑みを浮かべていた。
今の鈴音は玉虫にいなされて両手を上げて、霊刀を思いっきり振り上げている状態である。鈴音としては、今の体勢を最大限に利用するために、霊刀を振り上げた体勢のまま、一気に玉虫に接近すると、玉虫の横を駆け抜けるのと同時に一気に霊刀を振り下ろした。
そのため、玉虫の後ろにあった怨念は見事に玉虫から斬り離されるように斬られてしまった。これで怨念が再生するまでは、沙希は怨念の事を全く気にしなくて良くなった。そのうえ、沙希の足は御神刀の柄頭を抑え込んでいる。だからこそ、沙希はもう片方の足で力一杯、前に飛び出すと、そのまま玉虫の御神刀を持った手を後ろに回してしまった。これで玉虫の前はガラ空きになったような物だ。
それだけではない。沙希なら、そうすると分っていたのだろう。後方へと移された御神刀に鈴音は霊刀をぶつけて、完全に御神刀が振れないように抑え込む。つまり、御神刀を持っている玉虫の腕は、限界まで後ろに回され、関節を抑え込むように霊刀によって御神刀の動きを封じてしまったのである。
さすがの玉虫も身体を持っているからには、この体勢から霊刀を払い除けるどころか、御神刀を動かす事も不可能だ。そんな玉虫の正面に移動した沙希が、思いっきり踏み込んで渾身の一撃を玉虫に与えると、そのまま連打に入る。
沙希の拳が玉虫のいたるところに入る。その度に、沙希がグローブの中に仕込んだ鎮魂の札が力を発揮しているのだろう。沙希の拳が当たった所には蒼い炎が発すると、すぐに消え去った。どうやら鎮魂の札が蒼い炎という形で力を発揮しているのだろう。着物で分からないが、たぶんだが、沙希が拳が当たった所には今までと同様に火傷のような痕跡が残っているかもしれない。
それを確かめている手段は今のところは無い。それに確認する必要も無いだろう。大事なのは玉虫の身体に確実なダメージを与える事である。それが分っているからこそ、沙希はタイムリミットが来るまでに、両手の拳を玉虫に叩き付ける。
そして、そんな沙希に向かって鈴音が叫ぶのだった。
「沙希っ!」
名前を呼んだだけだが、沙希には鈴音が言いたい事が全て分かったのだろう。沙希の位置からでは確認できないが、鈴音はしっかりと目にしていた。御神刀から紫色の煙が上がり始めている光景を。これは、間違いなく、玉虫の怨念が再生している証拠だろう。それに鈴音の位置からは玉虫の怨念が少しずつ形成されていくのがはっきりと見えた。だからこそ、鈴音は沙希に向かって叫んだのだ。
そんな鈴音の声を聞いて、沙希はトドメとばかりに、今度は前に踏み出した足を横にして、後ろに半歩程のところに思いっきり踏み込むと、足を横にした勢いを利用し、踏み込んだ足を軸にして一回転すると、そのまま玉虫の身体に全力を込めた回し蹴りを玉虫の腹に叩き込む。
沙希の攻撃はかなりの威力を出したのだろう。沙希が蹴り抜くのと同時に玉虫は身体をくの字にして、そのまま後ろに蹴り飛ばされる。それでも、まるで人形のように空中でも玉虫の姿勢が崩れないのは、完全に再生した玉虫の怨念が支えているからだろう。
そして、かなりの距離を蹴り飛ばされた玉虫が、まるで操り人形の糸で支えられているかのように空中で制止すると、ゆっくりと地面に足を付けた。そして玉虫との距離が離れた事により、鈴音も沙希の元へと合流する。それから二人は軽くタッチすると、再びお互いに玉虫に視線を移すと沙希から口を開いてきた。
「さ~て、今ので、かなりのダメージを叩き込んだけど……玉虫には効いていないように見えるわね」
そう、沙希の攻撃をあれほど受けておきながらも玉虫は痛がるどころか、まるで人形のように立っている。そんな光景を見れば、先程の沙希が行った全力の攻撃も効いていないように見えても不思議ではない。けれども鈴音には確信があった。だからこそ断言する。
「大丈夫だよ、沙希。さっきの攻撃は相当響いてる。それでも平気なように見えるのは、玉虫の怨念がそれだけ強いって事だよ。なにしろ千年に渡って積もり積もった怨念だもの、そう簡単に弱りはしないし、倒す事も不可能。だからこそ、私達が狙うのは……あの一点だけだよ。それに……そろそろ来るはずだよ。後、もう一押しで行けるはずだよ」
はっきりと自信を持って断言をしてきた鈴音に対して沙希は肩をすくめて溜息を付くのだった。そんな沙希がいい加減にしてほしいとばかりに文句を言ってくる。
「後、もう一押しってね。いったいどれだけタフなのよ、あんなのを相手にしている、こっちの事も考えてほしいものね。最後の戦いと言っても、限度って物があるでしょ。いい加減に倒れてくれても良いんじゃない」
そんな沙希の文句に鈴音は苦笑いを浮かべるしかなかった。最も、沙希も本心から文句を言ったわけではない。沙希にいてみれば文句でも言わないと気が晴れないのだろう。なにしろ……未だに戦いは続いているのだから。
それでも鈴音は苦笑から微笑みに変わると沙希に向かってはっきりと言葉を口にする。
「沙希、ちょっとだけ手を繋いでもらって良い?」
「急にどうしたのよ?」
「特に意味は無いよ。ただ……沙希が傍に居る事を感じたいから、一緒に戦ってくれてるって確認したいから。ちょっとだけ……安心したいから。ただ、それだけだよ」
「…………」
鈴音の言葉を聞いて沙希は鈴音に顔が見えないように横に向けると無言で鈴音の手を取る。そんな沙希に鈴音は微笑むと、沙希の手をしっかりと握り締めて、ちゃんと沙希の温もりを確認すると手を離して、今度は玉虫に向かって鋭い眼差しを向けながら沙希との会話を続ける。
「ありがとう沙希、さあ、後は玉虫を倒すだけだよ」
自分勝手に納得した鈴音に沙希はやれやれとばかりに溜息を付くと、鈴音と同様に鋭い眼差しを玉虫に向ける。二人とも玉虫とその怨念をしっかりと見据えると二人とも戦闘体勢に入る。それから沙希が自信満々に言葉を口にする。
「やってやろうじゃない、私達が、いや、私達だけしか玉虫を倒す事が出来ないんだからねっ! こうなったら絶対に倒してやるわよっ」
「じゃあ、行くよ……沙希っ!」
「任せない、鈴音っ!」
既に負ける気がしない、いや、負ける事すら考えられないほどの自信と力を貸してくれてる人々を信じて、鈴音と沙希は一斉に玉虫に向かって駆け出す。一方の玉虫も掛かって来い、とばかりに待ち受けているようだが、鈴音にはしっかりと分っていた。玉虫がここで、このような態度を取って来た意味が。だからこそ、二人とも一気に攻勢に出る。
今度は先程とは違って沙希が先手を取って来た。玉虫としては鈴音が霊刀で御神刀に対抗してくると思っていただろう。けれども、実際には沙希が鈴音より前に出て、玉虫に向かって突っ込んで行く。
それならばそれでとばかりに、玉虫は突っ込んでくる沙希に対して、容赦する事無く、一気に御神刀を振るうが、御神刀は沙希を斬り裂く事無く、空を斬る事になってしまった。その直後に鈴音は霊刀を振り上げる。そうなると玉虫も沙希を探すよりも鈴音の攻撃に対処するのが先だと思い、すぐに御神刀で防御体勢を取る。だが、意外な所から玉虫に攻撃が来たのだった。
それは沙希の攻撃だ。沙希は玉虫の攻撃を避けるために一気に身を沈めて、ほぼ寝そべる形で河原を滑り込んだのだ。そうなると沙希は玉虫の懐に飛び込んだのと同じ状態になる。そして玉虫が沙希を見付ける前に鈴音が霊刀を振りかざして来たのだ。玉虫も、そして玉虫の怨念もここで鈴音を無視する事は絶対に出来ないだろう。なにしろ、鈴音の霊刀は玉虫の怨念と身体を傷つける事が出来る唯一の武器なのだから。だから、どうしても玉虫は自然と霊刀を意識してしまって、沙希の事が二の次にしてしまうのだ。
そんな状況で一気に玉虫の懐に滑り込んだ沙希は、そのまま両手を河原に付けると、足を屈しながら上げて、玉虫の顎に狙いを定めると一気に両手足を伸ばしたのだ。真下からの両足蹴り、しかも顎というダメージが大きいところである。そこに沙希の両足蹴りが当たったのだから、玉虫は首を後ろに仰け反る形で空中に舞い上がるのだった。しかも沙希はしっかりと靴の中敷にも鎮魂の札を貼り付けてある。だから、玉虫の顔は顎から火傷が広がって行った。
またしても沙希にやられてしまった玉虫。今度こそはとばかりに空中に舞い上がりながらも、沙希に対して、どう反撃するかを考えているところだろう。だが、鈴音達の猛攻はそこで終わりではなかった。
空中に舞い上がったと言っても少しだけである。なにしろ沙希が蹴りを入れた部分が顎なだけに、身体を引き上げるのには力が足りないと言えるだろう。だから玉虫はすぐに地面に足を付けられると思っていただろう。だからこそ、今は無理な行動に出ずに、しっかりと反撃を出来る体勢にしてから反撃に出るつもりだったのだろう。だが、その油断にも似た余裕が仇となった。
刀身を返して、峰の部分で玉虫の腹部に打ち込み、玉虫の身体を更に浮き上がらせる、鈴音の追撃。これが更に玉虫を無防備にさせる。さすがの玉虫も空中に打ち上げられては反撃の手段が無い。しかも、今の鈴音と沙希は玉虫の犠牲になった人達の力を借りているために、玉虫と同様に人間離れした動きを見せている。だからこそ、玉虫もここまでやられていると言えるだろう。
後は重力に任せて、その身が落ちる流れに任せるだけである。けれども、下で待ち構えている鈴音と沙希が黙って見ているはずが無かった。今では沙希もしっかりと立ち上がり、鈴音も霊刀を構えている。そして、玉虫が落ちてくるタイミングを見計らって、二人して声を上げる。
『せーのっ!』
その掛け声を合図に、沙希は玉虫の顔面に拳を打ち込み、鈴音は霊刀で玉虫の腹部を思いっきり叩き付けると、そのまま勢いに任せて、弾き飛ばすように一気に霊刀を振り抜いたのだ。先程と同様に峰で打ち込んだから斬撃ではなく打撃となってはいるが、玉虫の身体にかなりのダメージを与えたのは確かだろう。
そんな鈴音の攻撃にまたしても玉虫は再び遠くへ弾き飛ばされてしまった。それでも、先程と同様に倒れる事無く、空中で制止してから地面に足を付けた。そこまでは先程と同じだ。
だがっ! 玉虫は突如として膝を地面に付くと、苦しそうに悲鳴を上げる。
「きゃああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
その叫び声は先程までとは違って女性の悲鳴とも言えるだろう。その声こそが、正しく玉虫の声だと分かるほどに、玉虫は自らの声で悲鳴を上げ続け、苦しそうに頭を抱えながら振り回し、体中を走る何かに耐えているようだ。
そんな光景を見て鈴音は微笑を向ける。
「やっと限界が来たみたいだね。さて、玉虫様、もう勝負は付きました。後は素直に消えてもらいましょうか」
そんな鈴音の声が聞こえているのか、玉虫は苦しそうな表情を鈴音に向ける。そんな玉虫からは今では先程まで感じていた怨念を感じる事は無かった。先程まで玉虫の背後にあった、玉虫の怨念はいつの間にか消えていたのだ。それが何を意味しているのか、玉虫自身も分かってはいない。けれども鈴音は分っているようだった。
そう、この瞬間こそが鈴音が狙っていた、ただ一つの勝機なのだから。
さ~て、今回は鈴音と沙希のスーパータイムでしたね……前回を引き継ぐわけでは無いですが……やっぱり、ふたり、という点は強いのかな? とも思っちゃいますね~。
まあ、前回に引き続き、今回も前半では、ある物の影響を受けたと思われるセリフがありますからね~。……それも二人で一人……やっぱり、ふたり、というのは最強なのか?とも思ってしまうほどです。
さてさて、第九章では、ここが最後の問題になるんでしょうかね~。それは、ずばり……鈴音の考えた作戦とは? まあ、それが成功したからこそ、今の玉虫様は苦しんでいるワケですね~。まあ、ヒントは全て第九章の中にあると思うので、推理してみたい人は次に進む前に、読み返して、推理して見るのも面白いかもしれませんね~。
という事で、いよいよ玉虫との最終局面に達しました。そこで鈴音達はどうするのか、玉虫の起こった異変とは何なのか。それは次話に続きます。なので、次を読むか、推理してみるかはご自由に~、という事で今回は締めますね。
以上、一つ、二つ、三つと、己の咎を数えてみた、葵夢幻でした(笑)